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哲学は問題も自分でつくるからおもしろい!

前回は、哲学カフェのルールについて解説しました。

そして私が一番難しいけど大切だと思うルールは「お互いに問いかけるようにする」ということだと言いました。

この問うことについて、今日はもっと深めて考えていきたいと思います。

哲学カフェでも、誰かと話しているときでも、質問する・問うことってあまり簡単じゃないですよね。

なにか講演を聞いていて、最後に「質問ありますか?」就活の面接でも、「最後に質問ありますか?」とか、質問ありますか?と聞かれてからドキッとしてあれ?なにかあったかな?あった気もするけどなんだっけ?とか、ありませんか?

前回の感想もいただいたんですが、相手の話を聴きながら、問いも考えるのは難しい、という声がありました。本当にその通りだと思います。

その問いをつくること、これは簡単じゃないですが、これこそが他の学問にはない、哲学らしさをつくっていることなんです。だからむずかしくて当たり前ですし、これこそが本質的なんです。

なんで問うことが哲学の本質なのか?っていうと、数学と哲学、いろいろ違うところはあると思うんですが、最大の違いは、哲学は、問いも自分でつくる、という点なんです。

数学って、学校教育の中ではすでに、問題が用意されていますよね。そして、そこから答えを探す。

哲学は、自分で問題も用意しないといけないんです

問題をつくるところから、哲学なんですね。

でも「哲学にもテーマとか問題はあるでしょ?」とお思いのみなさま、たしかにその通り!フランスの高校3年生が受けるバカロレアの試験でも、論述用の問題は用意されています。

「芸術は美しくなければならないか?」や、「あらゆる真理は証明することができるのか?」など、問いは用意されています。

しかし、論述を書く中で最終的な答えにたどり着くためのさらに小さな問いは自分で何個もつくらないといけないんです。

例えば、芸術は美しくなければならないか?というテーマだったら、まず、芸術とは何か?を問わないと始まりません。

芸術は美しくなくてもいい。と応えてしまうだけでは足りないんです。

芸術とは何か?と問いを建てて、その後それに哲学者の言葉を引用したりして芸術を定義して、そのあとさらに、美しいとはなにか?また美しくない芸術はないのか?あるならどんなもの?それらは悪い芸術か?などなど・・・ひたすら問題を自分でつくっていって、やっと答えが出せるんですね。

だから、答える人によって何百通り、何千通りもの答えへのたどりつき方があるわけです。

ここも数学と違う点ですね。答えは一つじゃない。答えを出すまでの過程も千差万別です。

そして人それぞれのユニーク性、独自性も同時にあらわれます。哲学的問いへの答えの出し方だったり、論述だったりって、私はひとつの作品だと思っています。まったくみんな違いますからね。そんなところも、私が哲学を大好きな理由です。

ということで今回は、問いの大事さ、数学と哲学の違い、についておはなししました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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