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D・O・A 第五章 カメラ・アイ

黒須は非番の夜、駅前の居酒屋で西原を待っていた。
従兄弟同士で子どもの頃は良く遊んでいたが、大人になってからは互いに選んだ職業柄、あまり会える時間はなかった。
だが、黒須にとっても西原にとってもお互いに特殊な職業柄、本音で仕事の話が出来る数少ない相手であった。
加えてお互いの性格を含めた長所も短所も知っていて心許せる相手は、誰にとっても多くはないであろう。
 
「悪い、悪い、出がけにちょっと上から呼ばれちゃってよ・・・」と、遅れて現れた西原がコートを脱ぎながらに席に座った。
「そんなに待ってないよ」と返しながら、黒須は呼び止めた店員に注文をした。
 
料理と酒が来ると、二人は軽く乾杯をしてお互いの近況を話した。
互いにほろ酔い加減になり、ひとしきり近況を話し終えると西原が聞いた。
「ところで、まだ縄梯子で部屋に出入りしてるの?」
一瞬だけ固まった後、「もちろん、あれは自主訓練だから」と黒須は苦笑しながら答えた。
「まだ恵実ちゃんの顔を見るのが辛いのか・・・」
西原が黒須ではなく、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「だから、筋力を落とさない訓練ですよ。非番の日に夜中に出入りする時なんかも、弟と恵実ちゃんを起こしたくないし、小言ももらいたくないんですよ」とグラスの酒を飲みながら黒須は平静を装って答えたが、視線は遠くに移していた。
「早希(さき)ちゃんが今もいれば、姉妹でお前たち兄弟の嫁になってただろうからなぁ」
西原も嘆息まじりに、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
黒須は黙ってグラスの酒を口に運び続けていた。
「悪い、蒸し返すつもりはなかったんだが、SAYAの一件のせいかな?それにショウちゃんに久しぶりに会ったから、つい、な」と西原もグラスを口に運んだ。
 
お互いに少しの間、料理をつつき、酒を無言で飲んだ。
「でもよ、縄梯子、そろそろ切れるんじゃないか?」西原が冗談まじりに言う。
「大丈夫ですよ。厳密には縄じゃなくて、ワイヤーロープです。避難用のものをもらって来たやつですから、そう簡単に切れません」と黒須は真面目に答えた。
西原はその返答に吹き出し、「ショウちゃん、相変わらず真面目だねぇ、変わらないなぁ」と大笑いをしながら言った。
 
西原は笑いが収まると、ふいに刑事の顔になった。
「SAYAと言えば、ネットを中心に何だか大変な事になっているな」と切り出した。
「そうみたいっすね」と黒須も真顔で答えた。
「実はな、あの後も遺族が何度も署に来て、小夜は自殺なんかしない、捜査してくれと訴えてるんだ」と声を落として話はじめた。
「署にも妹が「搬送証明」を取りに来ましたよ。その時も号泣して正直困りました。たまたま救急指令が入って、その場を離れられたんですけど」と黒須も話した。
「自殺と処理された以上、俺らも捜査はしたくても出来ないと何度説明しても納得しなくてな。気持ちはわからなくもないが、こっちも事件はひとつじゃないし、正直相手する時間も惜しいんだわ」と西原はグラスの底に残った酒をぐいっと飲み干した。
「まあ、そう遺族には言えないんだがな」と新たに注文をしながら続けた。
「SAYAの家族は父母と妹で、父親は長年海外勤務のために実質的には母子家庭だな。妹はまだ大学生だそうだ。目の前で自殺なんか見ちまったら、動揺も激しいだろうし、下手をすれば一生もんのトラウマだろうな」
西原は黒須が知っている情報にプラスαを乗せ、遺族を気遣った。
「署に来た時の妹、かなりやられてた感じでしたね。言う事も支離滅裂で、自殺じゃないと言ったかと思うと、次には自殺で間違いないですねと聞いて来たり、どう宥めたものかと困ってましたよ。父親が長年不在で余計に姉は頼れる存在だったんでしょうね」
黒須も妹の陽向が来署した時の様子を説明した。
 
西原が目を上げると、「うん?それは本当か?」と聞き直した。
黒須は「ええ、号泣されて他の署員も見てましたから」と答えた。
「何か、そういうところが腑に落ちないんだよな」と西原がつぶやいた。
そのつぶやきに、「どんなところがですか?」と黒須が聞き返す。
「その妹、自殺じゃないって言っておきながら、自殺ですよねって念押ししたんだろ?矛盾してるじゃないか。動揺してるったって本当に自殺を否定してるなら、その一点張りになるのが普通じゃないか?尋ねて来てる母親はその一点張りだぞ。自殺を否定する根拠になる話を並べ立てて、捜査してくれと頭を下げ続けてる」と西原が説明する。
「妹もショックで自分が何を言ってるのかわかってなかったんじゃないですか?」と黒須も言う。
西原は少しの間黙ってから、「妹は・・・母親と一緒に来た事はあるが、隣で泣いてるだけで特に話をした事はないなあ」と付け足した。
 
「搬送証明と言えば、同じ事務所の澪奈も取りに来ましたよ」と黒須が思い出して言う。
「澪奈って、ネットなんかで犯人扱いされてるタレントか?」と西原が聞き返す。
「ええ。搬送証明なんてたまにしかに交付申請に来ないし、家族以外が来るなんて事は滅多になくてびっくりしましたよ。申請書見るまでは、誰かの家族が来たのかなと思ってたんですけど、友人だって言うんで断りました」と黒須が説明した。
「それは引っかかるな・・・」と西原は口に運びかけてた料理を口に放り込みながら言った。
「署の若いのによると、自殺の発表より前にSAYAは自殺だって動画ライブで断定的に言ったらしいです。それでSAYAファンの大半が澪奈のアンチに回って炎上したと言ってました。だからどうしても、SAYAは自殺だって証明したかったんでしょうね」と黒須が続けて説明した。
今度は西原が腕組みをして黙り込んだ。
その顔は刑事そのものになっていた。
 
「ショウちゃんさあ、臨場した時の事を教えてくれなか?」と西原が言った。
「え、現着した時の事?」と黒須が聞き返す。
「ああ。俺たちも通報受けてから部屋に行ったがマルタイは搬送された後だったからな。首吊りって聞いてたが、通常の自殺で使用されるようなロープやコード類は無かった。家族に聞いたところでは、マフラーでドアノブに首を吊っていたって話だった」
西原はそこまで話すと手帳を出して確認した。
「第一発見者は妹で、姉が首を吊ったと母親に伝え、母親が救急車を要請した。自殺事案ということで、消防からこっちに連絡が来て俺たちが出張ったという流れだ」と西原は続け、
「ショウちゃん達が臨場した時、本当にロープ類は無かったか?それ以外にも気になる事は無かったか?」と問い質した。
 
黒須は半眼になり、数秒の時間をかけて記憶を引き出した。
西原がメモ帳の空白ページを差し出すと、黒須はそこに現場の図面を書きだした。
「俺たちが部屋に入った時にはもう、患者は床に寝かされていた。場所はドアノブの下で入口付近。頭は入口方向に向いてた。マフラーは患者の体の上に乗っていた。ロープやコード類は落ちていなかった。電化製品のケーブル類も抜き差しの痕跡はなかった。机はここ、ベッドはここ、ノートPCが机の上にあったけど動かした形跡はなかった。電源が入ったままだったから、直前まで使っていたと思う。ジャケットが椅子の背にかかってた。クッションがここ・・・」と言いながら、黒須は現場の見取り図と共に部屋にあった細々したものまで書き入れた。
説明しながら見取り図を書き終えると、黒須はメモ帳を西原に返した。
西原は黒須が書いた詳細な見取り図を眺めながら、「やっぱりショウちゃんは凄いな。こういうのって映像記憶って言うんだっけ?やっぱり刑事になれば良かったのに」と賞賛した。
「俺のは本物のカメラアイじゃないよ。小さい頃に本を読んで一緒に訓練したじゃないか。コウ兄は真面目にやらなかっただけだよ」と黒須も答えた、
「それに、俺のは仕事で緊張している時は無意識に記憶してるけど、それ以外は曖昧で良く覚えてない事も多いよ。家ではエミちゃんによく怒られる」と続けた。
「それはまた都合が良いというか、悪いというか」と西原もうっすらと笑顔を浮かべた。
 
「ショウちゃん説明だと、救急隊も首吊りの現場は見てないという事だよなな?」と西原が話を戻す。
「見てない。通報だけだ。俺たちが着いた時、患者は床に横たわっていた。頚部圧迫による顔面のうっ血が見られた。首全体が赤くなっていたからマフラーで首を吊ったという家族の話と矛盾しないと思う。意識はなかったが脈が微弱ながらあったから急いで搬送した」と黒須は当時の様子を説明しながら耳たぶを引っ張った。
「そうか・・・仮に他殺だったとしても事件発生時、マルタイ宅には母親と妹しか居なかったそうだから、家族しか犯行に及べないな。その場合には自殺とされる方が都合が良いはず。あそこまで捜査してくれと食い下がるからには、家族の犯行は有り得ない。となると、やはり自殺しか無いか」
西原は考えを巡らせながらそう言った。
「俺も「首吊り」と聞いてロープやケーブル、紐類がないのにはちょっと面くらいましたけど、突発的な自殺なら一番手近にあったマフラーを使ったというのも有り得るかと思いました。通報で「首吊り」と聞いてなければ絞殺なんかを疑ったかもしれませんが、それが出来る者がいないなら、自殺で間違いないでしょうね」と黒須も考えながら言った。
その言葉で二人とも黙り込み、黒須が描いた見取り図をそれぞれに眺めた。
 
またしばらくして、「ちょっと気になったとすれば・・・」と黒須が切り出し、「小夜さんはロングネックレスを着けていたんだが、鎖が結構太目で、首にその跡もついていた。その上からマフラーを巻いたのだろうけど、マフラーが結構太かったとは言え、挟まった鎖が痛くなかったかな?とは思ったよ」と続けた。
「突発的に起こした行動ならネックレスを外さずにいて挟まったとしても不思議ではないだろうな。痛いと思ってもその時は遅いわけだし」と西原も分析した。
黒須も、「俺もそう思います」と西原に同意した。
 
その後、黒須と西原は再び近況や別の話題で酒を飲んだ。
しかし最初は楽しかった再会の宴も、最後はそれぞれに宿題をもらったような微妙な終わりとなった。
別れ際に「今夜は梯子は止めて玄関から入れよ」と西原が半分からかい、黒須も苦笑いをしながら適当に頷いた。

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