感覚的思考の強い自分

 自分は感覚的思考の強い人間だと思う。

 感覚的思考というのは、何かを判断するもしくは行動するときに直感やフィーリングで決定することが圧倒的に多いことだと考えている。

 小さいころを振り返ってみても、フィーリングに身を任せてきた22年間だと思っている。それは16年間続けてきたサッカーとこれまで行ってきた進路選択に大いに反映している。

 小学校時代のヒーローは紛れもなく中村俊輔選手であった。小学校の図書館には、なぜかサッカー関係の本で『黄金のカルテット』という本があった。それは中村選手、中田英寿さん、小野伸二選手、稲本潤一選手について書かれている自伝のようなものが各1冊ずつ集まってシリーズとなっていた。週に一度あった図書の時間では、今週は中村選手、来週は稲本選手というように回し読みを何週したかわからないが、その中でも中村選手の本は数え切れないくらい借りた。(借りても読まないことはあった笑)

 同じ左利きかつトップ下やアタッカーなど前目のポジションを担っていた全盛期の中村選手の特徴は日本のファンタジスタと呼ばれるにふさわしいイマジネーションあふれるパスであったと幼きころの自分の脳裏に焼きついている。この俗にいう創造性あふれるパスに憧れを抱いた自分は、小学校、中学校と彼のようなパスを出せるサッカー選手になることを大きな目標に練習や試合に励んだ。なにより、彼のプレーは感覚的なものであるように見えたし、誰もが驚くようなプレーをする日本の天才はフィーリングが常人とは異なっているからこそ成せる技なのだと自分は考えていた。

 高校選択の際も自分のフィーリングが大いに関係している。担任の先生からは県内であれば、どこの高校でも狙えると言われた。論理的かつ普通の人間ならば、もっとも偏差値が高いと言われる学校に入学するだろう。しかし、自分のフィーリングがそうすることを拒んだ。田舎にありがちなことなのかもしれないが、その高校には毎年4人に1人自分と同じ中学校から4人に1人が進学する。直感的に、中学校の環境と似ている環境がもう3年間続くことに意義を感じておらず、その先の人生を見据えたときに、まったく異なる環境に飛び込むべきだと感じた。もちろん、サッカーの強い学校に行きたかった思いも強かった。中学校のサッカー部では、自分が出場したほぼすべての公式戦は地区大会初戦敗退であり、高校では全国を狙えるところで勝負したいと思っていたからである。結果的に選んだ高校に合格できた。学力的には受験者全体で2位の点数だったと高校のサッカー部の監督から初対面にもかかわらず、皮肉を込めて言われたのが印象に残っている。首席でスピーチすることにならなくて本当によかった。(笑)

 そんなフィーリング型人間の自分が、サッカーをする上で感覚を捨てざるを得なかったのが高校2年の春である。フィーリング型のサッカー選手は、調子が良いときはえげつないプレーができる。誰も想像しないところへパスを通せたり、アクロバティックなバイシクルシュートが打てたりする。その反面、調子が良くないときはまったく持ち味が出せなくなる。簡単なトラップやパスがうまくいかなかったり、相手にプレーが読まれ穴となる。自分の入学した高校の監督はベストメンバーのAチームにはいつどんな相手だろうと計算のできる選手を好んでいた。自分のフィーリングプレーで褒められることもあったのだが、だめなときのプレーが気に食わなかったのだろう。監督から干されたことがほんの少しだけあった。

 そのときに自分の心の中に浮かんできたのは、「試合に出たい」という純粋な思いであった。そのためには計算のできるプレーヤーになる必要があった。計算のできるプレーヤーとは、ミスが少なく攻撃にも守備にも一定の安定感を発揮できるプレーヤーだと思っている。フィーリングに身を任せることは、競馬でたとえるならば、大穴を狙いにいくようなものである。そうではなく、いつ何時でもしっかりプレーできる選手になることが自分が試合に出る一番の方法であることを感覚的に悟った自分はプレースタイルを意識的に変えた。ポジションも変わった。最初は楽しくなかった。けど、監督や周りのチームメートから賞賛されるたびにこれが自分の生きる道なのだと自覚していきサッカーにおいては感覚的思考をやめ、論理的思考でプレーするようになった。

 感覚的思考の強い自分をさらに助長させるのが、大学選択である。田舎から出るのか出ないのか、東北から出るのか出ないのかの選択を無意識的に迫られた。兄や姉が地元を出て一人暮らしをしていたので、一人暮らしへの憧れは強かった。また、地元が日本屈指の田舎ということもなんとなくわかっていた。高校の友人の中には東京や横浜の大学を志望しているものもいたしい、地元の大学もいれば、お隣の県の全国有数の政令指令都市にある大学を目指しているものもいた。

 「横浜ってなんとなくかっこよくね?」と「英語は得意な方だから、国際的なこと学べる大学がいいな」と感覚的に感じた自分は、自分の学力でいけそうなかつ英語に力を入れているっぽい横浜にある大学を目指し、受験、運よく合格した。

 そんなフィーリングの強い自分がここ数年でもっとも困ったことがある。それは大学卒業後の職業選択の際に起こった。それこそなんとなく教員になりたいと思っていた自分だが、なんとなく就活をはじめた。就活を経験しておいたほうが人生のためになりそうだと感じた。もしくは就活を通して、自分のやりたいことが見つかるのではないかという甘い期待もあったと思う。結果的にどんな企業のどんな説明を聞いてもわくわくしなかった。おもしろいと思うコンテンツはあった。いろんな企業を見た中で自分がおもしろいと思うキーワードを5つ発見した。しかし、それらの企業で一日の多くを過ごす自分をイメージできなかった。これも感覚的判断になってしまうのだが、、。

 実はほんの数ヶ月前まで感覚的思考の強い自分に無意識的に嫌気が指し、今後どうしようかと思いつめていたこともあったのだが、前回のnoteに記入したような安彦選手や中島さんのお話を聞いたり、大学サッカー引退後いろいろなバイトや場所に行って見聞きしたことによって、この思考のメリットを自分なりに定義できた。メリットは三つほどある。

①「ストレスフリーになりやすい。」 これは想像しやすいと思うが、フィーリングで生きていることが多い人間はそもそも思考回路がフィーリングなのでストレスを勝手に避けて、自らの過ごしやすいように時間や行動を決定していると思う。逆に論理的な思考が強いと、理論や概念が先行して気づかぬうちに対人関係や仕事などにストレスを抱えてしまうことが多いのではないだろうか。

②「自らのアイデンティティを認知しやすい。」 感覚的人間は自分は他者と似ているようで絶対的に異なっているということを感覚的に認知していると思う。例えばサッカーでクリエイティブなプレーをしたときや、周りはそんなにわかってくれないけど自分だけが好きなお笑い芸人がネタをするときに得る満足感や幸福感は、自らのアイデンティティを認知するのに大いに貢献すると思われる。

③「根拠のない自信を持っている。」 フィーリングで物事を決めてきたことが多いと、フィーリングで何かを決定しその結果、なんとなく成功することも多い。そうすると、自然と自分はできる子だと勝手に思い込むようになる。また逆に失敗しても、フィーリングだからしょうがないと開き直り気づいたら忘れていたり自らのネタにすることもある。最近、「根拠のない自信」について書かれている本が本屋で見かけることが多いが、根拠のない自信がある人は、フィーリングが自らのものさしとなっている感覚的人間が多いのではないだろうか。

 感覚的人間のメリットを書いてみたが、逆にデメリットはあるのかというといっぱいあると思う。デメリットについて述べるのはまたいつかにするが、では感覚的人間である自分がなぜ2019年の自らの課題として「自らの思いや考えを言語化してアウトプットしていくことに焦点を当てていく」のかという点について最後に述べておきたい。

 「物事の言語化」と言われても抽象的であるが、言語化の必要性を大きく感じたのは就活での経験と大学2年間サッカー部の主将を行ったことが影響が大きい。

 とある大手企業の座談会と称した一次選考会。同じグループには早稲田や慶応、上智などといった偏差値が高いと言われている大学の学生がいた。しかし、彼らの話を聞いていてもまったく動じなかった自分がいた。なぜなら、自らが歩んできた人生はフィーリングが主であり、後悔もあるがそれすら人生と割り切れていて、さらに常人には経験できないようなことをしてきたという自負のある自分がいたからである。また、それらは前述した根拠のない自信となって存在していた。しかし、自分の番になって、状況は変わった。その座談会には、早稲田の学生のように流暢に、慶応の学生のように臨場感を持って自分の思いや考えを話すことのできない自分がいた。もしかしたら彼らよりも莫大な経験と話のネタがあり、自らを認知してもらえるチャンスであったのにそのようなコンテンツを整理して言語化ができないゆえに、能力のない学生、覇気のない人間だと見なされるのが悔しかった。もし感覚に頼らず、しっかり言語化し話すことができる能力をつけることができたら、自分の長所をもっと効果的に出していけるのではないだろうかと考えた。

 そして、2年間のサッカー部主将の経験。これは本当にしんどかった。サッカー部の主将だからサッカーのことだけ考えていればよいなんてことはなく、監督がいないからこそ戦術や練習メニューはもちろん部員の人間関係まで気を配った。チームのプレーモデルを決める際に、部員みんながイメージを共有できなければ、チームとして攻撃や守備のアクションを行うことはできない。弱いチームがチーム力を高めずに個人レベルの戦いに終始してしまったら、個の力が上の選手ばかりの強豪チームに勝てるわけがない。しかし、言語化が苦手な自分はその必要性に気づかず感覚的なアプローチしかできなかった。また、部員が退部をする際も、相手を気遣うあまり、あいまいな表現の言葉を用いることが多く、結局主将は何を考えているのだと思われてしまったこともあると思う。言語化がうまくないと、自らの持っている情熱や魂が相手に伝わらないことを知った。

 この二つの経験から言語化からのアウトプットに重きを置きたいと思っている。だが、言語化は手段に過ぎないことを忘れてはならないと思っている。自分の思いや考えを、日本人の多くは言語のひとつである日本語を用いて伝える。その伝える作業の際に、「上手な言語化」が自らの思いをより相手にわかってもらうためのひとつの方法であるというだけである。もし、言葉がなく、表情でコミュニケーションをとる世界であったならば、相手に思いを伝えるために、表情筋を鍛えて自分の表情から自分の思いを思う存分汲み取ってもらえるようにするのと一緒である。たまたま、人間は言葉を用いコミュニケーションすることが多いからこそ、言語化をより磨けば、他者は自分をもっと理解してくれて、これまでよりもっと幸せ人生が送れるのではないかという考えを今、自分は持っている。



 かなり長い文章になりましたが、いかがでしょうか。(笑)もし、全部読んでくれる人がいたならばご飯をおごりたいくらいです。少なくとも、フィーリング型人間の自分がなぜ物事の言語化からアウトプットを目標とするかについて知ってもらえたらうれしいです。

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