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当館収蔵の作家紹介 vol.8 中根寛(なかね ひろし)

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当館には近代の日本美術を代表する作品を数多く収蔵しています。展覧会を通じて作品を見ていただくことはできますが、それがどんな作家、アーティストによって生み出されたものなのか。またその背景には何があったのか。それらを知ると、いま皆さんが対峙している作品もまた違った感想をもって観ていただけるかもしれません。
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この連載で今回取り上げるのは中根寛。大正時代に生まれ昭和後期から平成にかけて活躍した洋画家。まだ海外への渡航が簡単ではなかった頃から北ヨーロッパ、エジプト、中国、インド、ネパールへと機会をつくっては研修や取材という形で訪ね歩いたようです。
その中根寛の作品は、2024年2月24日までの展覧会『富士をみつめて』でご覧いただけます。

愛知県岡崎市に生まれる。父が校長だったために師範学校に行くが1944年(19歳)戦争のため繰り上げで卒業し陸軍士宇都宮航空学校に入る。ここでは特攻隊としてグライダーなどの訓練を受けている。晩年の風景画には鳥瞰図が多くなるが、この時空から見る風景に影響されているのかもしれない。

《山なみ【奥三河】》1992年 油彩・キャンヴァス 岡崎市美術館蔵
©Miki Nakane 2024/JAA2400043

1947年(22歳)東京美術学校を受験。学科で不合格に。翌年は東京藝術大学への切り替えの年で入試が行われず、もう一年入試を待たされる。1949年(24歳)晴れて東京藝術大学が設置され第一回生として油絵科に入学。教授には梅原龍三郎、安井曾太郎の両巨頭が。1年次はデッサンばかりで2年次から安井教室へ。4年次に梅原、安井の退官に伴い、新しく入った林武に師事。彼から「どの美術団体もダメだ!」と言われ、一生涯どの美術団体にも属さず、グループ展や個展を中心として作品を発表。1953年(28歳)卒業制作で第一回大橋賞を受賞。この賞を獲ったことで2年間毎月1万円の奨学金がもらえたため専攻科に残り、ここから65歳で退官するまで大学に籍を置くので、東京藝大の生き字引のような存在となる。学生の頃は林の影響を受け、混ぜた絵の具を塗りたくって人物画を描いていた。1969年(44歳)初めてヨーロッパを旅行。これ以降風景画に新境地を開拓。1975年(50歳)国交回復前の中国でも風景画を制作。晩年は日本人が西洋の風景を描くことに躊躇いを持ち始め北海道や浅間山、富士山、など日本の風景をパノラミックな構図で描くようになった。2000年(75歳)画業50年展が開催されているが、それ以降も100号を超える逸品を数多く生み出している。

中根寛《朝陽富士》2004年 油彩・キャンヴァス 
©Miki Nakane 2024/JAA2400016

中根の風景画はとにかく緻密で奥行きがある。さらに海や湖や川といった水の表現が見事である。ヨーロッパも日本も中国も風景の中に風土や文化といった人の匂いが感じられるのも特徴である。晩年の作品はドローン撮影したような奥行きのあるパノラミックな構図が特徴的である。       
   
                             [企画・編集/ヴァーティカル 作家紹介/あかぎよう] 
 



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