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読みにくい文章が、救ってくれる夜もある——『洲之内徹ベスト・エッセイ』が出て嬉しい

 読みやすい文章を書くべし。

 大抵の文章指南本にはそう書いてある。私もライターの端くれとして、文章の読みやすさを仕事で意識しなかったことはない。できているかはともかく、仕事で書くときにはそこにかなり神経を使ってきた。

 でも、正直に言ってもいいだろうか。

 読みやすい読み物に、救われない時って結構多い。

 するする読める文章も好きだし、何よりありがたい。特に大急ぎで何かを調べる必要がある時などは、読みやすい文章だと救われる。

 だけど、しんどい時、やっていられない時、悩みで頭がぐるぐるしている時、自分の中にしっくりくる言葉が見つからない時、私はむしろ、「読みにくい文章」を読みたくなる。もちろん、ただ単に読みにくい不細工な文章であればいいというわけではなく、”魅力的な”読みにくい文章、ということだけど。

 というわけで、かつてすごくしんどかった時期に私を救ってくれた、そして今も私の精神的支柱のひとつになっている、とある大好きな「読みにくい」読み物のことを紹介したい。
  
 それが、洲之内徹の『気まぐれ美術館』シリーズである。

古本屋で買った分。これに加えて文庫が二冊あるが本棚から発掘できず……。


 洲之内徹は、1913年生まれの随筆家・小説家、そして画商で画廊主だ。書いた小説が芥川賞の候補になったこともあるが、随筆集であるこの『気まぐれ美術館』シリーズが彼の代表作である。

 といっても、その辺の人に「洲之内徹って知ってる?」と聞いて回っても、YESと返す人はそういないだろう。世間一般的に有名な人、とはとても言えない。正直、どういう人が洲之内徹を読んでいるのか私にもさっぱりイメージがつかない。日本の洋画が好きな人か、昭和の随筆が好きな人なのか、うーん。

 ともあれ『気まぐれ美術館』シリーズは、現代画廊という画廊を運営していた洲之内徹が、自分の愛する絵やその描き手についての思索を記した、ちょっと不思議な読み味の随想である。「芸術新潮」にて165回掲載したのち、全5巻の書籍となった。

 洲之内徹と交流のあった白洲正子によれば、小林秀雄は洲之内のことを「今一番の評論家」と言ったらしい。が、これが美術評論や批評といったジャンルに属する読み物なのか、私にはよくわからない。

 絵から思いついたことや描き手との関わりの中で見聞きしたものを、山場もオチもなく、ただ長々くどくどと書いているだけのように見えることもある。しかもその「思いついたこと」というのも、けっして高尚なことではなく、どうということのない思い出話だったり、愛人とその間にできた息子とのエピソードであったり、完全にうろ覚えの噂話だったりする。

 要は、エビデンスとかデータとか批評用語とか、その手のいかにも賢そうな要素がほぼ出てこないのだ。ただただ手ぶらで感じたこと、考えたことだけが記してある。もちろん、テーマに掲げた作品や作家にまつわる資料はさまざま目を通しているし、取材にも行っているのが文章から伺えるが、それを評論っぽくかしこまって引用することはまるでない。

 そういう意味では決して難解ではなく、「わかりやすい」文章ではある。あの時どこそこへ行って誰と会ってこんな話をしたとか、この絵を見ているとこういう気持ちになるとか、そういう普通のことを書いているだけだからだ。

 だが、じゃあ平易で読みやすいのかというと、これがいわゆる読みやすい文章ではないのだ。

 時代柄とはいえセンテンスもやたらと長いし、話があっちこっちへ曲がりくねる。PREP法だのSDS法だの、そんなすっきりした文章構成のフレームワークはまったく当てはめられない。起承転結も何もない。語り口は絶妙に内省的で、読者のことを半分放っておいているような印象がある。

 たとえば『セザンヌの塗り残し』におさめられた「湯布院秋景」という回の書き出しはこんな調子だ。

 私はいま、佐藤渓という画家のことを書こうと思い、原稿用紙をひろげて、何から書き始めようかと考えているところだが、頭を集中しようとすると、却って、飛行機というものは速いものだなあというようなことを考えだしてしまう。私は十一月上旬の十日余り、北九州から南四国にかけての旅をし、往きは東京から福岡まで、帰りは高知から東京まで飛行機に乗ったが、どちらも遠い遠いところのような気がしていたのに、一時間半くらいで着いてしまって驚いたのであった。
 飛行機のことなんか考えていないで、佐藤渓のことを考えなければならないのだが、いや、考えてはいるのだが、どう書くかを思いつくまでの間、読者にはとりあえず、図版の絵を見ていただくことにしよう。

『セザンヌの塗り残し』「湯布院秋景」

 これだけで300字。思考のうねりをそのまま書き記したような文章は、どこからどう繋がっていくのか予測が立たない。「記事の冒頭に三行で結論を書いておきましょう!」みたいなtipsが常識となった現代の読み物とは根本的に違う。そっけなく、不親切で、自己完結的である。

 だけど洲之内徹の文章の、そういうところが私は大好きなのだ。
 
 

 私がこのシリーズに出会ったのは、たしか大学3年生の終わり頃である。
 
 きっかけは、昔から好きだった白洲正子の随筆を大学図書館にあった全集で読んでいて、『遊鬼』のパートにあたったことだ。この中で洲之内徹のことが紹介されていて、なんだか面白そうな人だな、とそのまま図書館で『気まぐれ美術館』の一巻を取り寄せた。そしてドハマりした。

 こんなに私好みの文章があったなんて!

 たまげてすぐに全巻を借り、舐めるように読み続けた。返したくなくて貸出期間の延長をし、返したあともまた何度か借りた。『気まぐれ美術館』シリーズは絶版になっていたし、当時はまだネットで古本を買うのに抵抗があったのである。

 洲之内徹の文章は、私から見ると、とことん考え抜いているのに自然体であり、誰にも媚びていないのに特に孤高を気取る感じもなく、濃密なのに虚無的で簡素だった。とくに偉ぶるでも卑下するでもなく、世間一般のゴチャゴチャした比較の価値観からも特に意識せず距離をとっているような、そんな佇まいがとてもいいと思った。

 当時始めたばかりのTwitterでも、私はしょっちゅう「洲之内徹」を検索した。同じくらいの年齢で洲之内徹のことを語っている人がいたら、絶対にフォローしてやり取りするつもりだったのである(若くして洲之内徹の話をSNSに書き込むような物好きは私くらいで、同志には出会えないまま歳をくった)。
 
 卒業制作をしている間も、ずっと洲之内徹の文章を側に置いていた。心の支えにしていたと言っていい。
  
 というのも、この時期は私の人生でも指折りの暗黒期だったのだ。母子家庭だった我が家は常に家計が火の車で、私も常に体力の限界までアルバイトをしていた。それでも学費の支払いが追いつかず、2期連続で大学を仮除籍になった。すれ違う学部の教授たちには「お前大丈夫なのか」と声をかけられるし、体調はどんどん悪くなっていきストレスで連日じんましんが出るし、それでも卒業制作の締め切りは迫ってくる。

 私の卒業制作は、エッセイだった。「卒業論文」とは言えない。担当教授からは「お前はもうこれ以上本を読むな、しゃらくさい引用もするな、論文の体裁のことは忘れて、とにかく考えていることを全部ちゃんと文章にしてみろ」と厳命を受けていた。

 そんな時も私はよく『気まぐれ美術館』シリーズを読んだ。「考えていることをちゃんと書く」という、文章を書く上でもっともシンプルで難しいテーマを与えられた私にとって、その時一番の救いになったのが洲之内徹の言葉だった。

 考え抜いたことを何にも頼らず書く、ただそれだけのことが持つ強い力が、このシリーズには満ち満ちていた。

 私の実生活には何の役にも立たない、絵画の話。
 すでに死んだ、そこまで有名でも大金持ちでもなかった随筆家の語り。
 「盗んででも自分のものにしたくなる絵」を追い続けた、独自の審美眼を持つ洲之内徹にしか切り取れない世界。

 そこにまぎれもない真実があるから、私はこの文章から力を汲み取れる。

 洲之内徹に支えられた一年のおかげで、私は無事卒業制作を提出できた。そして、それだけではなく、読むことと書くことがますます好きになったのだった。

 

 ところで、そもそも「読みやすい文章」とは何だろう。

 文法の正しさは大前提として、昨今はとにかく、「センテンスが短いこと」「共感しやすいこと」の二つが特に重視されているように感じる。
 
 その結果、文章指南本などを読むと、毎回このようなアドバイスを拝むことになる。

 一文一文は可能な限り短く切る。
 「〜だが、」「〜だけど、」「〜たり、」などを使って文章をだらだら続けるのは極力避ける。特に逆接を使って繋げるのは御法度。
 「〜と思う」など曖昧な表現はせず、「〜だ」「〜である」と言い切る。
 何かを何かに例えるときは、誰もが知っている範囲におさめる。
 なるべく自分の失敗談や弱みを見せ、読み手に「自分と同じような存在だ」と思ってもらう……。

 これら全て、理屈としては正しい。

 ブックライティングをやっていたからわかる。これらを満たせば必ず読みやすいわかりやすい文章になるわけではないが、可読性の高い文章は、最終的に上記のような条件を満たすことになりやすい。

 自己啓発系ビジネス書が全部同じような文体なのは、「忙しいビジネスパーソンに、読み飛ばしながら理解してもらえる文章」の最適解がおおかたできあがっているからだ。もちろん、読みやすい文章だから内容が浅くなるとか、そんなことを言うつもりはない。商業用の文章で一番大切なのは伝える内容そのものであり、文体はあくまで便利なツール、読者を乗せて運ぶ乗り物である。

 だけど、同じような「最適化された読みやすい文章」ばかり読んでいると、あるいは書いていると、私はやっぱりちょっとつまらなくなってくる。元気がなくなってくる、と言ってもいいかもしれない。

 私は「文章で何かを伝えること」を自分のライフワークとしているが、「文章そのもの」の、多様な味わいを噛み締めるのも好きなのだ。それは作者の、つまりは人間の多様性の味わいに他ならない。

 いいじゃんか、「〜だが、」で文章をつなぎまくっていたって。
 「あるある」でない例えをしていたって。
 きれいなオチがついていなくたって。
 まったく共感できない話だって。

 自由に、だけど力強く書かれた文章を読みたい、書きたい。それが必ずしも「読みやすい」「わかりやすい」必要はない。その人自身の、本当のリズムで書かれているならそれでいい。いや、それがいい。

 それが文章の醍醐味ではないか、と。
 

 そういえば、阿部昭という1934年生まれの作家は、『散文の基本』の中の「淋しい文章」の項でこう書いている。

 日本語の文章が、一般にずいぶん平明軽快になった代りに、熱も力も失い、品格も落ちた。(略)なにごとも、断言は用心ぶかく避け、精密で、そつがなく、そのくせ当人は相当なことを言ったつもりでいるという、実に糞面白くもない話法筆法が流行している。
 調べる。情報を集める。分類整理する。比較する。解説する。ただそれだけ。——今はそういう時代である。
 淋しい文章の時代である。

、『散文の基本』

 この意見に全面的に賛同するかどうかはともかく、洲之内徹の文章は、ここに書かれた一般的傾向にはまるで当てはまらない。

 彼の文章は、調べただけでも、情報を集めて分類しただけでも、解説しているだけでもない。平明軽快でもない。絵と描き手に芯から向き合い、考え抜いたことだけをねちねちと、破綻も恐れないほどの粘りで書いている。そして多分、相当なことを言っているつもりなどまったくない。洲之内徹の文章は、阿部昭の言葉を借りれば「淋しくない」のだ。

 しんどい時。淋しい時。淋しくない文章を読むと、元気が出る。生命力が湧き上がってくる。そういうことなのだと思う。

 

なのでみんな、ちくま文庫の『洲之内徹ベスト・エッセイ』を読んでくれ
  

 そんなふうに洲之内徹を愛好してきたので、ちくま文庫から新しく、椹木野衣編で『洲之内徹ベスト・エッセイ』が出ると知ったときは驚いた。もういまさら、洲之内徹周りで大きな出版の動きなどないだろうと思っていたからだ。

 本シリーズは、『気まぐれ美術館』全5巻からの選抜で構成されている。私は全巻持っているが、それでももちろん今回の文庫も買った。何の知識もないただのファンだが偉そうに感想を述べると、納得のラインナップである。解説も非常に面白かった。椹木氏が洲之内徹から影響を受けていたなんてことは今回初めて知った。

 改めて、代表格とも言える随筆たちを読んで、やっぱりいいな、と思った。椹木氏の解説にあった、実は洲之内徹の言う「気まぐれ」とは「気紛らせ」だったのだという指摘を頭に入れて読むと、なるほどたしかに「砂」の食感が口に残る。

 ちゃんと2巻は出るんだろうか、小説や漫画みたいに売れ行きが悪かったら出ないみたいなことがあったりしないか……と不安に思っていたがそんなわけはなく、8月には2巻も出た。ただただ嬉しい。是非とも続けて読んでいきたいと思う。
 

 読みやすかろうが読みにくかろうが、こうやって誰かにひっそり力を与える文章こそが私の理想のひとつなのだと、これからも忘れずにいたい。
 
 


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小池未樹
読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。