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私たちはただ、許されたかっただけでした。

こんにちは、3G commit! のみきちです。


私たち日々、どれだけの「小さな義務」を自分に課し続けていることか、考えたことはありますか?

朝起きる、顔を洗う、ご飯を作る、服を着替える、外に出る…

こんな些細な、些末な出来事ひとつひとつに、「普通はこうでなければならない」などの基準を設け、成し得なかった自分を密かに罰している。

小さな小さな罪悪感に抗うために、「生きているだけでえらいよね!」などの気休めにしかならない言葉で、一時の安息を得る。


生きているだけでしんどいのは、現代では当たり前だから。

みんな頑張ってて、みんなえらい、それでOK。

そうとでも思っておかないと、日々を送っていられない人々がどれだけ居ることでしょう。


ただ毎日を生きるだけでしんどくなるのは、小さな義務が無数にも積み重なった日常を過ごしているから。

毎日、自分自身を減点方式で採点し、無数の小さな罰を与えているから。

それを辞められないのは、罰している辛さの中に快感も感じているから。

「私はダメな人間だから…」が終わらない人は、実はちょっと気持ちいいのです。


私たちの無意識には「罰されれば許される」というアルゴリズムがあります。

どれだけ見ないふりをしても、私たちの中には、小さな頃から親や教師に罰されてきた記憶が深く突き刺さっている。

罰を受ければ許されてきたし、罰を受けたのに許されなかったこともある。

─次はもっと頑張るから、ちゃんと謝るから、見放さないで。─

許されたいから、罰を受けているのです。


多くの人にとっては認めたくない事実です。

そこに触れてしまったら、今にも壊れそうな自分が居ることに気づいてしまうから。

気づいてしまったら、これまで必死に抑えていた感情が暴走してしまうだろうから。

そうなれば、これまでと同じ自分ではいられなくなってしまうことを薄々感じ取っているのです。


この声は届く人にしか届かないでしょう。

けれど、それでいいのです。

1人でも必要な人に届き、許されるために自分を罰し続けるという、悲しく寂しい負のループを終わらせられることを願っています。

あなたが乗り越えたその先には、真に自分を愛し大事にすることの、本当の心地よさが待っていますよ。



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