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パリ逍遥遊 自らの哲学

自らの哲学をシャンパーニュに注ぐ」、シャンパーニュの醸造家に触発されたわけではないが、「自らの哲学」について、パリで揺蕩いながら、気が付いた最高の贅沢について語ってみたい。

パリ出身のチェロリスト、Yo-Yo Maの奏でる温かい演奏を聴いた時の心臓がドキドキする感覚を今でも忘れることはない。Yo-Yo-Maの何とも言えない温かい音色の背景に、何があるのだろう。Yo-Yo Maは、とあるインタビューの中で、「音はコード、音楽は言語の一つだ。(中略)人類の創造性は、多様性、融合性の境界線において、またその境界線を越えたところで生まれる」と語った。それを称して「Edge Effect(境界線の効用)」と彼は読んでいるが、これこそが彼「自らの哲学」なのだろう。Yo-Yo-Maの「自らの哲学」に裏打ちされた音楽を奏でながら、彼らの「哲学」も受け取っているのだろう。人は「奏で」と共に「哲学」にも共鳴している。

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醸造家しかり、画家しかり、音楽家しかり、彼らの創造物を味わうと同時に、その人の哲学にも多くの人が共鳴し、魂を震わせる。彼らの創造物は、過去の多くの創造性の高い人たちが、連続性をもって残してきた発明(Invention)の蓄積の結果だ。視点を変えれば、真理と呼ばれるもの。人は、醸造家、画家、音楽家を通して、真理に近づきたいのだ。それは決して神秘的なものではなく、連続性のある過去の想像物としての真理に。

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見る、聞く、読む、感じると言った五感をフル活動させて、真理に魂を震わせる、それこそ最高の贅沢だ。そして、それができる「タイミング」があることも忘れてはいけない。機会とタイミングをうまく自分に引き寄せることによって、真理に魂を震わせるのだ。一方で、ニュートンが行ったように、「私は海辺で遊んでいる子供のようなものである。時折普通のものよりも滑らかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっただけだった。私の目の前には、真理の大海が、未発見のまま、広がっている。(I was like a boy plying on the sea-shore, and diverting myself now and the finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.)」ことも忘れてはならない。

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