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D・O・A 第七章 リアルトラブル

黒須はあれからまた、何当直か勤務をこなしていた。
SAYAに関するネット上での騒動は、沈静化する気配が一向に無かった。
週刊誌などのメディアでも情報の焼き直しとは言え、繰り返し報道されていた。
若い署員などは休憩時間などにSAYAの話題で盛り上がっている事もあった。
そういった事象を横目で見ながらも、SAYAの件について黒須がそれ以上に首を突っ込む事はなかった。
 
その日、いつもの救急隊長が公休日のため、黒須が当日は隊長の任にあった。
遅い午後、黒須の隊は病院からの帰署する途上にあった。
黒須は信号待ちで停止した車の窓から外を見た時、池上家の近くである事を認識した。
池上家の現場を思い出すと、黒須の脳裏には憔悴しきったの陽向の顔、毅然とした澪奈の表情、小夜の搬送時の姿などが浮かんだ。
 
「あれ、トラブルですかね」
機関員の言葉で黒須は前方の交差点に視線を戻した。
交差点上では急いで渡ろうとする若い女性に男性の二人組がぴったりと張り付き、何かを話しかけていた。
黒須はその若い女性が池上陽向だとすぐにわかった。
陽向はしつこく話しかける男達を振り切ろうとして足を早めた。
しかしぴったりと張り付いた男の足につまずき、交差点内で転倒した。
陽向は起き上がってなんとか交差点から出たが、歩道の端でうずくまった。
黒須は機関員に車を路肩に寄せるように指示を出し、車を降りて陽向のところに向かった。
 
陽向は歩道上で足首を押さえ、痛みに顔を歪ませていた。
通行人のうち何人かが「大丈夫か?」と声をかけていたが、黒須の姿を見て場所を空けた。
黒須は陽向の傍らにしゃがみ、「大丈夫ですか?どこが痛みますか?」と聞いた。
陽向は「足が、足首が急にぐきってなって、痛くて・・・」と痛みを堪えながら答えた。
「ちょっと触りますね」と言って黒須は慎重に陽向の足首に触れた。
「多分捻挫でしょう。骨折はしていない様です」と黒須は説明した。
 
そこに一人の若い男性がやって来ると「まったくひどい事をする奴らだな」と怒りを露わにしながら陽向に、「大丈夫ですか?」と声をかけた。
陽向は「はい、何とか。骨折はしてないみたいです」と弱々しく答えた。
黒須は、「何があったのですか?」とその若い男性に問いかけた。
若い男性は、「オレ、この娘の少し後ろを歩いてたんですけど、あの男たちが両脇からこの娘にしつこく話しかけて進路妨害をしようとしてたんです。それでこの娘が走って振り切ろうとしたら、片方の男の足に引っかかって転んじゃったんです。あいつら、歩道まではついて来たんだけどこの娘が座り込んじゃったからヤバイと思ったみたいで、急いで逃げてって、追いかけたんだけど見失った」と説明した。
黒須は若い男性に礼を言うと、陽向に「とにかく病院に行きましょう」と勧めた。
陽向もこくんと頷いたので、黒須ともう一人の隊員で陽向を救急車に収容した。
 
隊員が後部で陽向をストレッチャーに座らせ、必要事項を聞いていた。
黒須は助手席に戻ると、救急車の電話で受け入れ可能な病院を探した。
受け入れ病院が決まると、黒須は無線通信を行った。
「救急1から本部」
「本部です、救急1どうぞ」
「救急1。元町交差点にて怪我人発生。本隊が現場に居合わせた。二十代女性、足首捻挫の模様。市民病院に搬送します」
「市民病院に搬送、本部了解」
無線通信を終えると救急車はサイレンを鳴動しながら病院に向かった。
 
陽向の処置の結果、やはり捻挫であったが数日は痛みが残るだろうと告げられた。
隊員が病院で手続きをしている間、黒須は陽向に付き添った。
黒須は「池上さん、大丈夫ですか?からんでいた男達に心当たりはないのですか?」と出来るだけさりげなく聞いた。
陽向は「わかりません・・・途中から付いて来て、姉の事を色々と聞いて来ました。怖くて逃げようとしたら転んじゃって」と弱々しく答えながら自身の体をぎゅっと抱きしめた。
「それは怖かったですね」と黒須は優しく言ったものの、それ以上の言葉が出て来なかった。
陽向は黒須の顔を上目遣いにちらっと見ながら、「あの、救急隊員さん、この前消防署でお会いした方ですよね?」と黒須に聞いた。
黒須も「はい、そうです。あの時は救急指令が入ったので失礼しました」と答えた。
陽向はうつむくと、その膝に大粒の涙が落ちた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、どうしてこんな事に・・・。なんでこんな目に遭わなければならないの・・・」と陽向は小声でつぶやきながら、必死に涙を拭った。
黒須はかける言葉もなかった。
こんな時には何を言ってもダメなのだと、黒須自身も知っていた。
それぞれの痛みはそれぞれのもので、誰が何を言っても微塵も癒える事はないのである。
 
陽向の涙がひと段落したのを見て黒須は、「お母様に連絡したので、まもなく来られると思います」と陽向を現実に戻した。
「ありがとうございます」と陽向も言うと、残った涙をハンカチで拭った。
 
「さっきの男達、チューバーです。姉は本当に自殺なのかってしつこく聞いてきました。澪奈さんが、こ、殺したんじゃないかとも聞かれました・・・」そう話し始めた陽向は怒りが恐怖に勝ったのか、とてもしっかりと話を続けた。
「姉の事があった前にも、自宅の近くで見知らぬ人達が誰かの家を探していました。姉が付け回された事も何度もありました。家を知られない様に遠回りをしたり、友達の家に行って巻いたり、大変でした。姉は顔が知られてましたから、そういうのがあってもわかります。でも私や母は顔を出した事は無いんです」
陽向は一気にそう言うと、ハンカチを持つ手が震えていた。
「それなのに、それなのに・・・私や母が姉をこ、殺したって言う人達も沢山いるんです」
再び声を震わせた陽向が言ったその言葉に、黒須は衝撃を受けた。
(事件事故で家族が疑われる事はある。合理的に疑われたとしても、人生が狂ってしまう事もある。その痛みにずっと苛まれている俺でさえ、視聴数や売名のためのに家族を犯人に仕立て上げる輩から受ける痛みや衝撃をわかっていなかった。頭ではわかっていたつもりだったが、こうして目の当たりにするとあまりにも惨いな・・・)
黒須は陽向が吐露した現実に、そう痛感した。
黒須の中では早希を失った時の痛みが蘇り、目の前の惨さに冷たい怒りが渦巻いていた。
 
黒須は自身の内側を押さえつけ、淡々と陽向に話した。
「今回の事は幸い大事に至りませんでしたが、過失致傷のはずです。池上さんが話された事が以前からあったのに加え、今後も同じような人達が出て来るかもしれません。一度警察に相談されてはいかがですか」
陽向は驚いた表情をしたが、「母にそう伝えて相談します」と答えた。
黒須は自分の名刺の裏に西原の警察署と所属、電話番号を書いて、「相談に行く時はこの人のところが良いと思います。私の名刺を見れば、少なくとも話は聞いてくれるでしょう」と言いながら陽向に渡した。
「それから、本当はこういうのはダメなので内緒でお願いしますね」と黒須は陽向に念押しをした。
陽向は「ありがとうございます」と少し明るい声で礼を言って名刺を受け取った。
 
まもなく陽向の母、池上真由美が到着した。
隊員も医師のサインをもらった書類を携えて帰って来たので、黒須達の隊は病院を後にして帰署した。
 
黒須は留まるところを知らないこの騒動に、これ以上誰かが傷つかないようにと願わずにはいられなかった。
しかし、事件はこの後も続々と起こるのであった。

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