仏教にもっと音楽を!(Ⅱ)
上の写真は宇治平等院の阿弥陀如来像と周りで音楽を奏でられている雲中供養菩薩様です。
きっと日本で初めてのオーケストラでありましよう。
はじめに:
最近フェースブックにおいて、3年前に投稿した記事についての振り返り記事の投稿を勧める誘いがありました。
そこには、3年前に公開した私の楽曲「久遠の命」のインスツルメンタル版の動画を振り返ることを指示してありました。
そこで、私はその指示通りの内容をフェースブック上に投稿を終えました。
(下記の| Facebook の箇所をクリックくだされば、フェースブックへと飛びます)
佐野美知夫 - 毎日を忙しくお過しの皆様、たまにはゆっくりと来し方行く末について考えて見る時間を楽しまれては如何でしようか?... | Facebook
そして、その他の楽曲についても同じようなことを投稿したいと考えていましたら、一人のフェースブックの友人さまから、私の楽曲を知りたいというリクェストが届きました。
それを先ずは、このnote上で纏めてみたいと思い、
「仏教にもっと音楽を(Ⅱ)」、
との題名にてまとめてみました。
1.楽曲の御紹介:
ここでは主題に沿って、仏教に関わる私の楽曲を順にご紹介して参りたいと思います。
①「合唱曲 久遠の命」::: https://www.youtube.com/watch?v=HzhV06-rS_Y
これは、インスツルメンタルではなく合唱入りの楽曲でござい
ます。必ずしも仏教音楽とは言えませんが、仏教的な要素を含
んでいます。
②「蓮如想」:::
https://www.youtube.com/watch?v=x5n4e1bhEpw
日本語歌詞の合唱入りの楽曲でございます。
③「AMIDA賛歌(英語歌詞) フロム USA ~Amitabha, who is in the infinite universe ~」:::
https://www.youtube.com/watch?v=gPv4Ps5_W_Y
歌詞が英語の合唱入りの楽曲でございます。
④「AMIDA(日本語歌詞) By the First Readings Project – J. David Moore, conductor 」:::
https://www.youtube.com/watch?v=PDcicS4Hxn4
日本語歌詞の合唱入りの楽曲でございます。
等々です。
②と③、④とはアメリカの教会の合唱団様が合唱してくださったものです。
③は日本語の歌詞ですが、②はアメリカの合唱団様が英訳して更に自らが合唱して下さったものです。
アメリカの合唱団様は教会で演奏活動されている方々ですが、このように仏教の歌を歌って下さったのです。
また日本語の分からない英語がネイティブの方々が、日本語で歌って下さいましたものでもあります(③と④)。
当時楽譜は完成致しましたが、日本では合唱して下さる合唱団様が全くいらっしゃらなくて困っていました。
日本での歌入れにはいろいろと手を尽くして奔走致しておりましたが、日本では無名の作曲家によるしかも内容的にも宗教が絡むものは相手にはされない、と言う事が次第に分かって参りました。
結局日本では、宗教音楽(或いは宗教的な音楽)の歌入れをお願いしてもそのハードルは大変高く、歌入れを諦めなければならない、と判断せざるを得無い状況であることが判明致しました。
その時、苦し紛れの中で一筋の希望として見えて参りましたのが、アメリカの教会を中心に活動していらっしゃった合唱団様でした。
それまでの詳細は省略させて頂きますが、
結果的には、アメリカの合唱団のみなさまが見事に合唱して下さいました。
今思い出しても、皆様のその寛大なお心には大変嬉しく、涙が溢れ出ます。
どうぞ合唱団の皆様の渾身の合唱をお楽しみください。
まとめ:
お聴き頂いたように、アメリカの合唱団様は日本語も素晴しく日本人が合唱したと言っても誰も気がつかないくらい完全な日本語で合唱して頂いています。
一般に外国人が日本語の歌を歌う場合、その歌い手の母国の言葉のなまりやイントネーションなどが現れてしまうことが普通に有るのですが、今回の合唱ではそのような事が全くありませんでした。
そしてこのような事も含めて、音楽が国境を越えて伝わることを実感致しました。
このことは藤原頼通の時代には考えられなかった現代の音楽のあり方の大きな特徴でもありましよう。
日本の仏教もこのような時代にあっては、もっともっと音楽を活用して人びとの心に響く力を育て上げて行く事が求められているように思われます。
少なくとも一千年近く昔の宇治の平等院(藤原頼通建立)に見られる仏教の世界と、そこに見られる雲中供養菩薩様による一大オーケストラとの密接な関係は我が国が世界に誇る歴史的遺産でありましよう。
私達はこの遺産を、しっかりと受け継いで更に発展させる役割を負っているように思われます。
そして、藤原頼通が試みたように、極楽浄土を目に見える形に表現して行くことも私達の役割であろうと思います。
特に疫病、コロナ、地球各地での風水害や火災、止まない戦乱等などを日常的に目にする現在の私達には、心を静め人びとがより良い世界へと眼を向けるためにも新たな平等院が必要なのかもしれません。
千年ほど前の藤原頼通が置かれていた状況と、現在の私達の状況が酷似しているようにも見えて参ります。
宗教が出来る事は限られているのかもしれません。
むしろ宗教が争いを生んでいる面もあるのかもしれません。
しかしそのような中でも、音楽は宗教の世界をも超えて人びとに力を与え続けてきました。
音楽には、力があります。
音楽は人びとの心を穏やかにし、人と人との信頼感を構築して行くだけではなく、事があるときには人びとの間に大きな絆を生み人びとを結びつけます。
これからは、宗教の上に音楽があり、今以上に音楽が宗教の壁を乗り越えて人びとを導いてくれる事になるのかもしれません。
そこでは世界の平和・安寧のためのオーケストラが存在する極楽浄土を実現するための新しい平等院が描かれるのかもしれません。
私達は、新しい平等院を構築するための新しい時代に足を踏み入れ始めているのかもしれません。
おわり。
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