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<ヴィパッサナー回顧録 人生掘り下げの旅へ・・・疑いと信じることは紙一重>

知っている人は知っている、
知らない人は全く知らない
ヴィパッサナー瞑想。

10日間の瞑想コースを終えて、
そこから得たことを咀嚼して
書いております。(合宿体験は2017年です)

ヨガを突き詰めたことがなく、
身体が硬い私が
足の痛みが原因で陥りそうになった
大きな、危ない罠。

それは、
毎回、1日総トータル9時間を超える瞑想の時間に
足が痛くて痛くて、その痛みが影響して
自分の選んだこと
自分のしていることを
自分で疑い始めるという
おそろしい罠です。

しかしまた
その時感じたのは、
「何かを信じることと、
それをまた疑うことは
本当に紙一重だな」って
ことです。

当たり前のことですが、
私たちは自分が行うことに
何らかの結果を期待したり
求めている訳です。

その結果を求めることが、
全くもって正当なことであったり
逆に結果を求めることが
その信念自体を揺るがす
原因になったりします。

私が参加した
「ヴィパッサナー瞑想」、

それは、
自分の身体の感覚に繋がる
潜在意識の奥深くに押し込められた
様々な観念、コンプレックス、
価値観などを

身体の感覚を通じて感じ取り
それを俯瞰的に観察すること
「ただ観察する」ことで、
浄化していく瞑想法。

この瞑想(行動)から結果を得るのは
短期間ではまず難しいというのが
瞑想合宿後に正直に感じたことです。

何といっても
ヴィパッサナー瞑想の究極のゴールは
私たちが人生をかけて
辿り着くところかも知れません
(もっと早く着けるかも知れませんが)

しかし、ゴールを知ることが
プロセスをスムーズにするとは
限りません。

自分の辿り着きたい地点まで、
中間地点をいくつも背定する。
それもひとつの方法です。

瞑想合宿の前半、
様々な感情や体感の中で

「私が今していることは、
本当に効果があるのか?

実は、私が今していることも、
今まで信じてきたことも、
実は、全部嘘なんじゃないか?

私が思っているのとは反対に
人生は勝手に創られ、
コントロールされ、
私たちはどんなに視点を変えても、生き方を変えても、
何の意味もないんじゃないか???」

こんな想いに
囚われちゃったりしました。

この勝手に浮き上がってきた想いが、
自分の心に思い掛け無い不安や
恐れを起こしたりもするんです。

そうすると
呼吸が乱れて、
思考は乱れて、
文字通りのミニパニックになります。

そして、これがまた
自分の感情、反応を
俯瞰的に冷静に見つめる
格好の機会になるんです。

心の乱れの原因を
ひとつひとつ丁寧に探り、
それを手放していく。

その丁寧さは、まるで職人技です(笑)

見えないもの
見えない現象
見えない力
見えないサポート

それを信じるのは、
もう自分でしかないです。

知識としての学びも必要でしょう。

そして、最も大事なことは私にとって
自らの身体をもって「体感」することでした。

知識は自分の身体という枠の中で
起こったことではなく
自分の外で起こっていることであり、
あくまでも誰かの経験です。

自分ではなく、
誰かの経験でしかない。

このヴィパッサナーの瞑想合宿に関しても、

私の感想は
あくまでも私自身の体感であり、
他の全ての人に共通する体感ではないのです。

二日目に
様々な想い、痛みが入り乱れて、
逃げ出したい衝動に駆られたと書きました。

でも、逃げ出さずやり遂げて
そこで経験したこと、
見えたことがあります。

逃げだしたくなったのは私の経験。

他の人がどうだったのかは分かりません。

私がした体験だから、
私が実際にした経験だからこそ
今こうして思い返すことが出来る。

私たちは大変な情報過多の時代にいます。

合宿を終え京都の市内に出た時、
特に視覚から入る情報の多さに
合宿仲間みんなが頭痛を発症するほどでした。

情報が多いということは、
感化される機会も多いということ。

大量の情報
他人の価値観、思想に、
毎日自分の全身がさらされていることを
知って頂きたい。

自分が体感できることが、
一番信頼を持てることでもあります。

何かを信じることも
何かを疑うことも
実は容易くて、
紙一重です。

揺るがない自分であるには、
体感を持って創り出すのが
確実な気がします。

そして経験ですら、
絶対的な真理ではないと言うことも
後から気づいた大切なことでした。

瞑想合宿の忘備録はもう少し続きます。

自分軸コンサルタント
中島 みき

aihakairakuさんの画像を使用させて頂きました。
ありがとうございます。

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