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守破離のネイビースーツが欲しい

スーツは無地のネイビーに始まって、無地のネイビーに終わる。

何となくそうなのだろうと思って生きてきたが、いまは実感を伴ってそう思う。

13歳でネイビースーツに袖を通して、あれから何年経ったのだろう。

人として駆け出しだったはなたれ小僧は、そろそろ人として真価を問われる年齢になってきた。

そうなると、無地のネイビーのスーツの真価のようなものも進化し、また深化もしてきたものである。

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守破離という、人がたどるべきプロセスはじつに合理的だと思う。

守は、型の中にあって徹底的に型に自分をはめる
破は、その型を破るべく奮迅する。
離は、型を破ってなお型を忘れず、型からは離れて自由の境地にいたる。

千利休が唱えた茶道の教えだというが、日本の武道芸道において守破離は修行のロードマップとなってきた。

噺家は前座、二つ目、真打ちと出世の道をたどる。

前座のうちは師匠から教えられたとおりに一言一句、仕草や抑揚にいたるまで完全コピーに徹する。

二つ目に昇進したときに、この型を破る努力をする。

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自分なりのくすぐり(ギャグ)を入れたり、所作を大げさにしたり、控えめにしたり、声の抑揚を自分のオリジナルに変化させたり、そこで客席に受ければ、「あっ、自分の噺はこの方向で良いんだな」と確信するし、受けなければ別のやり方を試みる。試行錯誤は自分の話芸との格闘である。

落語(噺)の道で興味深いのは、後見人の存在である。

二つ目が高座に上がっているときに、師匠は楽屋から黙って見つめる。

二つ目が楽屋に戻ってきたときに、「まだまだ型どおりだな」と告げられれば、それは破への志がまだ足りないとの指摘になる。

「うむ、受けたな」と告げられれば、受けたところを徹底的に稽古しろというお墨付きになる。

「ではどうすれば型を破れるでしょう」は愚問である。

型の破り方まで師匠に教わったのでは、それはまた師匠の型に自分を当てはめてしまうだけに終始する。

破るのは、破ろうと苦悶するのは、おのれ一人なのである。

型があるから成り立つ芸で、型を破れば「型破り」な噺家になれるし、型を理解できていなければそれは「形無し」というレッテルが貼られる。

破ができると、二つ目の身分から真打ちへと昇格する。

真打ちになれば離を体現できなくてはならない。

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落語の演目はとくに古典落語においてはストーリーはまったく同じ。

江戸時代から面々と続いてきた 『芝浜』『死神』『富久』『火焔太鼓』『井戸の茶碗』『宿屋の仇討ち』があるばかり。

伝統と自分だけの表現と

落語とは、自分にしかできない個性的な話芸でありながら、寄席通いの通にとっては毎度おなじみのストーリーという型の芸である。

真打ちの表現する離、つまりは自由を客席は楽しむ。

ストーリーを知っていながら、毎度笑い、毎度泣き、毎度感動する。

型を徹底的に学ぶ理由

美術においても同様の守破離が当てはまる。

パブロ・ピカソは若い時代には精緻な写実画を徹底的に描いた。型通りの「守」。

青の時代時が「破」に相当するだろうか。描きまくりの、求道者だった。

そしてキュビズムという立体の3次元を、平面の2次元に描き出す「離」の境地にいたった。

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能、狂言しかり、映画しかり、歌舞伎しかり、クラシック音楽しかり。
執筆家である私も、この道の途上にいる。

守破離のどこに自分はいるのか。

書くことに迷ったときには守である文章の基本型に戻る。

そこから何かを破ろうとして七転八倒する。

たったひとつの型を破れると、3つも4つもの表現法が見えてくる。

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ところがいきなり離に立とうとして、つまり型破りの個性を発揮しようとして、破天荒こそが自分の表現だと主張して、破綻していく人を多く見てきた。

型があるのは、ありがたいことなのだ。

ファッションもしかるべき。

私はいまネイビーのスリーピーススーツを仕立てたくてたまらない。

ネイビーはスーツの入門の色で『守』でありながら『破』も表現できるし、内側におさまる人格のようなものが確かなら『離』になり得る。

初めてネイビーのスーツに袖を通した13歳のときよりも、いまなら型を守って、なお自由を表現できるスーツの着こなしができるのではないかと考えているのだ。


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