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No.245 「小野さん、このままだと死にますよ!」糖尿病克服?記録(2)健康への過信と宮本先生との出会い

(No.244の続きです。初めの部分は同じです)

いつにも増して真剣な表情の宮本先生の前のスツール椅子に腰を下ろした。先生は開口一番「小野さん、このままだと死にますよ!まずいです」と、告げられた。後ろには誰がいるわけでもなかった。僕に向けられた言葉なのは明らかだった。

器具が示したデジタル数字は「血糖値250」かなりまずい値と言われたものの、宮本先生との約束値「300」を下回り、インシュリン投与は免れた。「250」の表示に、人格者の先生が患者を思い安堵したのか、準備したインシュリンが無駄になりガッカリしたのか、前者であろうが、後者の気持ちにユーモアを感じてしまうのは、僕の性であろうか。

今にして思うと、数日前よりにわかに始めた食生活改善が功を奏し、自覚症状が出たあとの「清涼飲料をガブ飲み」故の記録的数値「血糖値856」は一時的なものだったか、複合的な理由だったような気もするが、判然とはしない。

恵まれたことに、自分の健康について、幼少時より不安を感じることなく過ごしてきた。大病を患らった経験がない上に、病院のベッドに数時間寝たこともなく、骨折をしたこともない。インフルエンザは罹ったこともなければ、予防接種を受けたこともない。酒屋商売時代を経てからの学習塾経営の四十数年の間、体調を崩しての臨時休業は一度もなく、風邪をひいても鼻風邪程度で済んでいる。

今年古希を迎える年齢になったが、視力は1.5くらいで近視でも老眼でもない。一階の学習塾と四階の住まいを結ぶ階段を、一日に何度も軽く走って昇り降りしている。

以前より「食べ歩き」を趣味の一つとしてきたし、姉から送ってもらう30kgの白米を一人で持て余すこともない。セントルザベーカリーの二斤のパンは三日ほどで完食するのが常だった。洋菓子も和菓子も大好きで、塩辛いものにも目がない。

そんな僕の体型は、食生活を変える前で165cm小柄で56kg程度だった。人からは「痩せていますね」と言われるが、二十歳の頃51kg前後、既成のスラックスを購入するときに、最も細いサイズを2・3cm詰めてもらっていたことから、太ってきたな〜と、自己判断をくだしていた。

どのくらい前だか覚えがないのだが、板橋区の健康診断で「高血圧に注意」「糖尿病に留意」してくださいとの判断がなされ、その時以来近所の内科医院で薬を処方してもらっていた。それでも己の健康に関して、過信してきたと言って良いだろう。生活習慣を改めることもなかったし、血糖値や血圧を気にしたこともなかった。

近所の内科医院は、勤務医がコロコロと変わり、ほんの少しの問診と薬の処方だけのおざなりのものだった。数年通ったのち、閉院の通知が郵送されてきた。あららー、新しい内科医院を探さねばならぬ羽目に陥ったのである。

小児科や皮膚科を兼ねた内科医院は混む傾向があり、避けたかった。ネット検索をすると、自宅から車で5分ほどの所に、診療時間19時から22時、月曜日から木曜日のみという、おあつらえ向きの内科専門「宮本医院(仮名)」の名前が目に飛び込んできた。

どのような経緯で、この時間帯のみの診療なのか、まるで見当がつかず、かえって混んでいるかと想ってみたり、手塚治虫の名作漫画「ブラックジャック」の傷だらけの顔まで浮かんできたりして、ともかく足を運んでみようと決めた。

塾の仕事を早めに終えた月曜日の21時過ぎ、主要幹線中山道から脇道へと愛車プリウスを滑り込ませ、おそろしく入り組んだ小道の突き当たりに、外観の一部が半円柱の洒落た建物に着いた。車二台駐車できる程度のスペースの横、移動式の電飾看板の上に明るく「宮本医院」の文字が目に入ってきた。隣に、綺麗に刈り込まれた高さ3mほどの真っ直ぐな木が聳えている。

思ったよりもずっと綺麗な待合室に入ると、患者は誰もおらず、初診の手続きを終えると、すぐに名前を呼ばれ診察室へと入った。そこには、僕より少し若いだろうか、恰幅の良い体格ににこやかな顔の白衣姿の男性がいて、椅子からすっと立ち上がった。

「初めまして、小野さん、かな」
首に掛けられた聴診器が似合っていて、愛嬌ある笑顔を向けてくれた。
「あっ、いいお医者さんだな」僕の嗅覚が囁いた。
宮本先生との出会いだった。

・・・続く

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