見出し画像

No.156 「2回目の人生」フジヤ酒店の思い出(3)両親の決心

No.156「2回目の人生」フジヤ酒店の思い出(3)両親の決心

No.021 No.114の続きです)

学習塾をしている今もそうなのだが、4階建ての4階が自宅で1階が仕事場、職住接近の環境である。

実家は、僕が高校生になる頃まで福島県いわき市で酒造業を営んでいて、東京の酒問屋さんにも製造した清酒を販売していた。高速道路も開通していない当時、働き者でマメだった父武は、道の空いている深夜に自ら常磐道を運転し、実家から片道200km4時間一泊の行程で家族と代々続く家業を支えていた。

僕が小学4年生の時だったか、清酒を販売していた縁から東京都板橋区に酒販店を譲渡したい方がいるとの情報が入った。「入った」と書いたが、小学生の僕や中学生になっていた兄や姉も含め、ずっと後になって知る話である。

金額的にも決して小さな話でもなく、父武も母ユウ子も迷ったところはあったのだろう。「先祖」の意見も聞いてみようと考えたか「買う」「買わない」と書いた2枚の紙片を作り折り、茶の間から離れた部屋にある仏壇に供えた。

ある日の夕飯を終えた後だったか、両親は兄に静かに伝えた。仏壇に行きお祈りをして、仏壇に供えた紙片二枚のうち一枚を持ってくるようにと。

兄が持ってきた紙片を父武が開き、母ユウ子と顔を見合わせたあと、兄に紙片を仏壇の元の位置に戻すように言った。次に姉にも同じようにするように伝えた。好奇心にとらわれた僕の「えっ、何、何?何かもらえるクジなの?僕も引けるよね?」との無邪気な問いに答えたような、茶の間の仄かな灯りの下に浮かんだ両親の軽い微笑みの表情が優しく僕の身体の片隅に残る。

姉が兄と同じようにして一枚の紙片を持ってきて、同じような時間が流れた後が僕の番だった。何か大事な役目を両親から授かった思いを持って、幼い頃から習慣となっていた動作、仏壇に置かれた線香の一本を取り、蝋燭の火で線香の先を赤くして線香立ての灰に立てる。あれはなんと言うのだろう、小さな木槌のようなもので金属製のおりんをチーンと鳴らした後に両手を合わせ、特に言葉を思い浮かべることも無く目を閉じる。そしてこの日は大事な「クジ引き」があった。

折られた紙を開く誘惑に駆られながらも、なんとか開かずに両親の元に持っていった。紙片を開いた両親が、目の前の子供たちに言うでも無く言葉を漏らした。「3人とも『買う』だね」。

東京都板橋区の片隅にある一階平屋建ての小さな酒販店「フジヤ酒店」を初めて訪れるのは、翌年小学5年生の夏休みのことであった。

・・・続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?