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結婚指輪をはずす

結婚して約3年が経つこのタイミングで、買って以来つけっぱなしだった結婚指輪をとうとうはずした。ヘッダー写真の、小さい方が私の指輪だ。

ちょっと心境の変化があって……ということはまったくなく、分娩予定の病院に指示されたからである。分娩入院の際は、トラブル防止のためいかなるアクセサリーも禁止。また臨月はどんどん手足がむくんでくるので、指輪をはずしたくてもはずせなくなる可能性がある。このあとはいつ即入院になるかわからないんだから今のうちにはずしとけよ、というわけだ。なるほど。

そこにいるのがもはや当たり前になっていた結婚指輪をはずしたことで、久しぶりにこの指輪にまつわる記憶がいろいろと蘇った。

結婚指輪をどうするか結婚前の夫と話し合ったとき、私は「なくてもいいが、せっかくの機会なので買ってみたい。でもそう高価なものでなくていい」と言った覚えがある。すぐいたむものは嫌だが、ちゃんともつなら安物でもかまわない。別に資産価値の出るようなものでなくてもいい。

私は結婚するのにあたり、結婚にまつわる定番とされるイベントあれこれ……指輪を買うだとか式をあげるだとか、そういうことになるべくチャレンジしてみようと思っていた。なぜかというと、そういう気持ちでいなければ私の場合、生来のドケチと怠惰から、ありとあらゆるものを不要と判断するに決まっているからである。

夫もほぼ同じような温度感だったため、婚約して1ヶ月すぎにはとっとと二人で結婚指輪を買いに行った。

購入先は私の発案でケイウノにしたが、ここを選んだ理由は「友人夫婦がそこで指輪を作っていた」「シンプルなデザインでオーダーメイド可能」「LGBTQフレンドリーなブランドである」「銀座で結婚指輪を買うという東京っぽいシチュエーションに興味がある」というところであった。宝飾品にこだわりのある人からしたら話にならない判断基準かもしれないが、つけるのは私と夫なのだからこれで良い。納得のいく買い物もできたと思う。

そういえば、新居に引っ越し、式もあげ、お互い結婚指輪をつけつつ生活するようになってからのある冬の日、夫から指輪に関するものすごく焦った感じのLINEがきたことがあった。職場で指輪がないことに気づいたが、家の洗面台あたりにないかというのである。文面には「真っ青になっています」とあった。

夫の机の上に指輪
私の返信。夫の机だがなんでこんなコードまみれだったのか。

夫は私と違ってきちんとしたタイプなので、洗面台なんかに放り出していくイメージがない。そう思ってまず夫の机の上を見たところ、案の定そこにあった。それを夫に伝えると、心底安堵した返信がきた。仕事中に「指がスースーする」ことに気づいて事態を悟り、目の前が真っ暗になっていたそうである。私も注意欠陥により過去何度も信じられない無くしものをしては肝を冷やしてきたので、その気持ちは死ぬほどよくわかった。

同情するとともに、なんだか嬉しい気持ちになったのが自分の中で新鮮だった。夫にとってこの結婚指輪は、なくしたら「真っ青になる」くらい大事なものなんだなあ、と思ったのだ。

そしてさらなる気づき。私が同じ事態になったらやはり青くなるだろう。もちろん所詮は指輪だし、ケイウノに発注すれば同じものは再度手に入る。だけど、あのとき一緒に買った指輪でなくなってしまうのはちょっと寂しいかもしれない。

まったく代わりが効かないわけではないが、できれば“これ”をずっと持っていたい。そんな感情を、モノに抱いたのもほとんど初めてのことだった。

私は物欲に乏しく、持ち物にも愛着を持ちづらい人間である。というか、そうであるよう自分を調教してきたのだ。困窮した家で育ち、ずっと学費の支払いや借金の返済に追われてきた私にとって、何かを欲しいと思うことや、何かを手放したくないと思うことは基本的にリスクである。だから1、2年おきに仕事に合わせて住居も移動してきたし、引越しの際の荷物はいつも自動車で運べる程度の量しかなかった。

そういうスタイルが、結婚を機に少し変わったのだ。2年以上同じ場所に住むのは十数年ぶりで、賃貸ではあるものの、初めて家そのものへの愛着も感じている。当分引っ越さなくていいという安心感から、自宅での仕事環境への投資も心置きなくできるようになってきた。指輪だけでなく、夫にもらった誕生日プレゼントの類なんかも後生大事にとってある。言うまでもないが、夫本体も私にとっては代替の効かない愛着の対象だ。

私にとって結婚指輪は、夫との結婚の思い出の象徴であると同時に、そういった自分の変化の象徴にもなったのだ。「せっかくの結婚だし指輪チャレンジもしよう」という物見遊山的な気分でケイウノに行った、3年前の6月には想像していなかった心境である。

大事なものがある暮らしに耐えられる自分になれたことは、素朴に嬉しい。


しかし、この指輪を次につけるときまで無くさないように気をつけなければならないと考えると若干プレッシャーだ。今までは、指につけっぱなしでいたからこそ無くさないですんだのだ。アクセサリーボックスには入れたけど、私のことだからこのあとも手品ばりの奇跡を起こして無くすかもしれない。ああ、不安。

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