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D・O・A 第九章 供述調書

警察署に着くと黒須は刑事部に案内され、廊下のベンチで待つように言われた。
ベンチには既に陽向が座っていた。
 
黒須は「こんにちは。足は大丈夫ですか?」と声をかけながら陽向の隣に座った。
陽向は「誰?」という表情を一瞬浮かべて「あ、こんにちは。消防署の・・・」と口ごもった。
「はい。救急隊の黒須です。制服じゃないとわからないですよね」と黒須が返した。
陽向は申し訳なさそうに下を向き、「すみません」と謝った。
「大丈夫ですよ、普通のことです」と黒須は優しく言った。
陽向が言葉を探しているようだったので黒須は、「捻挫はすぐに治りましたか?」と話を振った。
陽向も少し安心した様に「はい、一週間くらいで普通に歩けるようになりました」と答えた。
「それは良かった」と黒須も返し、「調書はこれからですか?」と聞いた。
「はい。今、母が中で話をしています。私はその後です」と陽向が答えた。
 
会話は一旦ここで途切れ、黒須も陽向も無言で座っていた。
 
数分後、陽向が思い切ったように「あの時はありがとうございました。刑事さんも紹介していただいて、相談出来るだけでとても助かりました」と会話を再開した。
「本当は消防署にお礼に行こうと思ったのですけど、家を出るのが難しくて、ごめんなさい」と陽向は続けた。
「仕事ですから、お礼とか考えなくて大丈夫です。刑事はたまたま知り合いにいたので紹介しただけです。その刑事も数か月前に異動して来たばかりです。別の署のままでしたら紹介出来ませんでした。だから気にしないでください」と黒須は気さくさを装って返した。
「それより池上さん自身は大丈夫ですか?心無い人が多くて本当にお辛いと思います」
黒須は陽向に、今度は心配を滲ませながら言った。
陽向は目を潤ませ指で目じりを拭いながら、「お姉ちゃんに、お姉ちゃんに会いたいです・・・」とうつむきながら言った。
「きっと頼りになるお姉様だったのでしょうね」と黒須は言葉を選んで言った。
「はい。喧嘩もしょっちゅうしてましたけど」と陽向も返した。
「うちは男兄弟なんでわからないのですが、姉妹はやはり頻繁に喧嘩をするものなのですか?」と黒須は無意識に聞いた。
「喧嘩というか、ちょっとした口喧嘩ですね。後から考えると大した事じゃないのに、その時はお互いにムキになっちゃうんですよね」と陽向は思い出した様にくすりと笑った。
黒須もつられて口角が上がりながら、「どこもそうなのかなあ。弟の嫁さんも姉さんとよく言い合いをしていましたね。姉と言っても双子だから歳は一緒だったんですけど」と思わず出てしまった。
「そうなんですか。どこも一緒なんですね・・・」と陽向は同意しながら小夜の面影を追っていた。
「それでそのお姉さんは今は遠くにいらっしゃるのですか?離れてしまったのでしたら妹さんも寂しいですよね」と陽向は無邪気に続けた。
その無邪気な言葉に、黒須は胸にずきんと痛みを感じた。
何気なく明るい方に展開したと思われた会話であったが、黒須は唐突に暗く冷たい渦に投げ込まれた心地がした。
何とか微笑みかけた表情を消さないようにしながら黒須は、「遠くと言えば遠くですね。亡くなりましたから」と答えた。
陽向の表情からも笑顔が消え、「ごめんなさい。私、余計な事を言ってしまいました」と謝った。
「言い出したのは俺ですから、気にしないでください」と黒須は無理に微笑んで言った。
 
そうこうするうちに真由美が廊下に出て来た。
入れ替わりに陽向が部屋に入って行ったが、その前に黒須に礼を言い、真由美に西原を紹介してくれた救急隊員であることを告げた。
真由美は黒須に丁寧に礼を言い、陽向の捻挫の経過や最近起こった事などを気丈に話した。
黒須は(真由美も張り詰めているな)と思ったが、陽向を守るため、夫の不在で家を守るため、気丈にならざる負えない事は理解出来た。
真由美との会話に余計なことはほとんどなく、大変な気遣いが感じられた。
親しくない人とのコミュニケーションが比較的苦手な黒須にとっては、ありがたい相手であった。
 
時間は刻々と進み、陽向も廊下に出てきた。
真由美と陽向は改めて黒須に礼を述べて帰って行った。
二人を見送ると黒須は呼ばれた部屋に入った。
 
そのまま取調室に案内されると、西原が疲れた表情で座っていた。
後ろの机には書記担当の若い警察官が座っていた。
「よう、ショウちゃん、お待たせ。仕事中に悪いな」と挨拶をした。
「コウ兄じゃなくて・・・西原さん、大変ですね」と黒須も椅子に腰を下ろしながら言った。
「池上陽向のこの件はまだ明るかったし、目撃者も多いからまだいい。昨日の磯崎玲奈の事件は目撃者は複数いるが暗かったし、目的が殺傷だから事件の質が違う」と西原も真剣な表情で言いながら、「あれ、こっちに頂戴」と書記係の警察官から作成済みの調書を受け取った。
「ショウちゃんの目撃証言の記録と、さっきの池上真由美の供述から先に作った。読んで違うところがあれば教えてくれ」と既に出来上がっている調書を渡された。
黒須は調書をひと通り読むと、「これで合ってる」と同意した。
書面に署名し、押印すると黒須は取調室から出て、刑事部の廊下に出た。
 
西原も「ちょっと休憩」と言って一緒に廊下に出て来ると、「ショウちゃん、仕事中に悪かったな。ありがとよ」といつもの調子で言った。
黒須も「正式な出向ですから問題ないです」と答え、続けて「とんでもない事になりましたね」と心配顔で言った。
「ああ、参ったよ」と西原は珍しく弱気な様子で言った。
「で、いろいろと相談したいんだが、いつなら時間ある?」と自販機の飲料を取りながら、西原は声を落として聞いた。
「明日は非番で明後日は公休だから、明日の午後以降なら大丈夫」と黒須も答えた。
「そんじゃ、この前の店に二十時でどうだ?」と西原が確認する。
「了解。明日の二十時に前回の店で」と黒須も復唱して西原と別れた。
 
警察署を出ると既に日は暮れ、夕闇に包まれていた。
春とはいえ、寒さは一番厳しい季節。
黒須は足早に消防署に向かった。
 
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