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ホワイトクリスマスの祈り(6)

※全6話
あらすじ:
12月23日、日奈子にとって主任 水木との、最後のランチタイム、のはずだった。 2人が折り重ねていく言葉で綴る、優しい大人の恋物語。

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「特別なクリスマス」

 同じ社内にいる20代の女子たちを通して、至る所で惚れた腫れたを見てきた。始まることが出来るだけいいじゃないか。
 日奈子は洗面台に手をかけながら、鏡に映る火照った頬を撫でる。
 始まらないから終わりもない。それがいいのだろうか。きっとそれでいい。
 さっきの水木の話には続きがありそうだった。話したそうな顔つきの彼を振り切ってこうしてトイレに逃げ込んでしまった。動悸を抑えて静かな均衡を保ちたかった。

--僕の誕生日は12月23日です。

 その言葉を頭の隅に残したまま席に戻ると、水木は3杯目のモスコミュールを頼んでいるところだった。窓の奥に目を凝らす。さっきまでの粉雪が牡丹雪に姿を変え、ふわふわと地上に降り積もろうとしている。
「ホワイトクリスマスですね。やっぱりイブの日は女の子にとっては大事なものなんですか?」
空いたグラスを店員に手渡しながら、水木は振り返る。
「街がそういう雰囲気を増していくと、寂しくなってくるんじゃないですか?」
「そうなんですね。考えたことなかったな……玉森さんも?」
〈寂しい〉水木に悟られないように口の中だけで呟いてみる。
「まぁ。あでも……そんなことなかったです」
 水木にとってふいをつかれた返事だった。〈水木さんは傷つけない言葉ばかりくれるからいつでもあったかかった〉と日奈子はペペロンチーノにふんだんに絡まる、ふっくらとしたヒラメの身をフォークで突きながら言った。
「……何か考え事してます?」
 水木が日奈子の顔を覗き込む。
「玉森さん見てて分かるようになりました。昨日もデザートの時、フォーク突き立てて動かなかったから、すごい考え事してるんだなって思って」
「ああ……」
「なにかあったら言ってください。同じチームになって5ヶ月足らずだったからまだ遠慮しちゃいますか?」
「いえ」
「じゃ僕から言いますね。そしたら玉森さんも言ってくださいね」
「……はい」
 グラスにライムを絞りきって一口飲むと、
「僕にとってのですよ?クリスマスプレゼントは、昨日だと思ってましたよ、23日」
 水木はそう言って日奈子の見開かれた奥二重を見つめて目を細めた。
「楽しかったです。……でもちょっと僕、免疫がなくて。今日が大事な日なんだって、気づかず、すみません。大切な人の、大切に思う日を大切に出来ないのは、ちょっとだめでしたね」
「……いえ。……いっしょにいられなくても、水木さんのご好意はいつもお守りになってます」
「……ライン交換しましょう、玉森さん」
「……いいんですか?」
「昨日、携帯で撮ってた写真、くれませんか?」
 表参道ヒルズのツリーとスノウフレークだった。水木のラインに送る。
その写真を水木は人差し指で撫で、迷った挙句、〈こっちホーム画面にしますね〉とスノウフレークをタップした。
「お守りです。僕にとっても、お守りになってますよちゃんと。ほんとに、ほんと」
「……はい」
 ロック画面に戻るとそこには海賊の衣装を身に纏い腕組みをした少年が2人、微笑んでいる。消え入る前に日奈子が画面を指差す。
「それも、お守りですね」
「そうですね」
「……愛ですね」
「愛ですね」
 世間から認められる、無条件に可愛がられる愛がそこにある。水木が開けばいつでも視線が合う存在に、不思議と嫉妬はなかった。ただお互いに好きと言わなくても意味のなす、名のある関係性が羨ましかった。あたしの「好き」は、相手に好きと言葉で伝えないまでも、自動更新出来ないものかと考えを巡らせた。言葉で確認することは簡単でも、言うほど重みは増す。真っ白な紙に落とされた墨汁は広がるばかりで、そんな色味を一滴だって落とさないように、割烹料理店の個室で告白した以降、重苦しい感情は出したことがなかった。
「水木さん、もうクリスマス後もホーム画面ずっと、それですか?」
「思い出すでしょう?玉森さんとランチした時のスノウフレークだって」
「……なんか……このブローチ買った時、僕といた時に買ったブローチってことになりますよねって言ってくれたの、嬉しくって。だから、見るたびに水木さんのこと思い出すようになってしまいました」
 思わず眉間に寄ってしまった皺を引き伸ばすように額に手を当てる。
「そうですか?」
「目とか、耳から入ってくる言葉って、食べ物と同じくらいあたしには栄養になりますし、元気もらえるじゃないですか。だから、ブローチとその言葉で。うん」
「……そうですね」
「綺麗な景色に出会ったら、写真送りますね。それ全部、水木さんのこと想ってる代わり……ってことにします。だから、口ではもう言わない」
 水木の人なつこい一重の目尻が下がり、わかった、と大きく頷いた。
 ジンベースのカクテルグラスの水滴に触れてから、両耳をつまむ。まだ焼けるように熱い。
「大丈夫?酔ってますか?」
 プリーツスカートのひだに水木の熱のある手がそっと触れる。会社のチームで送別会をした日のことを思い出した。新鮮な野菜とさしの入った焼ける肉の香りの中で笑い声がはじけると、あたしはテーブルの下でぱっと彼の腿に初めて触れた。これが最初で最後の触れ合いかもと、冗談の中に緊張を隠しさざ波が寄せては返すように一瞬で離した。瞼の裏でいつも思い出す光景だった。
「酔ってないと言えないことってあるじゃないですか」
「酔ってなくたって、ちゃんと聞きますよ」
 スカートのひだから一瞬で離れた手が背中にとんとあてがわれる。日奈子はカウンター脇に置いていた小説に視線を落として
「『人生がたった1年だけだとしたら、今の季節はなんでしょうね』」
と思い出すように呟いてブローチを撫でる。
「少なくも、僕のホーム画面は1年クリスマスのままですね」
 ポーチライトが雪を追いかけて照らし溶かそうとしている。それでも闇の中で無限に降り積もろうとする雪がいつ止むのか、今だけは知らないままでいい、とグラスに手をかける。
 時計の針が合わさって、夜中の12時を告げていた。

〜ホワイトクリスマスの祈り〜

fin

#短編 #小説 #8000字のラブストーリー #完結

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