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No.238 ブルース・スプリングスティーン1985年初来日・伝説の熱きライブの渦の中で / 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(2)

No.238 ブルース・スプリングスティーン1985年初来日・伝説の熱きライブの渦の中で / 来日ライブコンサート備忘録 ロック、ポップス編(2)

No.234の続きです)

05)ブルース・スプリングスティーン&E ストリートバンド Bruce Springsteen & E Street Band「Born in the U.S.A Tour」 1985年4月 東京5公演・京都・大阪2公演
4月13日 国立代々木競技場第一 A席4000円 3階B-L列9番

「The Boss」の愛称で知られるブルース・スプリングスティーンはアメリカを代表するロックミュージシャンの一人で、今年74歳になる。

もう40数年も前のことになるのか、1975年くらい「第二のボブ・ディラン」をキャッチフレーズとしてブルース・スプリングスティーンの日本デビューアルバム「青春の叫び The Wild, The Innocent & The E Street Shuffle」が売り出されたのは。(日本で2枚目に発売された「アズベリー・パークからの挨拶 Greetings From Asbury Park, N.J.」が、本国アメリカでのデビューアルバム)

映画に惹かれたのと同様に、ボブ・ディランをはじめ洋楽ロックミュージシャンを中心に音楽にも、貪欲に興味の範疇を広げていった二十歳前後の時期、情報源の一つが朝日新聞の文化欄だった。

レコードの新譜紹介やコンサートライブの評論を担当していた一人が、1970年代までのボブ・ディランのレコード解説も書いていた音楽評論家の中村とうよう氏だった。幅広い知識の裏付けと音楽に対する温かい眼差しを基に、中村氏の推薦するレコードやライブは間違いないものと判断していた(No.234)。

LPのカバー写真と共に紹介されていたブルース・スプリングスティーンの「青春の叫び」もすぐに購入して、疾走感溢れる7つの楽曲から「ディランとは似て異なる」思いを持ったが、すぐに好きなミュージシャンの一人となった。

ブルース・スプリングスティーンはその後「明日なき暴走 Born to Run」「闇に吠える街 Darkness on the Edge of Town」「ザ・リバー The River」「ネブラスカ Nebraska」とアルバムをリリースして、一枚として気に入らないものはなかった。そして、1984年世界的大ヒットとなるアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A Born in the U.S.A」でロックミュージシャンとして確固たる地位を築いた。

そんな最盛期を迎えたブルース・スプリングスティーンの初来日公演のチケットが1985年3月に売り出された。チケットは争奪戦となり、僕も電話をかけ続けたが呼び出し音が延々と続き、1時間後には受話器の向こうから、非常にも「チケット販売は終了いたしました」の声が届いた。

手に入らないとなったら、諦めるよりむしろ何とか手に入れたくなる性である。「持つべきものは友人」、連れ合いの由理くんの知り合い筋をたどり、チケット2枚をどうにかゲットした。この辺りの裏話は近々「戯ごとシリーズ」にでも書いてみるかもしれない。

ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド初来日公演、東京は国立代々木競技場(オリンピックプール)で、4月10日(水)を初めとして5公演、僕と連れ合いの由理くんのチケットは公演3日目の13日(土)だった。

当時経営していた酒販店を早仕舞いして、さあ会場まで急ごうとなっても、連れ合いの由理くんのお化粧と装いが遅々として進まぬ。急かしたところで、勝てる相手でないことは、この時までの結婚生活で学んでいる。由理くんのこの類の面白エピソードも稿をあらためよう。

「少しくらい遅れてもええやん」と言いそうな、一向に悪びれる様子も見られぬ由理くんを助手席に、酒屋商売時代の愛車カローラバンを明治通りに乗せ、会場の代々木へと急ぐ。前もって調べておいた特設の駐車場は直ぐに分かって一安心。

足早で入口へと行くと、開演時間ちょうどになっていて、入場者の列は無かった。しかし、チケットが取れなかったのであろうか、かなりの人が入り口ガラス扉にくっついていたり、建物の周りを取り巻いていた。

我々二人がチケットの半券を受け取ったその瞬間、会場の照明が落とされ、会場内からの聴衆の歓喜の叫びと、会場外からのガラス扉を叩く音とおそらくは歓喜と羨望が入り混じった悲鳴が同時に耳に届いた。

案内係の後ろについて、客電が落とされた薄暗い通路を上へ上へと上がり、ステージからかなり離れた我々にあてがわれた3階席に着くと同時に、ざわめきを打ち消すようなE-Street Bandの轟音が鳴り響き、それに負けじと一層の歓声と「BRUUUCE!!」と歓呼の声が上がり、「Born down in a dead man’s townー死んだような町に生まれ」ブルース・スプリングスティーンの野太い歌声が届いた。

1985年4月13日(土)ブルース・スプリングスティーン&Eストリートバンド「Born in the U.S.A Tour」日本公演3日目、3時間になんなんとするも少しも飽きさせることの無い熱きライブは、聴衆の心を鷲掴みにして一体感をもたらし、三階からの眺めの悪さなど吹き飛ばし、ロックライブの一つ頂点を示し、至福の時を与えてくれた。


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