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30歳のUターン

この年末に東京生活を終え、故郷である熊本へ帰ります。

来年から家業である酒蔵に携わり、地域、業界の発展に貢献するためです。誰かに促されたのではなく、自分の意思です。
上京した18歳の頃は、家業に携わりたいという理由でUターンを決めるとはこれっぽっちも想像していませんでした。

私は2019年の学生時代に出会った今の会社にどっぷりで、業種、企業理念、人、倫理観、何をとっても自分に合っていました。この人たちと、この事業で働くために、学生を長くやったのではないかと思うほど。

それほど思い入れのありすぎる職場にいながら、私は生まれ育った熊本・阿蘇に帰ることを選びました。
帰るほうが覚悟の要る、難しい決断だったからです。
正直、悩み決断し、周知するまでの間はちゃんと疲れました(社内周知の翌週、一週間の謎の発熱を経験した)。


また、30歳というタイミングで帰ることも重要でした。

今の会社では幸いなことに、多岐に渡る業務を経験させていただきました。
お客様対応、配送管理、パートナー企業とのやりとり、プロジェクトの企画進行、商品撮影、予算管理など、すべてに全力で向き合いました。

私は今の仕事を繰り返すうちに、いつしか経験からものごとを判断するようになり、自分の特性でもあった素直さや柔軟性が薄れ始めている感覚を覚えました。年代からすれば、当然のステップアップなのかもしれません。
しかしこれから実家に帰れば、企業としてのギャップにも出会い、これまでにない働き方や新たな仕事を覚える必要があります。
それらを素直に受け入れ前に進んでいくためには、会社や仕事のあり方がわかりはじめていて、且つ未熟さを自覚できる今がベストだと思いました。

実際に、帰ると決めてからは自分がいかに深く思考することなく働いてきたのか、周りに守られてきたのかを痛感し、自分の未熟さを思い知ることが増えました。
2ヶ月ほどの短い期間で、必要な危機感を得られたと感じています。


振り返ってみれば私は、自分ではない誰かのために決断したことはかつてほとんどありません。
好きなものも学ぶことも携わる仕事も自由で、すべて自分の心に従うことができました。何を食べるとか何を観るとか、そういう小さな選択は別ですが。
一人の若者として、とても恵まれていました。

そして今回の決断も、今はまだ自分のためかもしれません。
来年、再来年と続けていく毎に、それが家族や家業、地域のためだったと言い切れるようになることが、私の目標です。


転職が当たり前になった現代で、離職をこれほど重く捉えられる場所に出会えたことは、幸福の一言に尽きます。
仕事は嫌で疲れるもの、会社は面倒な場所という概念を、私は真っ向から否定します。


私という人間を認め引き上げてくれた社長、取締役、上司、同僚、親友に、心の底の底の底から感謝を。
大好きです!

そして来年以降はこのnoteで、阿蘇のこと、酒蔵のこと、さまざまに更新していくつもりです。
直近は引っ越し作業を頑張ります。いやだなぁ、梱包📦


(ちなみにカバー写真は、2019年夏、当時のオフィス屋上で撮った景色です)

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