SESエンジニアが適応障害で休職する経緯

お久しぶりです。
前回の更新から3カ月経過してしまいましたが、この期間に色々あったので身に起こった出来事の振り返りをしたいと思います。

結論から申し上げると、適応障害で現在休職中です。

この記事では、休職に至るまでの心身の変化を皆さんに共有したいと思います。


4月から客先常駐してました

1月から参画していた案件を離れ、4月からSES案件に従事することになりました。

案件内容はお伝えしてしまうと分かる人には分かってしまうので、伏せておきますが大手上場会社が使用するシステム開発とだけ、お伝えしておきます。

商流としては、3次請けだと思います。
しかし、2次請けの常駐先の要員として参画していたので、私の作業も常駐先社員が行うものと同じ内容でした。

参画背景は欠員補充です。
4月で離任される方2名の穴埋めとして参画し、4月中に引継ぎを行い、5月から自走をするというスケジュールで常駐先は計画していたのかもしれません。

しかし、自分が思っていた以上に離任する方の担当範囲が広かったことが分かってきてから、ちょっと負担が大きそうだな…と感じていました。

慣れない業務に四苦八苦

最初に割り振られた業務は、設計書の微修正でした。

正直、納品物にはならないものだったので、こんなのする必要あるの?という感じの業務でしたが、とにかくやることに。

ただ直すだけの簡単なお仕事だったので、参画して2週間目にはそれと並行して別の作業も割り振られました。

今振り返ると、ここが全ての始まりだった気がします。

割り振られた作業というのが、以下の業務でした。

  • 新機能の見積

  • 新機能追加による影響範囲の調査

  • エンドユーザーとの仕様に関するやり取り全般

  • 不具合修正

どれもやったことある業務ではありましたが、大企業ならではのルールや慣習に触れるのが初めてだったため、全く業務についていけなかったです。

今までやってきたことがなんだったのかと思うくらい、やってきたことが役に立たず絶望でした。

身体的、精神的な変化

分からないなりに仕事を進めてきましたが、参画して1カ月も経たないうちに、徐々に心身共に変化が起こってきました。

食欲不振、食習慣の変化

5月の半ばから、徐々に食欲がなくなっていきました。

朝型人間ですが、仕事が終わるのが9時~11時が常になっていたのと、毎日出勤していたので帰宅は10時以降になることが多かったです。

当時はダイエット中ということもあり、夜はあまり食べず、朝食べるように心がけていたのですが、朝起きても全く食欲が湧かず、朝食を抜くことが増えてきました。

朝食を抜きたくないという思いで無理やり食べる日もありましたが、味気を感じなかったり、好きなものがおいしく感じられないなどの症状も出始めていました。

睡眠不足

通常であれば、10時~11時に就寝して朝5時台には起きるというスタイルだったのですが、残業続きで就寝時間が日付を回ってからという日が増えてきました。

一方で起きる時間は変わらないので、睡眠時間が5時間を切る日が多かったです。

そして、気づけば明日が来てほしくないと思うようになり、徐々に寝る時間も遅くなっていき、睡眠時間も徐々に減っていく日が増えていきました。

募る疲労感

寝不足の毎日ですが、仕事にはいかないといけません。

8時間で終わればいいのですが、参画して間もないことや自身のスキル不足もあり、それをカバーするための残業で業務時間が増えていきました。

毎日5時間も寝ないので、疲れが残ったまま仕事へ向かい続けました。
その結果、平日は週末に向かう程疲労感が増し、休日は疲労で何もできない日々が続きました。

虚無感

毎日残業しても仕事は終わらないし、案件のスピードにも会議の話にもついていけないし、自分は無能だと思う日が増えてきました。

他の人は自走しているのに、自分はこんなこともできないあんなこともできないと自分を責める日々。

息切れ、動悸

休職前2週間は、起床後に息苦しさを感じるようになりました。
目が覚めると、起きたくないという気持ちがこみ上げてきて、胸が苦しくなっていました。

それと同時に心臓がバクバクする感じも襲ってきていました。

会社に行けなくなった

休職のきっかけになった最後のトリガー

この日は、先週終わらせられなかった不具合修正を午前中までに実装からテストを行い、本番環境へデプロイしないといけませんでした。

しかし、どこが原因で動いていないのか全く分からないので、終わらせられる自信が全くありませんでした。

この日に終わらせないと、常駐先から激詰めされるし、後続タスクもずらせないし、けど自分ができるか全く分からないという状態でした。

朝起きると、まずはいつも通り仕事に行きたくないという気持ちが沸き上がってきました。

ここまではいつも通りでしたが、電車に乗った瞬間から徐々に体調が悪くなってきました。

常駐先の最寄り駅が近づくたびに、動悸が激しくなり、息苦しさも増してきました。

耐え切れず、乗換駅で降りてから、しばらく呼吸を整えることに。
呼吸が落ち着いたので、再度電車に乗ったのですが、、、

先ほどより激しい動悸と、息苦しさが襲ってきて一旦電車から降りました。
再度呼吸を整えるのに15分くらい駅のホームでかかりました。

頑張って電車に乗って、常駐先の最寄り駅までは着くことができましたが、それ以上は進むことはできませんでした。

改札を出てから足が動きませんでした。

情けないことに泣いてしまう

常駐先のリーダーに、動悸や息切れの症状が出ているので、今日は休ませてほしいと一報を入れました。

今日やらなければいけないタスクがあったので、大変申し訳ない気持ちでしたが、これ以上は働けませんでした。

リーダーから電話がかかってきました。
その瞬間、心臓の鼓動が早くなり、電話に出る手が震えていたのを今でも覚えています。

そして、電話に出たのですが、涙が溢れ止まらくなりました。
今自分に起きている状態をお伝えしたかったのですが、過呼吸で上手く話せず。

この日は勤務不可能ということで、急遽休みをいただきました。

そして休職することに

会社に連絡を入れ、勤務不可能な状態であることを伝えました。

そして後日、病院へ行った所、適応障害の診断をされ、1カ月休職となりました。

この診断を貰って、うれしい!やっと常駐先に行かなくて済む!とハッピーな気持ちにはなれませんでした。

もちろん、常駐先に行く必要がなくなったことは精神的には良かったのですが、自分の無能さ、虚無感、恥ずかしさ、情けなさの感情が上回っていました。

ここから長い日々の始まりです。

まとめ

休職に至るまでの心身の変化についてまとめてみました。

常駐先の労働環境や、精神的に追い詰められるまでの経緯は長くなりそうだったので、別noteにしてまとめたいと思います。

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