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「空手道と英語道」〜大山倍達と松本道弘

著者の松本道弘氏は豊中市の岡町生まれ。

ゴンタ(関西で言うヤンチャ)で成績は振るわないが、関学の学帽の三日月の記章に憧れて高等部の受験を希望する。周囲はお前の成績では無理だと大反対されるが、生来の負けん気で合格。

しかし高等部の級友たちはネイティブの発音に慣れており、英語の授業についていけずに落ちこぼれる。教室で騒いでいたら、イギリス人教師に言われた「get out!」が聴き取れなかったが級友は理解していたことにショックを受けた。

ゴンタではあるが、内気で恥ずかしがり屋であった彼は電車の中で死ぬ思いで拙い英語で話かけてみたりした。

エスカレーター式で内部進学した関西学院大学ではESSという英語クラブに属さずに柔道部に入部した。短波ラジオでFEN(当時)を必死で聞いたり、映画館で聞き取りをする。武道出身の彼は映画館を道場とみなし、入る前にはお願いします!出る時はありがとうございました!と礼をし、通行人にギョッとされて冷や汗をかく。

在学中に高段者である三段を取得するが、のちに英語道の方が遥かに厳しい道であったと述懐している。

柔道はスポーツではなく、武道であるとの信念を持ち、体重別を否定していた著者は英語学習と武道を結びつけた英語道を標榜した。

「ひとつのことだけを徹底的にやる方が「efficient」(時間の効率性)だと思いがちだが、それは「effectivenes」(結果の効率性)に必ずしもつながらない。経済学でいう相乗効果は時間の管理学についても言える。」
(「英語は格闘技だ」から)

一般的に言えば宮本武蔵が英語学習に結びつくことはありえない。道もクソもない。英語は技術であり、道具だ、という人間とは袂を分かつた。

ジークンドーを創設したブルース・リーは「水になれ」と言ったが、それは宮本武蔵「五輪の書」の「固定は死」からであった。

卒業後に商社に勤めるが、師と仰ぐ宮本武蔵の「箸は二本で食うもの、一本では食わぬ」という言葉に感化され、英語の使い手であることをひたすら隠した。配属された部署も英語とは無縁だった。

果たして英語に道はあるのか。悩んだ著者は京都の大徳寺塔頭である龍光院住職の小堀南嶺を訪ねた(ちなみにアンディ・フグのお墓は大徳寺の塔頭の一つにある)。

英語に道はあるのでしょうか、とくとくと語る著者に対して住職は大喝する。その気迫に体がガクガクと震えた。
後に知ったが、住職は鈴木大拙の弟子であり、宮澤喜一元首相とはアメリカ留学した仲であった。

松本はこの時、正式に初段、すなわち黒帯に昇格したと語る。

「私はこの一期一会により英語道の第一歩を確実に歩き始めていた」

本書はここで終わる。

その後、大御所松本亨先生に挑戦状を書き、商社を辞め、アメリカ大使館でアポロ月面着陸の同時通訳をした西山千に徹底的にしごかれた。

海外に一歩も出ずにNHK教育テレビの上級英語講師となり、同時通訳者、国際ディベート学会創設、「日米口語辞典」編纂を始めとする140冊以上の著書を上梓。

同じく宮本武蔵を師とし、空手はスポーツではなく、武道であると言っていた極真会館創設者の大山倍達は従来の寸止め空手では真の強さはわからないと世界で初めて相手の体に加撃して勝敗を決する直接打撃、いわゆるフルコンタクト空手を提唱した。英語は斬れなければならない(コミュニケート)という信念を持つ著者は大山に共感し、「空手道と英語道」というテーマで対談したことがある。

空手も英語もパワー、スピード、リズムという三要素が必定という点で一致し、極真会館の機関誌「パワー空手」にインスパイアされ、著者も「パワーイングリッシュ」という雑誌を創刊した。

大山倍達は言う。

「勝って驕らず、負けて卑屈にならず。死力を尽くして戦ったあとは審判に判定を任せ、礼をして淡々と試合場を降りればいい。ガッツポーズなど見苦しいからするな」

著者もこう述べる。

「スポーツでは、勝った方が負けた方よりも強いことが証明される。しかし武道においては、勝ったからと強いと短絡することは許されない。なぜなら武蔵が述べるように、『他流派の兵法、不足なる所に也(負けた相手がたまたま弱かった)』だからだ。私は英語道の門下生に、スポーツやゲームで勝ってガッツポーズをとることは、アマチュアのやることだと戒めている。勝って喜ぶ時が、最も隙が多いからだ。」

著者は英語検定試験(英検)が始まる以前から独自の英語道検定表を作成していた(後年 ICEE Inter-cultual English exchangeとなる)。

英検は1級が最高位だが、その上の段位がある。英検と比べてみると遥かに実践的であり、厳しい。100名の英検1級合格者が英語道初段になる確率は二人か三人だという。

著者が24歳の時、第一回の英検が開始された(当時は1級から3級のみ)。

二次試験は東京で行われた。試験は与えられたテーマに沿ってパブリックスピーキングをするというもの。著者がしゃべり始めると今まで下を向いていた試験官が驚いたように顔を上げた。
この試験官に俺の英語がわかるのだろうかと思ったという。少なくとも英語力では著者が凌駕していた。

難なく合格したが、合格証書が軽く思えた。

それから12年後に大山倍達をモデルにした千葉真一主演の「けんか空手 極真拳」が上映される。
戦後初の全日本空手道選手権大会で優勝した大山が優勝カップを「こんなものが何だ!」と川に投げ捨てるシーンを見た著者はたまらずに泣いた、という。

24歳の時、本書を読んで深い感銘を受け、いや、しびれた。ある英語に関する本を著者に送ったところ、本人から達筆で葉書をいただいた。これは私の宝物だ。

著者は2022年3月14日に亡くなった。訃報を知った時の落胆は激しかった。

「Self-actualizing people put art and life into their living.
And they get the most out of every moment of their life.

求道者という者は人生を芸術とみなし、一瞬たりとも無駄にしません。」

という著者の言葉を事において思い出す。

生涯を賭けて道を追及し、a man of integrity(完成された人格、いやサムライという訳が近いか)を目指した松本先生の影響は私にとって非常に大きい。

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