「やりたくないことリスト」を書いたおかげで
3年前に「やりたくないことリスト」を書いた。内容は本当に単純なことで、書くきっかけも些細なものだった。
やりたくないこと
・残業
・単調でミスが許されない仕事
・親しくない人と食事すること
・クレーム処理
などなど、15個くらい。
当時私はそれなりに規模のある会社のオフィスワーカーで、新しい部門の立ち上げのようなことにも関わっていた。3つくらいの役割を(責任は重くないものの)かけもちしていたのに、フロアで最年少だったから、「鳴り止まない電話をとる」みたいな小さなタスクも山積みだった。
やりたくないことはすらすら書けた。やりたくないことだけれど、ずっとやってきたことばかりだった。
「やりたくないこと」をつらつらと書き連ねたあとに、「やりたいこと」と題してリストを作った。でも、書き込んだ「やりたいこと」は3つしか書けなかった。4つめの項目は書きかけで、そのままリストは終わっている。
時間が足りなかったのではない。どんなに考えても書けなかったのだ。
結果として、私は
やりたいこと
・四季の移り変わりを感じる
・穏やかに読書
と書いている。…泣けるぜ。
とにかく当時の私は「やめたい」という気持ちだったのだろう。仕事にはやりがいを感じていて、周囲の方々も優しかった。けれど、多分、私には不相応で、合っていなかったのだと思う。
なんで書いたのか覚えていないくらい些細なきっかけで書いた「やりたくないことリスト」は、見て見ぬふりをしていたその気持ちをはっきりと見せてくれた。それから、何かを「やりたい」という気持ちがないという、かなしい事実も浮き彫りにした。
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リストを書いた半年後、私は転職をした。新しい職場はほぼ真逆の環境だった。リストのことなどすっかり忘れて、オロオロしながらも少しづつ慣れていった。
それから1年以上たって、ふとしたきっかけでリストを見つけた。
私はとても驚いた。そこにある「やりたくないこと」の大半を、私はもうやっていなかった。
そういう職場を自分で選んだ、と言えばそれまでなのだが、ほんとうに書いたことすらすっかり忘れていたのだ。まだ前の職場での経験や感覚を引きずっているくらいの気持ちだった。書いてあるものと現実を照らし合わせたとき、はじめて「その通りになっている…。」と気がついたのだった。
私は、引き寄せ〜とか幸せを呼ぶ〜とか、そういうなんかふわっとしたスピリチュアルな言説を警戒するタイプだ。でも、「書く」ことには何か力があるのかもなあと思った一件だった。だからといって「やりたいこと」の続きを書くことも、「やりたくないこと」を付け加えることもしなかったのだけど。
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またいつか、やめたいのにやめられないとまらない、かっぱえびせんみたいな状態でグルグルすることがあったら、「書く」の力に頼ってみようと思う。「やりたくない」と紙にむかって、画面にむかって、言ってみるのだ。
そのときまた、同じようにはならないかもしれないけれど、「これはやりたくないことだ」と自分に対して文字で示すことは、頭の中で考えること以上に重要なことなんだと思う。たぶん。
今日はふと、そんなことを考えていました。
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