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音が聴こえなくなった話。2

こんばんは!
イベントの準備が終わってないのに
note書きたくて書き出してしまったみきです。

今日は前回書いた

こちらの続きです〜!
いよいよ、本編、入ります。

よかったら前回のから読んでみてくださいね!


人前に立って発表するを
少し克服したわたしに
大きな試練が待っていました。

短大を卒業後、
飲食店への就職が決まっていました。

もともとやりたかった飲食の仕事。
ずっと楽しみにしていたんです。

わたしの行った会社は
本社を中心に飲食店を展開していました。
あまり詳しく書くとバレるので書かないけど。笑

わたしがこの会社に違和感を覚えたのは
入社前研修の時でした。
もはや入社前なんかーいって笑

入社前研修は合宿だったんです。
会社の説明を受けたり、
社会人のマナーを覚えたり。

それはよかったの。学ぶところは。

なにがって、
なんか質問ある人ー!とか
意見ある人ー!の声があったら
威勢よく「はい!」って食いついていかないと
「ダメ」だったの。
とにかく手を挙げないと。

積極的になりなさい。
意見なくても手を挙げなさい。
って言われてさ。

え?って。
意見なくても?
手を挙げろと?
って思ったこと、めっちゃ覚えてる。

会社の意図はよく分からんけど
わたしには手を挙げることが正義
手を挙げないことはいけないとだと
言われている気がしていました。

そして前の記事でも書いたように
わたしは急な発言は大の苦手。

意見なくても手挙げろってったって
手を挙げたら当てられるだろうし、
当てられたら意見言わなきゃじゃん。

そんなこと出来ない、
考える時間ないと無理。
無理無理無理。ってなってました。

んで、手を挙げないと
グループに付いてくれてた先輩社員に
「なんで手挙げないの?」って責められ。

え…?です。
え…?でした。

この時点でわたしは
大きなストレスを感じていました。

ここからこの研修での
わたしの目標は自分を変えるになりました。
無理矢理。

グループワークでもそんな感じで
手を挙げないことが悪とされ、
ずっとプレッシャーと戦う始末。

グループワークはテーマを決め
それに沿ってグループで意見を出し合い
みんなの前で発表するという
いたって普通の一般的なやつ。

(嫌すぎて記憶曖昧なので
曖昧な表現続くの許してー!)

テーマは忘れました。
多分仕事に対してとか
飲食業に対してとかだった気がする。

んでまたわたしのグループが
まじで頼りない男子ふたりでね。

まじで決めらんないの。
どーする?これどーする?で
進まないわけ。

内心何してんじゃボケー!
はよ決めろよ!進めろよ!と思いながら

わたしがばばばーって色々さばいてたら
「みき、変わってきたね」 と言われ、

発表でも案の定頼りない男子共を
引っ張るように発表したら
先輩社員からも同期からも
「みきの成長が凄まじい!」 と言われてね…

わたしゃなんも変わっとらんよ。って笑

この入社前研修はとにかく地獄だった。
手挙げ神文化…

このおかげで大きな不安を抱えつつ
入社しておどおどしながら
楽しみだった飲食の仕事をするわけなんだけど
ここからが本当の地獄の始まりだった。

サーバーとして働いてたんだけど、
お客さんの接客はめちゃくちゃ楽しかった。
やりたかったことだし、
ミスも多かったけどとにかく頑張ってた。

問題は仕事の前。
これは他を知らないから
普通のこと、なのかもしれないんだけど、

まず、仕事前のミーティングで
文章を読むのね。
そんでその文章を読んで思ったこと、
感じたことを今後の自分にどう活かしていくかを
交えながら発表するんよ。
これはめちゃくちゃ嫌いだった。
相変わらず早い手挙げ神文化なので
考える時間もない。笑

その後はめちゃくちゃ大きな声で
会社の理念とかを復唱する。
これも苦手だった。

毎日これを続けるのは苦痛だったなー。

月一くらいで訪れる全体会は
全社員、バイトが集まって
社長の話を聞くんだけど、
ここでも鬼のような手挙げ神文化。

ここでも手を挙げないと
あとで配属先の先輩社員に
なんであそこで手挙げなかったのと
言われる始末。

もうね、この手挙げ神文化は
一生分からない。理解できない。

でも周りの同期たちはついて行ってるんだよ。
熱量というかパワーが凄いんだよ。
わたしとは全然違うなーって最初の1ヶ月で
ひしひしと感じるようになっていきました。

そんな中でも同じお店に配属された同期は
どちらかというとわたしに近い子で
手挙げ神文化否定派だったから
2人で励まし合ってなんとか頑張ってた。


とりあえず、営業中は楽しかったのも救いだった。
お客さんと話してる時間とか
お客さんの笑顔見る瞬間とか
それだけがわたしのやり甲斐だった。

そんな感じで頑張ってたんだけど
励まし合ってた同期が2ヶ月で辞めてしまって
わたし、取り残されたの。笑

そしたらもう愚痴言える人いなくなったし
支えがなくなったんだよね。
そこから一気にガクーンときちゃってね。

他の同期もいるんだけど
わたしの配属先だけ離れた場所にあって
みんなとは会えないし、
会ったとしてももうこの頃
他の同期との温度差を強めに感じてたから
会ったって話したくはなかった。

そしたらもう孤独なんだよね。

徐々に食欲もなくなってったし、
自分が自分じゃないみたいに
すっからかんになってった。

そんな頃、上司から
衝撃的な一言を言われたんです。

営業後の反省会にて。
「接客の時めっちゃ笑ってるよね?
お前の笑い声聞こえるの不快なんだよね。」
です。

あまりにも衝撃的で
あまりにも酷くて
もうすみませんとしか言えなかったよね。

この日は夜通し泣きました。

わたしのモットーは笑顔。
笑うことが大好きな人間です。

そこを否定されたこと、
不快だって言われたこと、
あまりにもショックで
この日から徐々に笑えなくなっていきました。

(あーちょっと書いてて涙出てきた笑)

これが一番ショックな大きな出来事だったけど
毎日チクチクと色々言われてましたね。

職場までは自転車で通ってたんだけどね
このまま電柱に突っ込んで
死なない程度に怪我して入院したいって
毎日毎日考えてました。

明日になればまた仕事に行かなくちゃいけない。
またなにか言われるんだろうな。
あぁ、明日は全体会か。
手挙げないとな。。。

頑張ろうとする気持ちも最初のうちはあったけど
それもだんだんなくなっていきました。

大体仕事は14時に出勤して
0時~2時に帰宅の日々。

帰ったらごはんも食べずに寝て
お昼前に起きてお風呂入って
なにも食べずに出勤するという
そんな毎日になっていました。

料理が大好きなわたしの冷蔵庫は
この頃はすっからかん。
飲み物くらいしかありませんでしたね。


そしてそんな生活が続き
どんどん体重は落ちていきました。

事故に遭いたい。怪我したい。
そんな気持ちもどんどん大きくなっていった頃
わたしの耳がおかしくなりました。

お客さんの声が聴こえなくなったんです。
それもおじさんとかの低い声が。

何を言ってるか分からなくて
口の形と雰囲気とかでなんとか乗り切ってましたが
低い音が全く聴こえなくなったんです。

さすがにやばいと思って耳鼻科を受診しました。

診断結果は
『両急性低音障害型感音難聴』
『めまい症』
これがもう少し続けば
メニエール病にもなるとの診断でした。

原因はストレスです。
ストレスなさそーと言われるわたし、
実は人一倍ストレス抱えて生きてます。

この時は明らかに仕事のストレスでしたが
普段から人が怒られてるの見たりとか
注意されてるのを聞くだけで
大きなストレスを感じています。

そのストレスとか嫌な気分を
取っ払うために明るく自分を鼓舞してるんですね。

そんなストレスを感じやすいわたしが、
原因はストレスですと聞いて、
うん、ですよね。と納得しました。

そしてここでやっと
仕事を辞める理由が出来たことに
気づきました。

こんな環境に身を置き続けたら
多分、わたし、死ぬな。って
思ったんですよね。
本当に電柱に突っ込むだろうなって。

自分でもびっくりするくらいに
追い詰められていて
精神的にも参っていたので
助けを求めて心療内科を受診したんです。
そしたら『適応障害』の診断を受けました。

そこの先生に
「よくひとりで来てくれたね。えらいよ。」
「よく頑張ったね。」
と言われてボロ泣きしたのを覚えてます。

わたしつらいよ。つらかったんだよ。
でも誰にも言えないから
頑張ってたんだよ。ひとりで。
いっぱい我慢した。

もう全部全部感情が放出しましたね。

それからそこで診断書を書いてもらって
会社に提出。
すぐには辞められなかったけど、
辞めると話してから
1ヶ月くらいで辞めることができました。

その最後の1ヶ月が壮絶だった
難聴は辞めるまでずっと治らなかったし、
休みは4日しかなく
滅多に熱を出さないわたしが
子どもの時ぶりに高熱を出したけど
わたしの代わりに常務がシフト入ってくれたと
嫌味のようにくどくど言われ…

でもこれを乗り切れば辞められるんだ!と
踏ん張りました。

この時の難聴発症以来、
今でもよく耳鳴りはするし
声は聞こえにくいときがあります。
コロナでマスクをしてたときは最悪。

口元が見えない&マスク&アクリル板
なんも聞こえないことは多々ありました。
特に低い音が聞き取りにくかったから
引きずってる部分あるのかなーと思ってます。


仕事を辞めてからは
手挙げ神文化と決別し
自分を無理に変えなくていい、
自分を自分のままでいていいんだよという
環境に身を置いてリハビリしました。

会社を辞めれたことで
背負ってたストレスはほぼ置いてきたので
割とすぐ元気になりました。笑

結局体重は入社前から10kg近く落ちたのかな。
あ、働いてたの5ヶ月間くらいです。
体重は最後の2ヶ月くらいで一気に落ちました。笑


あの時、
音も聴こえなくなり、
急激に痩せて、
精神的に相当追い込まれてたけど
生きることを選んでくれて
ありがとうわたし。

今、幸せだよ。
幸せに生きてる。

乗り越えてくれて
ありがとうわたし。

そんなわけで
長くなりましたが
わたしの新卒時代のお話でした。

前までは思い出したくもない記憶だったけど
今はもう、大丈夫です。
多分、今が楽しいからね。

この時の教訓は
一緒に働く人超大事!です。笑

そして自分に合った仕事環境って
絶対にあるってこと。
ここの会社にわたしが合わなかっただけで
他の同期は生き生き楽しそうだったからね。

無理せず自分に合ったとこで
楽しく仕事した方がいいよ、絶対。

こうして書いてみると明らかになる
メンタル激弱マンの正体。
結構すぐメンタルやられます。

そんなわたしが
今こうして笑っていられるのは
仕事環境が合ってるってのもあるけど
たくさんの人に支えられてきたからかな〜

渋川に来た時はひとりぼっちだったけど
今はあったかい人たちに囲まれてるから!
あの頃とは違うよ!
みきちゃんはずっと笑っててねって
言ってくれるやさしい人たちだし!
わたし幸せ!いっぱい幸せ!
みんな毎日ありがとうだよー!!!


こんなところで、
今回のお話は終わります!

次はなにを書こうかな。
最後まで読んでくれた方、
ありがとうございました!
あなたは優しいです。

では!!!



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