句集『寒造』と、俳句の魅力
2月がもう、あと一週間で終わります。
おとといは春の嵐らしく、雨・風・雷のフルコンボでした。夜は落雷した様子はなかったのに、15秒ほどの停電も。
ドライヤーがかけられなくなったらまずい!と焦り、急いでお風呂に入りました。現代人は、本当に電気に生かされているなと実感します。
そしてまた寒くなった今日、発掘しました。
祖母の句集です。
これは一部で、ほかにもあるようです。
祖母は今年の夏で99歳。白寿を迎えます(驚!)。ここ数年はグループホームで生活しており、会って話をすることはほとんどなくなりましたが、そんな祖母をあらわすものといえば、俳句です。
私はこれまで時間や場所を理由にやらなかったことをやってみたいな〜という漠然な思いを抱いていたのと、大学で俳句を少し齧ったこともあって、まずは祖母の句集を読んでみることにしました。
画像左の『寒造』より、いくつか抜粋します。
上から順に、冬、春、夏、秋の句です。
序文に、「この句集は、南阿蘇の風土と酒造家の暮しから生まれた作品である」とありますが、土地を知らない人でも、心情や景色が浮かぶ作品がたくさんあるように思いました。
冬の「雪深し今日が昨日になるばかり」からは日々が過ぎていくものさみしさを感じました。
山や花々からも季節の移ろいは感じ取れますが、積もった雪は日毎に姿を変えます。それが「昨日と今日」という2日間の対比を強めているのかな、など。
春の「児ら昼寝して園庭は蝶のもの」、夏の「更衣今朝の電車の明るさよ」は、それぞれさわやかさが目立ちます。
元気な子どもたちの声や園庭の砂埃がおさまり、蝶が音もなく、そっとやってくる様子。束の間の静寂です。
夏服に着替えた学生たちが乗る電車。おそらく8時頃でしょうか。白や青のさっぱりとした制服を、のぼりきった朝日が照らします。若さを見つめる、祖母の眼差しを感じます。
秋の「ポストまでひとり良夜を歩きたく」。個人的にかなり好きです。
田舎の夜は、月の明るさが目立ちます(つまり新月の夜は本当に真っ暗)。あのやわらかい光は、なかなか人工物では生み出せない魅力があって、ひとり夜道を歩きたくなる気持ちがとてもよくわかります。
でもどうして夜にポスト?と疑問が浮かび想像してみましたが、夜の黒、月の黄色、ポストの赤と、色味のバリエーションも描かれているのかも、と思ってみたり。
また、「月」ときくとロマンチックなムードが目立つので、あえて「ポストに行く私」という日常的要素があることで、バランスが良くなっている気もしました。
長々と感想を書いてみましたが・・・おもしろい!
創作は読み手によってさまざまに解釈できるのが魅力ですが、なかでも俳句は興味深いです。17字という短文を、各自の視点や経験で自由に咀嚼するって、すごい文化。
助詞ひとつを変えるだけで、全体の印象や深みが変わりますしね。
そこに著者の人柄や、実際の景色を加味してみるのも一興です。
と、書いていて思いましたが、映画でもドラマでも音楽でも、この楽しみ方は共通でした。
(もう一つ思い出しましたが、昨晩は私の大好きなギタリストがテレビで俳句にチャレンジしていたような・・・・。見そびれた・・・・。)
おまけ。かわいすぎる子ウサギをどうぞ!!@小国町!
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