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Margo-物語と糸- #18 |『モモ』を染める 5

『モモ』シリーズの糸解説も、あと2色となりました。今日の糸は「時間泥棒」。敵役であり、物語の重要なメッセージを担っている灰色の男たちのことです。

このことをだれより知っていたのは、灰色の男たちでした。彼らほど一時間のねうち、一分のねうち、いやたった一秒のねうちさえ、よく知ってるものはいませんでした。ただ彼らは、ちょうど吸血鬼が血の価値を知っているのとおなじに、彼らなりに時間のだいじさを理解し、彼らなりの時間のあつかい方をしました。(『モモ』より)

 『モモ』のなかで印象深いのが、やはり悪役である灰色の男たちです。時間を節約すれば「ほんとうの生活」ができると言い、便利で効率よいことが生活を豊かにするのだと、言葉たくみに人々から時間を奪っていきます。その結果どうなったでしょう。灰色の男たちに時間を盗まれた人々の暮らしぶりは、現代人のわたしたちにとって身につまされるものがありますね。

 ちょっと恐ろしい灰色の男たちですが、物語の鍵ともなる重要な存在でもありますので、彼らをテーマに毛糸を染めました。
服装も顔色も吸っている葉巻まで灰色だという彼らの姿はもちろんのこと、郊外にあるゴミ処理場での恐ろしい夜の会議や、モモとの夜を徹しての追跡劇など、彼らが登場する場面のイメージも糸に込めています。

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効率からこぼれ落ちるもの
 いつだったかテレビの番組に、高学歴でかつ学生のうちに起業し、年に何億も稼いでいるという、今どきの優秀な若者たちが紹介されていました。将来有望な、未来のこの国を牽引してくれそうな期待のホープです。
 そんな彼らが番組のなかで強くお勧めしていたのが「速読」でした。それこそが、彼らを優秀たらしめる秘密なのだといいます。画面のなかでは、若い女性が「速読がいかに効率よく情報を収集できるか」について語っていました。そうすることで1日に何冊も本が読めて、知識が増えていくというのです。そして余った時間で、もっと考えごとをしたり、資格を取ったり、ビジネスの展開を考えたりすることができるのだといいました。 

 この番組を見たときのモヤモヤした気持ちは、今も忘れがたいものがあります。
「ああ、この人たちは、読み耽ったり、酔いしれたり、余韻に浸ったりする『じっくり本を読む喜び』はいらないのだなあ……」
と、思いました。

「きっと彼や彼女がいう『本』は、教科書やビジネス書といった情報や知識を得る本のことなのだろう。それとも彼らは『3行でわかる○○』みたいに、本来味わって楽しむべき本も『体験』ではなく『情報』として処理するのだろうか。いやいや、それは偏見かもしれない。わたしが速読ができないので分からないだけで、ひょっとしたらわたしが思う読書の喜びさえ、速読で十分得られるのかもしれない。
 とはいえ、そもそも、本を道具にしてる感じがひっかかる。本に愛情がない感じがして……いやいや、それも本人に直接話しも聞いてないのに、こんなふうに決めつけたらダメだな。ほんとうはめっちゃ本が好きかもしれないし……実際に楽しそうに読書の話をしているし……」
 
 みたいなことをぐるぐる思いめぐらせつつ、一方で強烈に感じていたのは、抗いがたい違和感でした。食事を楽しむことなく、必要な栄養素をサプリで摂って生きている感じに思えてしまいました。
 そして、今回『モモ』を再読して、ふと彼らのことを思い出したのです。彼らの本の読み方は、灰色の男たちに時間を奪われた人たちの読み方なのではないだろうか、と。知識を得ること、効率よく情報を得てビジネスで成功することも喜びですから、本人たちにとってはそれが最上の方法なのだと思います。しかし、彼らの語った読書法が、今の社会の仕組みから生み出された本の読み方であるのも間違いないでしょう。

「無駄な時間」だけど、大切なこと
 これだけにとどまらず、灰色の男たちの登場する場面は、いつもはっとします。そして世の中は、自分が幼い頃よりも灰色の男たちの支配が進んでいるようにも感じてしまいます。エンデがこの本を上梓したのは1973年ですから、50年近く前に現代を予言したことになります。すごいなあ。
 マイスター・ホラは、灰色の男たちを「ほんとうはいないもののはず」で「人間がそういうものの発生をゆるす条件をつくりだしている」とモモに語っています。分析心理学を創始したユングは、個々の人間の無意識のさらに奥に個人を超えて人同士がつながっている領域があるといい、それを「集合的無意識」と呼びました。現代社会で一生懸命働くわたしたちの集合的無意識のなかで、灰色の男は生み出されているのかもしれないな、と思います。

 他愛ないおしゃべりや、恋バナ。歌や踊り、ごっこ遊び。映画を見たり、本を読んだり、スポーツしたり、犬の散歩をしたり。生産性と合理性からみたら無駄なものにされてしまうこうした「時間」が、どれほどわたしたちを救い、生活に彩りを与えてくれるでしょう。
 それは編み物も同じですね。ウエアも小物も買えばてっとり早いのに、わざわざ糸を買って自分で編むのですから。灰色の男たちから「そんなの合理的ではないし、時間の無駄ですよ」と詰められる行為ですね、間違いなく。
 けれど実は、編んでる時間はとても豊かだし、出来上がると幸せになる。編んだものを誰かに愛用してもらえたらもっと幸せ。
編み物は素敵な遊びです。ときどきクローゼットに隠した罪庫の糸を思い出して猛烈に焦ることもありますが、『モモ』を読んだからには「マイペースでいい」と己に言い聞かせることに決めました。時間泥棒に手渡したりせずに、ゆっくりじっくり編み物の時間を楽しもうと思います。

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