見出し画像

No.242 Bob Dylan ボブ・ディランを追い続けて(3)デビューアルバム「ボブ・ディラン Bob Dylan」と出会って

No.240の続きです)

ボブ・ディランの素顔を、いったい何歳くらいの人なのか確かめるべく「梶田レコード」の小さな店内の「ボブ・ディラン」のコーナーで、LPレコードを括り始めた。

LPレコードの左側には、タイトルや説明を兼ねたキャッチコピーなどが書かれた縦長の帯紙が掛けられていることが多かった。この当時の戦略だったのだろうか、ボブ・ディランのLPを初めCBSソニーのレコードには、上部に横長の帯封が付いているものも多く、文言が読みやすかった。

10枚近くあったLPレコードジャケットに映るボブ・ディランの顔のいずれも、店内の壁に掛けられている「セルフポートレイト・自画像」の絵とも、僕が勝手に描いていた中年男性のイメージともまるで違っていた。この時19歳の僕より少し多い年月を過ごしているだけと思われる写真のジャケットもある。色白で無造作な縮毛が目に付く西洋の若者が野心に溢れる眼差しを向けてくる。

ちょっと気恥ずかしそうな若者が、彼の左の腕をしっかりと両手に抱いて正面を見る金髪の女性とふたり、寒空の街を歩いている写真が微笑ましいジャケット上部の説明を読むと、「フリーホイーリン The Freewheelin’」と名付けられた2枚目のアルバムで、この時までに僕が知っていたボブ・ディランの唯一の曲「風に吹かれて Blowin’ in the Wind」が収録されている。

苦悩に満ちた短髪の顔のアップが白黒写真に収まっているジャケット「時代は変わる The Times They’re a Changin’」の老生したような若者と、左手にギターを持ち右手をかぶった帽子にかけて幸せそうに微笑む「ナッシュビルスカイライン Nashville Skyline」の中年男性?が、一つの名前「ボブ・ディラン Bob Dylan 」に収まらずに居心地の悪ささえ覚えた。

散々迷った末に、梶田レコードの店主に渡した一枚は、マリンキャップをかぶった、少年と言っても違和感のない歯にかむような横顔を見せるボブ・ディランのデビューアルバム「ボブ・ディラン Bob Dylan」だった。

帰宅して、30数センチ四方の厚紙のジャケットを覆っていたセロハンを丁寧に破り、中からレコードを取り出すと「BOB DYLAN」の文字が唐突に目に入り込んできた。レコード盤を覆う紙の袋には、小さな写真が何枚かと小さな文字がびっしりと印刷されていた。

解説書も同封されていたが読まずに、まずはレコード盤を小さくも大事にしていたプレイヤーの上に乗せ、レコード針を動かすいつもの儀式を始めた。

かき鳴らすようなアコースティックギターに続く鼻にかかったようなシャウト、怒涛のハーモニカとリズムが狂っているかとも聞こえる言葉の洪水の一曲目「彼女はよくないよ She’s No Good」の後に、これも歌なのか、独り言のような「ニューヨークを語る Talking New York」が続き、ラスト13曲目「僕の墓はきれいだよ See That My Grave Is Kept Clean」までを聴き終わった時、そこまで聴いてきた音楽のいずれとも違う「ざらっとした感触」に「う〜ん」と唸っていた。

幼少期より何となく耳にしていた日本の歌謡曲、音楽の授業で触れたクラシック音楽、スクリーンから広がった映画音楽の世界、PPMピーター、ポール&マリー、サイモンとガーファンクル、ビートルズ、親友カツモトくんの家で共に聴いたシャンソンやカンツォーネなど欧米のポップミュージック…

広大な「音学」の大地を歩き始めていた僕の前に、どれほどの高さなのだろうか「Bob Dylan」という山が立ち塞がったようだった。山の正体を確かめるべく、中村とうようという人が書いている解説書と、CBSソニーの宣材であろう袋に印刷された小さな文字を、よじ登り始めた。

・・・続く

上部に帯封が付いたまま保存盤の一枚。一度もレコード針を落としていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?