だから明日もこれを着る
うそだろ、こんなにするのかよ。
あるマウテンメーカーのGORE-TEXパーカー。
値札を見て驚いた。洋服はおろか、日用品の類では出したことのない数字が並んでいた。
ただ、登山用品ではさほど珍しい額ではないらしい。
夫は言う。
「サイズぴったりだよ」ーうん。
「着心地はどう?」ーめちゃくちゃいい。
「雨に降られてもいいの探してたよね」ーうん。
「じゃあ、迷うことないよ」ー……。
オフィスワークから転職。外に出ることの多い職場だ。
庭仕事をすることもある。ちょっとした登山やハイキングも好きだ。
決してタンスの肥しにはならないだろう。
それでも、躊躇した。
ー
そもそも、私は服選びが苦手だ。
色、形、素材、サイズ、他のものとの組み合わせ、そして値段。
買うときの判断基準が多すぎる。
繰り返し試着するのも苦手だ。いつもつかれてしまっていた。
夫に、値段が悪いよと返す。
「必要なもので、気に入ったものに、悪いことはないよ」
たしかにそうだけど、と戸惑っていたら、背中を押された。
「大丈夫。」
ー
そうして、初めて"びっくりする値段"のマウンテンパーカーを買った。
びっくりするほど役に立った。
晴れの日も雨の日も着られた。
庭仕事も、畑仕事もできる。
これを着て、山に行った。街にも行った。海外旅行でも活躍した。
それは必要なデザイン、必要な素材、必要な形を備えていた。
色もサイズも私にぴったりだ。
迷う必要は何もなかった。
私は何と値段を天秤にかけていたのかと思う。
マウンテンパーカーを着ている自分と、今のままの自分。
どこにだって行ける自分と、数万円を躊躇する自分。
「いつかこのお金を別のことに使うかも」。
そういう淡い期待を、いつだって何かと天秤にかけてきた。
ー
友人の言葉を思い出す。
「いい靴はいい場所に連れて行ってくれるよ」
そう言って彼女は新天地へ行った。今では憧れの人と仕事をしている。
すり減った自分のスニーカーと、彼女の美しいハイヒール。
それを恥じたこともあった。
けれど、私は私にとっての"いい靴"を見つけた気がする。
私が行きたいところに連れて行ってくれる、最強の服。
ー
「必要なもので、気に入ったものに、悪いことはないよ」
その通りだった。
買ったことを後悔したことは一度もない。
ためらいは自分を守るためだった。
知らない世界に一歩を踏み出すのがこわかった。
でも、あのとき必要で、気に入ってしまった。
おかげで今はどこにでも踏み出せる。
ー大丈夫。
袖を通すと背筋が伸びる。
うん、まったくそのとおりだ。
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