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Re-posting No.064 伝説の蕎麦屋・納札亭六輔の思い出

Re-posting No.064 伝説の蕎麦屋・納札亭六輔の思い出(若干書き直しています)

「こんにちは」声をかけます。
「あんた、何モンだい?」男の返答です。一瞬、吹き出しそうになりました。
「当ててみてくださいよ」店の主人と客との会話とは思えないやり取りでした。

僕が初めてその蕎麦屋を訪れたのは、1990年でした。まだ酒屋商売をしていました。連れ合いの由理くんと共に、時には一人で、あちこちと一番食べ歩きをしていた頃です。そのお店は東京日本橋馬喰(ばくろ)町にありました。1988年頃に創業して10年程営業をしていて、僕は3度訪れました。今はもうありませんし、主人の行方も分からないようです。今は伝説の店と呼ばれる「納札亭六輔(のうさつていむすけ)」由来が知りたくなる名前と独特の蕎麦、ここの「オヤジ」の印象が鮮烈です。

「お蕎麦屋さん」から「お」と「さん」を取って「蕎麦屋」が、何とか当てはまるかな。「オヤジ」と書きましたが「主人」も含め、40歳前後かと見えるが意外に若そうな外見とも相まり、なんと呼ぼうとしっくりこないのです。どんな名称、形容詞を使っても、他のお蕎麦屋さんの誰かと、特徴と重なってしまい、それはどうも違うのです。それくらい唯一無二の存在は、どの世界でも珍しいと思います。「納札亭」は、そんな「人」と「場所」でした。蕎麦を提供して代金を受け取ることを考えれば、一軒の「お蕎麦屋さん」で、一人の「ご主人」なのですが。

「週間現代」か「週刊ポスト」で料理評論家の山本益博氏が「納札亭」を取り上げていて、その存在を知りました。写真入りの記事だったのを覚えています。この当時「味のグランプリ」を始め、山本益博氏の本はお店選びの一つの指針となっていました。話は少しずれますが、山本氏は4度も見かけています。六本木にあったフレンチ「ボン・アトレ」のランチタイム、数寄屋橋「次郎」こちらがお昼を済ませ帰る時、サントリーホールで二度、一度はこちらの真後ろでした。終演後、声をかけようとしたら、もう姿がありませんでした。

五月の爽やかなお昼どき、下町風情の残る馬喰町をひとり歩きます。歩を進めていると、道路に向けて、引き戸の入り口の日本家屋がありました。民家ではなさそうですが看板も暖簾(のれん)もありません。ハッとしました。どういう訳か、家の前に木箱が置かれてあり、フランス人形が二体横たわり、こちらに目を向けています。彼女たちは何か探っているようでもありました。見ると人形の横に高級そうなワインの空き瓶が4、5本あります。異様な組み合わせ、光景でした。直感的に「納札亭」はここだなと確信し、少しだけ引き戸を引いてみます。動く。もう少し力を加え引き戸を開けました。中に左足を踏み入れ、体を戸の中に慎重に運び入れました。

引き戸から一番遠い位置、「コ」の字型のテーブルに囲まれるようにして、右半身をこちらに向けるように立っていた男が、首を回し、ジロリとこちらを見据えました。こちらの視界には、他の人は入ってきません。二人だけで対峙する形です。

「こんにちは」声をかけます。
「あんた、何モンだい?」男の返答です。一瞬、吹き出しそうになりました。
「当ててみてくださいよ」店の主人と客との会話とは思えないやり取りでした。
楽しくなってきました。こういうの好きなのです。
「分かんねえよ」男の口元が緩むのが、見てとれました。
「えーと、お蕎麦食べに来たんですが。座っていいんですか?」
「好きなとこ、座んな」

後に分かることですが、同業者(お蕎麦屋さん)はお断り、一見(いちげん)さんは断られることが多かったそうです。僕は「納札亭六輔」のテストに合格だったのでしょうね。

こちらが腰を落ちつけてからは「納札亭」ひねた蕎麦研究教授の講釈に付き合わされる学生の体(てい)です。あるいは客も巻き込む講談で「納札亭」とは寄席の名前であったかと思うほどです。

客が来てから蕎麦を打つどころか、まず蕎麦粉を秤(はかり)で量るのです。特注の鉢でしょうか、蕎麦粉を中でこねて団子状にしていく。この間、こちらに色々と尋ねてきたり、蕎麦の講釈を聞かされました。「あんた、どこの蕎麦が好きだい?」蕎麦粉をこねる手は止めずに、上目遣いに視線を向けてきました。

それまでに「味のグランプリ」で三つ星を獲得しているお蕎麦屋さん「翁」「本陣房」「田中屋」など、結構な数のお店で食してはいましたが、野生の勘というか視線に危険を感じたと言うか、僕は「特にどこというのはないかなあ」と答えていました。

これも後で聞くことですが、どこの店の名前を出しても、酷評だそうです。(翌年だったか「味のグランプリ」の改訂版で「納札亭六輔」は三つ星を獲得しています)こちら、人に質問するタイプなので「納札亭」の良き生徒だったようです。この時僕は30歳台、客としては若い方で「納札亭」にとって話しやすかったのかもしれません。産地の違い、茹で方での注意、偽の十割蕎麦・・・蕎麦講義は興味深いものでした。

「納札亭」こねた蕎麦を取り出し、のし棒で薄く伸ばしていきます。お喋りが減っていきました。蕎麦包丁を右手で握り、カッと目を見開きます。伸ばした蕎麦に戦いを挑む「納札亭六輔」劇場のクライマックスです。タタタッ、タタタッ、数秒遅れたら蕎麦の香りが飛んでしまうと言わんばかりの速さで手が上下に動き、体は対照的にゆっくりと左方向に進んでいきます。戦いの後、ガス台の横、全体がまな板のような木のスペースの上には冷麦(ひやむぎ)かと思うほどの細い蕎麦が横たわっていました。

沸かしておいた熱湯に蕎麦を入れます。一度静まった湯が数十秒後に再び湧き上がりました。その瞬間に火を止め、蕎麦を水に浸します。高価そうに見えるザルにサッと盛り付ける。「あんた、何モンだい?」から40分、出された蕎麦は、初めて食べる味でした。それまで食したどの蕎麦よりも細く、喉に何の抵抗もなく入っていきます。おそらく最高の蕎麦なのだろうとの判断はできました。お値段2500円、せいろ蕎麦のみ。正直、そこまでの金額であれば、他の料理を選びそうでした。「納札亭」を出るまで、他の客は来ませんでした。

ふた月後くらいに、由理くんと二人で訪れました。蕎麦好きの由理くんは美味いと唸っていましたが、そこは関西人「ちょっと値段良すぎやわ」の感想でした。この時は、常連さんらしき男性がひとり。「納札亭」はこちら二人に講釈をたれていました。

それからまたふた月後くらい、三回目の訪問は、蕎麦好きな友人夫婦と合わせて4人で行きました。この時は参りました。友人などと行ってはいけなかったのです。お昼に行って蕎麦が出るまで、1時間半かかったのです。食べ終わるまで2時間弱。4人だから当然でしょうね。これが僕にとって最後の「納札亭六輔」になりました。友人夫婦の感想は「美味しかったけど、時間と金額を考えるとね」でした。

あれから30年の月日を数えました。今、お蕎麦は以前よりずっと好きになっています。好き勝手な講釈を垂れながら、客を客とも思っていなかったような「納札亭六輔」の蕎麦を、今食べたら、どう思うのだろうか。「納札亭」は、何か「人の生き方」を僕に問うて来て、懐かしくもあるのです。

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