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ちょっぴりせつない実家解体🏠

2014年に母が逝き、昨年末にその後施設にお世話になっていた父も逝きました。
大阪の実家には、母亡き後も弟が1人で住んでいたのですが、重なった天災による屋根の破壊なども直せず、誰も住まないためとうとう解体

最初の建物からは築60年以上でしょうか…

施設に入ったもののたまに帰ってくる父の介護もある中、帰って寝るだけの弟1人ではメンテナンスや掃除が行き届くはずもなく、穴の空いた屋根から応急処置してたものの少しずつ朽ちてきて、弟も昨年とうとう途中で脱出

約160平米の土地は、私が生まれるもっと前の遠い昔に、当時地球の裏側に仕事で行ってしまい、いつ帰ってくるかわからない父を本当は密かに待ってただろう母が、自分の実家のすぐ近くにあった土地を借りたもので、ひとりで住みながら洋裁教室をするため当時建てた家が最初の建物です

その後、5年の勤務を終えて地球の裏から帰ってきた父と結婚をし、家族は国内外を転々とします。私が小1の時、父が大阪勤務になった際に増築して1年だけ住みますが、その後も転勤転勤。父に単身赴任をしてもらい、母と私たち姉弟の4人が途中からその実家に住み続けるようになったのは、私が14歳のとき

私はそれから25歳で嫁ぐまで実家にいたので、住んだのは通算で12年のみです。とはいえ、結婚後も離婚後も(笑) お正月には帰る家でしたから、実家は実家

二階建ての家は、解体工事があっという間に進み、大阪にいる弟から途中経過も送られてきていましたが、一昨日母の命日にお墓参りに帰っていた横浜の弟から送られてきた写真には、もう家は跡形もなく…塀だけがまだこれから撤去されるのを待っている感じで残っています

ああ、きっと天国に居る両親は空からその様子を眺めて、なんとも寂しい気持ちでいることでしょう…

でもね、ゴミ屋敷状態のまま放置されている空き家問題、日本全国でたくさん発生していますが、このままにしていてもそのうち弟達も体力的に片付けができなくなっていたでしょうし、このタイミングで思い切って良かったと思っています

解体費用はかなりの出費となりましたが、一つ問題が解決してスッキリかな。ほんのちょっぴりだけせつないですけどね、家族の思い出の家がなくなるってね…

改めて気づいたのですが…悲しくても現実受け止めてひとりで頭の中切り替えて前進する力、レジリエンス力が私は高いのではないかとここにきて実感しています。やはり胃を急に3/4摘出しなきゃいけなくなって、それまでの人生終わるのかもってあの経験してから、大概のことは受け止めてこれるようになったのかもですね

帰れる家も、帰る胸も、甘えれる(愚痴言ってアタる)相手ももう無いから
せつないとか、悲しいとかに浸っている暇はないです!

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で、全然関係ないですが、GWの断捨離後にたくさん舞い込んだ素敵なお話の一つ!今週金曜日の「ガイアの夜明け」の取材を受けて、私の本業の会社が少し取り上げられるので、いつもご覧になっているかたは、そっか〜みきあの会社これかーと思って観てね😉✨

*banner photograph by mikia, @駒沢公園


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