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盆栽師を取材したっけ第3話/全4話
2018年に書いた、WEBライティングの原稿が出てきました。
盆栽師・山崎ちえさんを訪ねて、およそ1週間を取材に費やした記事です。
写真家の中野昭次は、学習研究社でよく一緒に取材をしたパートナーです。
彼の写真もお楽しみください。
全4章のうちの今回は、第3章を紹介します。
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3/人為と自然と美しさと
手の込んだ仕事を人々は賞賛する。
職人の仕事ならなおさらだ。
盆栽は、自然そのものではない。
とても人為的なものである。
枝の伸びるまま、葉の芽吹くままにしておくと、むしろ不自然なかたちになってしまう。
水を与え、肥料を与え、葉を間引きし、芽を間引きし、病害虫を防ぎ、置く場所を移動させ、針金をかけて枝の伸びる先を導き、イメージする樹形へと育ててゆくものである。
手間をかけることで、自然界には存在しない、それでいて自然に“見える”造形へと樹木を作り上げていくのが盆栽の妙技なのである。広瀬幸男は言う。
「3年経つと1本1本の枝が太るから、枝を減らすんですよ。3年かけて、その形に仕上がったときは満足できるけれど、また3年経つと姿が不格好になる」
だから、盆栽には完成がない。
「いやむしろ完成させちゃいけない。常に世話を続ける。毎日、盆栽に向き合っていると樹と対話ができるようになる。永遠に続く命の変化を世話するのが盆栽の魅力でしょうね」
広瀬幸男は枝に針金を廻し、枝から目を離さずにこう言った。
「本来は、針金をかけた状態なんかを見せるもんじゃない。盆栽師が針金をかけているのは、楽屋裏での仕事ですよ。絵画だって描いているところをプロは見せないでしょ。でもねぇ、描いているところを皆さん、見たがるんだよねぇ」
広瀬幸男の手仕事がどのように盆栽に施されるのか。その楽屋裏を覗きたいと誰もが思うのだろう。
外側だけ整える人がいる。内側にある枝を外に持ってきて形を整えたように見せる人がいる。アマチュアに限らず、プロを名乗る盆栽師にも、そうした人はいるそうだ。
「盆栽を見るときに樹の下から覗き込んでいると“ああ、分かっているなぁ”と思いますよ。いかに大樹の趣きを盆栽に表現できるかですからね」
盆栽に作家性を表現できるか。そこがプロとアマチュアの差異になる。
「作風があるから誰が作ったかは、ひと目で分かる。盆栽は、個性の表現でもあるんです」
絵画や音楽や文芸と似てアマチュアは楽しむために、プロは生きるために盆栽と向き合う。
「盆栽の世界においては“偶然の名作”は決して作れないんです」
そう語る広瀬幸男の手仕事を、3年にわたって見つめ続けたのが、山崎ちえである。
3年の間、先のことなど考えなかった。
プロになれるかどうかよりも、盆栽の技術を習得するためにその日、その一瞬のことだけに没頭した。登竜門の激流を遡上する鯉が、泳ぐことだけに集中するように。
AIがどんなに発展したとしても、ロボットがどれほど、もの作りの領域を席巻したとしても、職人の仕事は残るだろう。
画一的であってはならない。作風がなくてはならない。変化を先読みしなくてはならない。
盆栽を美しく見せるための職人技は、盆栽師にしか作り出せない手仕事そのものである。
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