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No.189 僕の映画ノート(1)三歳から小学四年生まで

No.189 僕の映画ノート(1)三歳から小学四年生まで

noteに、雑文を徒然なるままに書き溜めていって1年2ヶ月になろうとしている。取り上げてきた話題は英語、旅、交友関係など様々だが、共通しているのは「思い出」すなわち自分の人生の中で触れてきた事象である。

映画に関しても何度か書いてきた。noteの最初の投稿、No.001 talk to her「トーク・トゥ・ハー」からNo.008 Nuovo Cinema Paradiso 「ニュー・シネマ・パラダイス」までは全て映画のタイトルをつけている。ただし、映画の内容にはそれほど触れずに、その映画に関わる自分の思い出に触れる形を取っている。まあ、演出を考えて少しばかり洒落たつもりで書き始めたわけだ。

1957年三歳の時、始めて映画館に入って「チャンバラ映画」を見ている。後で付け加えた記憶ではない。怖いくらいの暗がりの中、主役の侍が敵を次々と切り倒している場面と、味方の数人が敵の忍者を追いかけようとして「待て!」と主役の侍が皆を制する、すると地面に数個の「マキビシ」がある場面が、スクリーンに映される特有の色彩と共に記憶に残っている。

どんな状況で映画館に行ったかは、母ユウ子から後で聞いて知った。祖母が亡くなり自宅で葬儀が行われたとき、うるさかった僕を誰かが連れて行ったとのことだった。葬儀も含め祖母のことはほとんど記憶にない。日の当たる茶の間に座り、裁縫をしている祖母タツの姿をおぼろげに覚えているような気もするのだが、これはセピア色の古い写真から作られた記憶かもしれない。

次に覚えている光景は、昭和30年代の日曜日の朝の映画館入り口の混雑ぶりである。おそらく父武が僕たちきょうだい3人を近所の映画館に連れて行ったのだった。あまりの混雑ぶりに「午後からの上映時間に来ようか」となったと思う。「上映時間」などの言葉を五歳前後の僕が知識として持っていたはずがないので、こちらも若干脚色された思い出である可能性が高い。

テレビが全世帯に普及する前の1958年に映画館入場者数はピークを迎える。この年の映画館入場者はのべ11.27億人、大雑把に計算すると、子どもも含め国民一人当たり一年に12回程度映画館に足を運んでいたことになる。かなりの回数のように感じる。僕の生まれ故郷の小さな街いわき市小名浜にも数件の映画館があったことも納得である。現在の様子から、街のかつての賑わいを感じることは難しいであろう。

五歳か六歳の時で、既に幼稚園に行っていたかどうかは分からない。二歳上の姉早苗と二人だけで東映映画「独眼竜政宗」を見ている。ネット検索で調べると、主演が中村(萬屋)錦之介、共演として佐久間千恵子、他に月形竜之介、岡田英次、大河内傳次郎の名前がある。かなりの豪華キャストと言って良い顔ぶれだ。1959年の公開なので、年齢の記憶は合っていた。

子どもの自由を認めていたと言うべきか、遊び好きな我が家の家風と言うべきか、どんな状況のもと、二人だけで大人の娯楽施設に足を向けたのだろう?姉は覚えているだろうか。

映画の中で、伊達政宗を演じる中村錦之介が敵の矢に右目を射られ隻眼となる場面がある(史実とは違います)。姉と二人ぎゃあぎゃあと騒ぎ、前に座っていたおじさんが振り向き「うるせえ!」と言ってきた。怖がるよりも、姉と二人笑いを抑えた覚えがあるのだから、幼少時よりめげない性格だったようである。最後のシーン、天守閣で伊達政宗と姫(佐久間良子)が抱き合うシーンを見て「いいなあ」と思ったのをハッキリと覚えているのだから、この辺りから異性に対する憧れが芽生えたのかもしれない。

1960年六歳の時、父武・母ユウ子・兄利・姉早苗と僕、家族五人で、今は無き街の洋画専門館「銀星座」で、イタリア映画の巨匠ピエトロ・ジェルミ監督・主演のサスペンス「刑事」を見た。僕の初めての洋画体験だったが、内容もシーンもさっぱり覚えていない。字幕を追いかけた記憶もないので、単純に話に追いつけなかったと思われる。

帽子とサングラス、タバコをくわえたピエトロ・ジェルミ演じる刑事をカメラが右下から捉えた構図のポスターが印象に残り、後に知ることになる大ヒット主題歌「死ぬほど愛して」の歌詞「アモーレ、アモーレ、アモレミオ」と意味も分からずに、姉と口ずさんでいた記憶はある。

それから数ヶ月後、小学一年生になってすぐの時だった。東映動画スタジオの長篇漫画映画「少年猿飛佐助」を見て、衝撃を受ける。暗い映画館はそれだけで日常から離れた異空間で、空を飛び敵の鬼女を追う主人公佐助は僕の初めてのヒーローとなった。

翌年の東映作品「西遊記」は「少年猿飛佐助」とはだいぶ違う雰囲気を持った作品だった。「少年猿飛佐助」に感じた怖さを「西遊記」の方にはあまり感じず、登場人物たちの心情を描くことに力を入れてあるように子供ながらに感じた。どちらも甲乙つけがたい感動があった。

「西遊記」で「手塚治虫」の名前を知ることになり、映画よりも、漫画の世界に入り込んで行くこととなる。小学一年生の時、今に続く交友関係を持つ「カツモト」くんと出会い、彼が転校する小学四年生の終わりまで、毎日遊び回る日々を送る。この間は、それなりに映画を見ていたのだが、「少年猿飛佐助」「西遊記」以外記憶に鮮明な映画はない。

三歳でチャンバラ映画を見てから「西遊記」に至るまでの期間を映画との触れ合い『僕の映画ノート・第1章」とすると、小学校五年生になった時から中学三年生で「ある映画」に出会うまでが「僕の映画ノート・第2章」と言える。

・・・続く

(このシリーズ「僕の映画ノート」は、僕の他のnote記事同様、あまり時間軸にとらわれず思いつくままに書き連ねていくつもりです)

追記:この記事を書いた直後、「刑事」を無性に観たくなった。ネットでDVDを購入。記事の三日後に60年ぶりに「刑事」を観た。当然のように「初見」と言って良かった。とてもいい作品で、何かホッとした。


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