日本とスウェーデンの押忍の精神
スウェーデン出身のウルリカさんは16歳で空手を始め、黒帯を取るために21歳で来日、日本人の空手家と結婚して今では三女の母親だ。空手指導者、通訳や翻訳、テレビ出演と八面六臂のウルリカさんが書く本書は子どもと大人が幸せになるヒントが詰まっている。
日本人は子どもを過保護に扱う、という。それは子どもの成長や学びを阻害してしまう。耳の痛い話だ。アインシュタインの名言に「今まで一度も失敗したことがない人は今まで一度も挑戦をしなかった人だ」とあるではないか。
二つの国の比較文化論は多数あるが、本書のユニークな点は武道による第三の視点が入ることだ。
例えば空手の生徒である子どもたちには「強くなりたいなら、恐れや不安を表情に出してはならない」と強く伝えるという。
彼女の空手の師である極真空手の創始者、大山倍達は試合後のガッツポーズを禁じた。「勝って驕らず、負けて卑屈にならず。感情を表に出すのは見苦しいし、相手にも失礼だ」
自制心は武道家の絶対条件の一つである。
「ネガティブな感情を表に出すことは、周囲への甘えといえます。また、不機嫌なのはずるさでもあります」
この言葉には全面的に首肯した。
誰とでも、どんな場所であっても機嫌よくできることは本当に強い人なのだろう。
どんな人も、どの国民性にもパーフェクトということはありえない。スウェーデンでは体罰の禁止が法制化され、家庭でも学校でも叱らずに褒めることが一般的になっているそうだ。褒めることは無論素晴らしいが、弊害として若者は打たれ弱いという。
日本では小さな女の子に将来の夢を聞くと、「お嫁さん」と答えることがある。スウェーデンでは考えられない。結婚するかしないかと将来自分が何になりたいかとは全く別の問題だからだ。私が敬愛するジャーナリストの千葉敦子さんも同じことを言っていた。
日本人が気づかない指摘もある。保護者欄に自分の名前を書くと、シングルマザーと勘違いされる。なぜだ?子どもの親は父親だけじゃないのに。校則では髪の毛を染めるのは禁止なのに生まれつき茶髪の子が黒髪に染めるのはOKだという。皆と同じにすると安心するという日本人のメンタリティだ。確かにくだらない。
本書を1ページめくるたびに、そうだそうだと共感するのだが、特に強く共感したことがあった。
道場に入門しようとするお母さんが「うちの子はADHDだからご迷惑になるのでは」と。
「何で遠慮するのか不思議でした。どんな子でも受け入れることができないなら、最初から子ども向けの教室(どんな教室でも)はやってはいけないのです。その程度の指導者なら、他の仕事をやりなさい!と強く言いたくなります。」
その通り。お金をもらうならプロであり、それができないなら教える資格はない。私は20年以上ボランティアで極真空手を教えていたが、それでさえ(それでさえ、と言うのはお金をもらう方が遥かに責任を伴うからだ)、誰であっても稽古を拒んだことはない(と偉そうに言う必要もないが)。
本書ではルールがあるゆえに自由であるということにも触れている。ふと空手家の挨拶である「押忍」のことを思い出したので最後に。
大山倍達総裁は言っていた。
「もし刀を抜いた時に斬れない刀だったらサムライの恥だ。だから刀は常に磨いておく。しかし抜かない。鞘に納めておく。抜かないところにサムライの価値がある」
これが押忍の精神だと勝手に思っている。
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