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Spring ceremony 2023.4.18

魔法のような1日だった。


何か新しい、動き出す気持ちが芽生えていることに気づいていたこの春。

でも何をやったら分からず、色々な情報を探していた。

Instagramの検索で出会ってしまった、このセレモニーとLataさんというダンスアーティスト。

壮大すぎてほとんどの内容を理解しないまま、でも心はなぜか確信していて、反応する通りに参加することを決めた。

当日までも当日もずっと緊張していて、楽しめるのか?とか、何も分からず申し込んでしまったけど本当に大丈夫だったのか?とか色々と考えたけど、『きっと行ったら色々分かるんだよ』と優しい友達の後押しもあり、流れを信じて会場へ向かった。



『Spring ceremony』


オープニングセレモニーはガイド役のお二人が優しく始めてくれた。

緊張しながら、でも優しい声が導いてくれるまま委ねる。

Miyuさんは昔から弟に『おはなし』を聴かせるのが好きだった。

それは彼女自身が創ったお話し。。。

ある少女は唄うことが大好きで、踊ることが大好きだった。

少女は自分が心を開いて踊れば、世界が喜びで満たされることを完璧に知っていた…

そのおはなしの冒頭を聞いた瞬間、私はもう涙が止まらなかった。

じわっとくる、というレベルでなく。

止まらなかったので目を閉じた。

涙が頬を伝っていった。

その後のお話ははっきり覚えていないけれど、

でも私の心のドアは開きっぱなしで。

知っていた、そうやって自分が唄っていたことや、踊っていたこと。

世界を光や喜びで満たしていたことを。

それが私がこの人生でやりたかったこと。

やりたかったなあ、踊りたかったね。

でも、どうしていいか分からなかったね。

確かにあるような気がしていたのに、全く触れられなかったね。

よかったね、会えたね。

嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。

ふと我にかえると、何と大それたことを、という思考に戻ってしまう。

その位儚い気持ちなのだけれど。


でも、確かにくっきりと見た、その景色と感覚を。

気づいてあげられて本当に良かった。

「わたし」が喜んでいた。


お話しが終わると、Saoriさんがボディワークをスタートさせてくれる。

季節が移ろいゆく様子になぞらえて、音楽に合わせて身体を動かす。

けれど私の身体は心とすぐ連動しない、慣れていない。

ましてや私はしばらく自分を殻の中に閉じ込めて過ごしていて、やっと地表に出てきたばかりだった。

無理せず、踊れるように身体を動かそうと決めた。

座ったり、景色を見たりしながら、できる限り身体を動かして、でもあぁみんなみたいにちょっと激しくリズムに乗ってみたら、楽しくなるんじゃないのかな、って試してみたりした。

心と身体のバラバラ感を感じてみたりしていた。

でもそれは心地の悪いことじゃなかった。


ボディワークの時間が終わるとみんなで円になってシェアをした。

自分の感じたことを言葉にしたり、みんなのお話を聞いたりできるのが楽しかった。


休憩を挟んで声と呼吸の春の瞑想会。

機材の調整時間にMoccaさんの声がお部屋に響くだけで、心が震える。

なんと素敵で心に染み入る声をしているんだろう。。。

お花をお庭に摘みに行き、水晶たちと曼荼羅のように並べ、みんなで円になって座った。

Moccaさんのリードのもと、ワークが始まる。

声で、下のチャクラから上へ癒していく。

地を感じて、宇宙を感じて、自分が架け橋となって、そこにいることを体感する。

ちゃんとグラウンディングする。

こうやってMoccaさんは、自分の身体をずっと整えてきたんだって。

こんなに大きな、言葉じゃない音を、みんなと一緒に出す機会なんてなかなか作れない。
ためらわれる。

そういう場を、知らないうちに奪われてしまってるんだなあということを自覚する。

そのあとは『それぞれ好きな声を出してみましょう』と。

ハードルが高い。。。!

でも恐る恐る出してみると、目をつぶっていれば大丈夫。

意外と身体と心が順応していく。

何だか恥ずかしい、という気持ちがだんだんほぐれ、目を瞑ったまま、自分の中へ潜り込んでいく。

ああそうだ。「どう見られるか」よりも「どうしたいと思ってるか」を優先しよう。


自分の出す音が、心地いい時、逆に違和感がある時。

感じながら自分は今どの音を欲してる?と、その音を出してみる。

欲しかった音が自分の口から出て満たされる。

Moccaさんが最初に、「声を出しながら、色んな風景に出会うかもしれない」って言っていたなあ。

私は住んでいた実家の通学路や、一人暮らししていた地域の道を歩いていた。

つい最近のことなんだけど、ああこれも前世なんだなあって分かったり。

その流れで、夕日のなか、今日とおんなじようにみんなでうたっている風景にいた。

声で世界を癒す、ということを日常的にしていて、それが祈りだった。

世界をいい感じにしたいなあ、じゃあ声を出そう、そしたら震わせて世界が良くなる。

それを知っていて、世界が良くなるといいなあ、って思いながらみんなで声を出す。

そんなことをいつも誰からともなくやっていたんだなあ。

ああこうやって、声を出すことが、みんなで輪になって声が合わさることが、こんなに大切なことなのに、いま近くにそんな場はないなあ。

とっても必要なんだろうけどなあ。

こうやってためらいを取って声を出せるまでに、少し時間がかかったもの。

みんなが一瞬でこの声を出せたら、どんなに身体と心と世界の空気が健康になるだろう。

だからこういう声のワークの時間が必要なんだろうなあ。

そんなことを思いながら、結構長い時間、声を出し続けた。

Moccaさんが花びらを、みんなに振ってくれた。

優しくて心地よくて、満たされた時間。


最後はまたみんなで円になってシェアをした。

それぞれが見た風景が優しかった。

なぜか初めて会ったみんなが、ここにいるのが当たり前のような、不思議なあたたかさがあった。


1時間の休憩があり、会場の方ともお話ししたり、カレーをいただいたりして、ついにSpring Liveが。

時間になってもゆっくりとした空気はLiveを始まらせず、なぜか、夕焼けをお庭にみんなで見にいくところからスタートする。

太陽の恵みに感謝するMoccaさんの歌声が静かにLiveをスタートさせる。

いつの間にかLataさんが舞い、Kuonさんがスチールドラムをささやかに響かせる。

ただただ不思議だった。

私が今ここにいて、完璧に整った采配で、風景と歌と舞いを見ている奇跡。

自然と室内に入り、本格的にLiveが始まる。

Moccaさんの歌はどこまでも心に響き、押し寄せてくる。

Lataさんの踊りは美しかった。

歌の最後、Lataさんがぐるぐると回り、命の輝きのエネルギーが輝いて飛び散って、嬉しくて美しくて感動して泣いた。


海の中の歌のときは、本当にここにいるみんなで海の中に沈んだんだと何となく思った。

でも全然怖くなかった。

きっとみんなでいたんだ。

KuonさんとLataさんの火を使ったダンスは、とても力強かった。

男性と女性が命を燃やして踊る姿が、美しかった。本当に美しかった。

人間って美しいなあって、感動して泣いた。


Liveが終わってLataさんがみんなに感想を聞いてくれていた時、『とっても踊りたそうにしていたよね』と言ってくれた。

私は踊りたそうにしていたんだ、とびっくりした。

一緒に踊ろう、

踊る人生の方が楽しいよ、

と、Lataさんが言ってくれた。

私には踊りの神様がついてるから、大丈夫だよ。

私と居たら、どうやったって踊る人生になっちゃうから。

もう涙が止まらなかった。

何という安心感のある言葉を。

私は踊っていいんだ。

こんなに踊りたかったんだ。

その思いに気づいて、出会って、拾い上げてあげることが出来て、

嬉しくて泣いた。

出会えてあげたことに、もう大丈夫だ、ってとっても安心して泣いた。



そうやって幕を閉じたSpring ceremonyだった。



日常を生きていると全く見えなくなってしまう大切な大切なものと、また再び会えるセレモニー。

それは、声と身体と心を使いながら、

歌と踊りと、同じ日になぜか集まった人たちによって、ゆっくりと開かれていき訪れた、魔法の時間だった。


まだ言葉ですべては説明できないのだけれど、

間違いなく私はこの日から日常の風景が変わり始めている。

固い殻の中にぎゅっと押し込められていた柔らかい美しい思いに出会えた嬉しさと、安心感。

自分の大切なものを知っているという安心感。

日常のなかに埋もれてしまって、自分一人きりでは絶対に気づくことが出来なかった。


あとから思い返してもうまく説明がつかない。

魔法のような奇跡のような1日だった。



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