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バーチャル遠距離

あらすじ:
好きな人にフラれた。それでもとても優しい「ごめんなさい」だったのに、受け入れきれない。「受け取るあたしの器の問題だ」透子がそう思って意識的に足を向けた場所とは。
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 フラれた。
 5年勤めてる会社の、3つ年上の、とっても憧れてた人。

 その日はもう週末の金曜。休日の土曜がすぐ来て本当に助かった。
 半分開いた窓の外、スズメの声と朝の白い光で起きた。鏡を見るまでもなく目元が腫れているのが感覚でわかった。瞼が重い。

 フラれるのはとっくに分かっていた。だから泣くのを想定して金曜の送別会後を決行時間としていた。でも彼の左手の薬指のリングや、最後の仕事の引き継ぎに疲弊した表情に目が行くたびに、先延ばしにしようか止めようかとグラスの水滴を人差し指で何度も拭っては薄まったジントニックに唇をつけていた。それが何杯目のお酒だったか、今ではもう定かではない。30人ほど集まったフレンチバーは活気に溢れていたのに、音が入ってこなかった。

 送別会後、家で1人になってもなんだかどん底に落ちた気分になれなかった。自傷行為とは少し違う。でも「気分をどん底に落とす」なぜかそこまでのルートを頭の中でなぞっていた。

 そして土曜の昼下がり、あたしはいま渋谷のスクランブル交差点のど真ん中に立っている。

 ダボついたTシャツとスキニージーンズにつっかけサンダルで、右手に携帯電話が1つ。Bluetoothでイヤホンに曲を飛ばす。なんでも良かった。ポップからジャズからR&Bまで渋谷に来るまでいろんな曲を回転させていた。それでは結局気が散らなかった。

 赤から緑へ信号が変わるたびに、好みの進行方向へ人々が行き交う。あたしもそれにならってどこに行くでもなく横断歩道をふらつく。てっぺんに上る太陽から逃げるように日傘が至る所で花開いている。宮益坂の方にぎゅっと密度の濃い入道雲がぬるい風にひるむことなくそこにあった。

--ごめんなさい。でも……ありがとう。

 ありがとうってこの世の中で史上最高に美しい言葉だと思っていたけど、そうでもないんだな。こんなに残酷に聞こえたのは初めてだと思った。

 ネットサーフィンで見たけれど、ある小学生が実験と言って炊きたてのお米を2つのビーカーに入れて、1つには嫌いとか最悪とか声をかけて、1つにはありがとうと声をかけていたら数日後、色が真っ二つに変わったそうだ。真っ黒と黄金色に。言葉の力ってやっぱりあるんだと思う。
 でもあたしはいま、「ありがとう」で心が真っ黒だった。なんの光も寄せ付けない。黄金色なんかにならない。同じありがとうはありがとうでも、そこに入る「気」の違いでやっぱり色は変わるんだろうか。

「あーハンカチ忘れた……」

 汗も拭えない。点滅する信号に急かされるように小走りになっていく人々の間を縫って歩く。白線にだけポンっと足の裏を置くように。そこだけはパラレルワールド。別世界に踏み込むように白線だけを踏みしめていた。小学生みたいになんだか幼稚な自分を噛み締めていた。

 QFRONTの前で立ち止まる。蔦屋で本でも読もうか。こんな時に助けてくれる言葉なんてあるんだろうかとぼうっと思った。振り返ると次の信号待ちのためにまた同じ場所へ人が集まり出していた。人が集まるとすごいエネルギーだ。

 渋谷は昔、谷だった。だから渋「谷」なのだ。人の気が落とし込まれやすい場所だと聞いたことがあった。見渡すと夏休みの気配を漂わせた人たちの笑顔があちこちに輝いて見えた。あたしのこの陰鬱な「気」もこのスクランブル交差点に落としていきたかった。持ち帰ることなく。そしたらリセットできるのに。

 信号が青に変わり、人々が動き出す。結局あたしもまた元来た横断歩道へ渡ろうと足を踏み出した。その時、尻ポケットに入れた携帯の振動を感じて覗くと同僚の陽介からだった。たった一言、そして絵文字。

『よしよし( T_T)\(^-^ )』
「読んだ?」既読 12:40
『うん』
「結構つらい」既読 12:40
『( T_T)\(^-^ ) よしよし。バーチャル遠距離でなぐさめてやる。世界は意外に近いんだぞ、透子』
「なにそれw」既読 12:41

 話していたのは唯一陽介だけだった。こんな気持ちを周囲に声高らかに公言できるわけない。また信号を渡りきってロクシタンの前の木陰に腰を下ろした。

『空港に追いかけていけば?まだ時間あるっしょ?』

『空港』という二文字に力なく人差し指を置く。
信号の周りには人がまた集まり出していた。顔をあげてそれを眺めた。こんなにたくさんの人がいる中で、あたしはあの人だけを好きになった。手中におさめるにはピースが圧倒的に足りなくて、もう完成しないパズルならと手放すしか選択肢はなかった。

 ヴヴッと手のひらに再度振動を感じて携帯を見下ろす。

『瑞波晃』のメッセージ1件。

--瑞波さん……

 いきなり息が吸えない。震える手でタップする。

「水原さん
おつかれさまです。
昨日は送別会、ありがとうございました。
5年間、一緒に働けて嬉しかったです。

あのときには言えなかったことがあります。

実際、たぶんぼくも同じ気持ちでした。

瑞波」

 思ってもみなかった色鮮やかなピースが目の前に差し出されて、あたしは空を見上げた。震える吐息が誰にも気付かれず空に消えていく。

 辛くていい。
もう一度、あたしはフラれに行く。
信号が青になったのを確認し、落とした気を拾い上げるようにスッと立ち上がってあたしは人ごみの中に一歩を踏み出した。

fin.

#短編 #小説 #4分で読める #恋 #2000字のラブストーリー

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