キハチとノブコ
映画監督岡本喜八と女優乙羽信子は共に米子市出身の1924年生まれ。
乙羽の母親は兄弟の中でも美人だったので、大阪に出て芸者をしていた。母親の山登たけこは身ごもり、帰郷して西倉吉町の肉屋の二階で信子を出産する。父親は現大阪市福島区の魚問屋の息子であり、信子を引き取りに来た。戸籍上は山登信子である。
たけこは寂しさに耐えかねて61歳で皆生の海で入水自殺をしている。山登家は代々武士の家系だった。山登源平の頃までは羽振りが良かったが、それから没落したらしい。
信子は新藤兼人監督と恋仲になるが、新藤には妻子がいた。離婚した新藤の妻が脳溢血で亡くなっても信子は再婚をためらっていた。後押ししたのは亡くなった妻の子どもたちであった。結婚したのは二人が出会ってから27年後のことだった。
信子が亡くなった時に代表作「裸の島」の撮影地である広島県三島市の島の海に遺骨の半分を散骨した。18年後に新藤兼人が亡くなった時、兼人の次男が同じ場所に散骨した。
喜八の母親は喜八が小三の時に亡くなった。姉も中学年の時に亡くなっている。二人とも肺結核だった。父親は再婚するが、一年足らずで離婚、再再婚をしている。喜八は生涯39本の映画を撮り、食道癌により川崎市の自宅で亡くなる。
ここまで調べてから、今日、二か月前に取っていた「米子市史」の明治五年の四日市町(私の生家がある)の町割り地図のコピーを見てみた。
そこには山登源平と10軒隣りに岡本安平の名前があった。乙羽信子と岡本喜八の先祖は同じ町内のごく近所に暮らしていた。
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