見出し画像

自身のMVVを見出すまで

先日、会社側の施策としてMVV策定から戦略実行まで書いてみた。ただ、それだと、ミドルから反感買いそうなので、今回は従業員側から切り込んでいくことにする。(理屈ばかりのコンサルになりたくないので、従業員の気持ちはよくわかっているんだよという言い訳w)

私が一番キラキラ輝いていた時代
私の一番長いキャリアはブライダルの営業だ。25歳から35歳まで、福岡の海沿いの結婚式場で、オープニングから携わり、のべ700組のカップルを支援してきた。目の前にいる新郎新婦の幸せが自らの幸せであり、プライベートも犠牲にしながら全身全霊を捧げていた。人の幸せ追求しすぎるがあまり、離婚も経験した(笑)それでも仕事にコミットしていた。また、数字は後付けという風にも思っている。新郎新婦への愛ともいうべく真心は、私を社内で一番のトップセールスにした。私をトップセールスにしたのは会社の仕組みもある。ブライダルというのは厳しい産業だった。縮小市場なので、競争は激しく営業が泥臭い。それに相まって私が属していたのは規模がどでかい非上場同族企業。『数字は人格』『成約率60%以下は人ではない』『行動力は成果に比例する』がモットー、営業を外すと・・・今思えば完全なるパワハラw そんな昭和な社風で育ち、従順だった私は『●●(当時いた会社名)の結晶』、『獲得マシーン』と呼ばれていた(笑)おまけに、ブライダルというのはクレーム産業。営業の責任者になって以降は、毎週のようにクレーム対応に追われ、新郎新婦からくそみそ言われることも少なくなかった。そんな私を支えていたのは、実は新郎新婦のためではなく、会社への忠誠心だったのかもしれない。今思うと会社に完全に依存していた。

辛い思い出のみなとみらい
そして、当時の私の目標は会社の社運のかかった関東初進出となるみなとみらいの式場へ営業責任者として異動することだった。式場が立つ2年以上前からそのことだけを目標に、自身の成約数、成約率、店舗の数字にコミットしていた。人事部長に維持し続けたら行かしてやると言われ、愚直に2年間目標数字を達成し続けた。そして、念願のみなとみらいの式場の営業責任者に抜擢された。夢が叶った瞬間だった。しかしその瞬間も束の間、私の横浜での生活は以後本当につらいものになった。私は営業のトップ、イーブンな立場であるプランナーのトップは他社で支配人経験のある男性を人事部長がヘッドハンティングしてつれてきた。私とプランナートップの二人を束ねる上のGMも人事部長が他社支配人経験者の男性を引き抜いた。彼らは、明らかに会社の社風になじまなかった。あらゆるルールが非常に厳しかった会社のやり方に明らかに不平を貯めており、社内コンプラ違反な彼らのやり方で、業務を遂行していた。当時の私は35歳、40代後半の結託した男性ふたりにモノを申すのは躊躇はしていたが、人事部長から『お前はスパイになれ。何があっても社風を貫いて、守れ。怯まず戦え』と言われ、愚直にそれらを守り実行した。私を突き動かしたものは会社への忠誠心だった。彼らにものを申す度、彼らは私への反発心を露わにし、悪態をつかれるようになった。ある夜、部下たちが帰ったあと事務所でたまたま3人になったことがあった。黙々仕事をしていると、二人がふざけ合いスマホでAV動画を見始めた。完全に私をバカにして私の怒り狂う姿を見たかったのだろう。まんまと、彼らの思惑通りに私がものを申すと、大人の男性のコミュニケーションの取り方だとあしらわれた。

人事部長参上
友人も家族もいない横浜で彼らの対応をし続けるのが限界にきていた。人事部長に相談するか否か悩んでいた矢先、人事部長が式場に現れた。ざまーみろぐらいに思っていた次の瞬間、人事部長から『お前が全ての悪の根源だ。お前に協調性がないから、社運のかかった式場がうまくいかん。原因はお前にあるというのが分からんのか』と言われた。当時の心境は今でも思い出す。頭が真っ白になり、のどが渇き、はらわたがぞわぞわする感じ。しかも、それだけだったら、まだしも後から人事部長に呼び出され言われた。『あれ、パフォーマンスやから。あーでも言わな納得せんやろ、やつら。お前はわかってくれるよな。』と手を握られた。次の日私は辞表を出し、10年いた会社をあっさりと去ることになった。こんな組織があってはならないと思った。かつて仕事を一緒にしていた同僚、上司にも相談していたが、親身に話は聞いてくれたものの、誰一人助けてくれる人はいなかった。巻き込まれると火の粉が飛んでくる。そんな保身の組織はあるべきではないと思った。これが私が組織・人事コンサルになった背景である。組織の変え方を学び、本気で変えたかった。『世の中の報われない従業員を救いたい』と思った。

自身のMVVを設定できたことによって
組織・人事コンサルになって以降も、仕事の原動力であった忠誠心が失われた状態で、仕事への活力は完璧に失われ糸が切れていた。バーンアウトのような状態は数年続いた。仕事100%人間だったので人生そのものの意義さえわからなくなっていた。その中でもなんとか、組織・人事を学び、成功体験も積み、クライアントの喜ぶ顔も見え、日本の生産性を上げたいという自らのMVVを設定したことによって(これは全ての従業員がきらきら働ける世界という意味を含んでいる)、10年くらいかかり、今やっと当時ほど自らがエンゲージメント高く仕事ができているかもしれない。それは研修をしていて、受講生がわかった!となった瞬間であったり、経営層が何らかのヒントを得て自組織に持ち帰れ、組織が変わりそうな期待がある時等。やっぱり根底には新郎新婦ではないが、目の前で困っている人がいたら全力で助けたいというのが、自分の原動力なのだと気付けた。また、最近過去の暗い記憶を浄化できるようになったのは、自分も依存をし過ぎていたという自責の念が持てたからかもしれない。だからこそ従業員目線になった時には、当時の自分に言い聞かせるように強く言いたい。会社に依存するのではなく、自律するようにと。そのスタンスが、きっと今囁かれているリスキリングの根底であると思う。

学びから得られるもの
私の場合、MVVを設定するきっかけはMBAであり、またG'sでもアップデートできそうな気がしている。辛い過去を浄化するのは大変だし、MVVを設定して翌日何かが変わるかというとそうではないかもしれない。しかし、新たな学びを始める、MVVを設定する等何らかきっかけを掴むためのアクションを起こすことは重要だと思う。MVVは変わってもいいし、今の自分は何に突き動かされるのか、模索しながら探せばいいのだと思う。もちろんバシッと決まれば理想だが、そういかなければ、仮置きでもいいと私は思う。人生のプロトタイプってやつでしょうか。あーでもないこーでもないと、もがきながら時間かけ、アンテナ張ってこれからも自分らしさをアップデートしていきたいなと思う今日この頃。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?