見出し画像

パートナーに対する理想を捨てる。それこそが理想の家族になる第一歩。


家族には期待してしまう、「役割」を担ってもらうことを。

夫には、自分よりも高い年収でいてほしい、家事の中でも肉体的な作業はやってほしい、虫退治してほしい。
妻には家事や育児をやってほしい、優しく朗らかにいてほしい。
子供は子供らしく素直に育ってほしい、勉強して自分と同じかそれ以上の学力をもってほしい。

そんな役割苦しいな、と思っていた。
だから、男女平等な家庭を築きたい、それが今っぽい、私っぽいと。

それを体現すべく、男性と平等に働きたいと願い、努力してきた。

働き続けられるように、パートナーとは家事を平等に分担したいし、
結婚や子どもをもつ事について他人からとやかく口出しされず、何歳でどのライフプランを経験するかは、自分自身で選択したい。
子どもを望んだ時は女性が産む代わりに、パートナーには多く稼ぐもしくは家事を担う等で補ってほしい。


なんでだろう。
決められた役割を担うことが苦しかったはずなのに、
この理想も、相手に役割を担ってもらうことを期待している。
2人で働き続ける事、家事を平等に担うという役割を受けてもらうこと。
形が変わっただけで、役割を担い合うことは変わらない。


ある落ち込んでいる日に、パートナーがかけてくれた言葉がある。

「自分の思う通りにやってみればいい。上手くいかなければ、俺のところに来ればいい。
俺のいる場所はシェルターだから、疲れた時は閉じこもって、元気が出たらまた羽ばたけばいい。そのために、俺は今働いているし、今後も支えたいと思っている。」

対等な関係性を望むならば、私自身が相手に同じ言葉をかけてあげられること。
それが本当に“対等”な関係であると気が付かされた。

相手が弱っている時でも、
パートナー/家族を守りたいと願える気持ちをもっていること、
そして守っている自分を好きでいられること。

役割とか理想とか、枠組みを超えて、相手のことを想う自分を好きでいる覚悟を持つこと。
そんな自分でいられる集まりが、理想の家族なんだと思った。



結婚という社会的な契約を結んだ同士を、今は“家族”と呼んでいる。
そのため、多少の役割期待は当然であると考えてしまう節がある。

でもきっとこれからは、お互いへの期待を捨てて、
相手のために自分が生きることを誇れる関係性、
それが“家族”になることだと思う。

#日経COMEMO #理想の家族 #PMI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?