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D・O・A 第六章 ヒートアップ

西原との再会の宴の翌日は公休で、黒須は階下に誰もいないのを見計らって朝食兼昼食を取った。
黒須も西原も酒には強かったが、昨夜の後半の話題が重かったせいか酔いが抜けきれない感じが残っていた。
 
だるさを感じ、生あくびをしながら黒須はコーヒーを淹れて自室に持って上がった。
自室のベッドに腰掛け、コーヒーを飲み始めた黒須は昨夜の西原との会話を思い出していた。
西原からもたらされた情報の基本的な部分は、黒須の職務上でも知り得たものだった。
西原も黒須に漏らしても差支えない部分だけ教えてくれたに過ぎず、それは黒須にもわかっていた。
SAYAの件は処理済みであり、黒須と西原が腑に落ちずにモヤモヤしていたとしても、これ以上関わる事のないはずの案件であった。
 
熱いコーヒーをゆっくり飲みながら考えを巡らしている黒須は、何気なく昨夜西原のメモ帳に書いた見取り図を傍らの紙片に書いてみた。
黒須は自分で書き終えた見取り図をじっと観察するが、モヤモヤの正体は一向にわからず、益々濃くなる気がした。
そんな気を紛らわす様に黒須はPCを立ち上げ、ネットサーフィンをはじめた。
 
黒須のネット利用は多くも少なくも無かった。
スキルはごく普通で主に情報収集に使用している他、興味のある分野の動画や記事を気が向いたら閲覧する程度だった。
また、黒須は情報を取るためにネットは利用するが、コメントやSNSは極力閲覧しないように癖がついていた。
 
だがSAYAの件は、黒須のようなヘビーユーザーでない者でも否応なく情報の波に巻き込まれる程だった。
アプリ通知、ニュースフィード、SNSのトレンド等でSAYA関連のハッシュタグや記事を見ない時がなかった。
黒須も積極的にそれらを見に行く事はしなかったが、「#SAYA、#SAYA自殺、#SAYA他殺、#SAYAの真実、等々」が至るところで見られた。
どうやら他殺説も結構な勢いで流布されているようで、便乗か炎上狙いなのか、いかにもなストーリーが拡散されていた。
そして、他殺説で犯人とされているトップは、澪奈であった。
 
まとめ記事や動画によると、澪奈とSAYAはネットタレントを複数抱える同じ事務所の所属で、澪奈の方がSAYAより数か月早くブレイクしたらしい。
SAYAがバズった後は同じ事務所という事もあり、二人は仲が良いライバルとしてファンに認識されていた。
人気上昇に伴い当然どちらにもアンチは生まれたが、どちらかと言えばSAYAの方にアンチは多かったようだ。
芸能人並みの容姿と天然キャラで人気を獲得したSAYAに対して、澪奈は容姿もちろんSAYAにひけを取らず、クールさや頭の良さを感じさせるキャラで人気を獲得して来た。
キャラクターの違いで澪奈にはアンチが少ないのであろう。
 
だが、「SAYAは自殺」という澪奈の早計な発言によりSAYAのファンの大半がアンチに加わり、それまでなかった澪奈に対する攻撃が行われていた。
澪奈を真犯人扱いするストーリーの展開、疑念の書き込み、SAYAを裏切ったなどのコメントやSNS上での拡散を、特に興味のない人たちまでもが日常的に目にするようになっていた。
 
ネットサーフィンを続けていると、これまで炎上したコメント等は多少目にしていたものの、実際には黒須の予想をはるかに越えた過熱ぶりだった。
黒須は感情的なコメントや書き込み、根拠のないもの、空想の産物の様な動画や記事は読み飛ばしたり無視をした。
現況、メインは「自殺説」と「他殺説」に分かれての激しい応酬がであった。
 
「自殺派」の根拠として挙げている主張は主に次の五つであった。
・警察の発表が「自殺」である。
・SAYAに対するアンチの人格攻撃が事件の前にエスカレートしていた。
・澪奈と仲たがいをしていたらしい。
・自宅付近をうろつくファンが複数いたらしい。
・所属事務所に休みたいと漏らしていたらしい。
 
対して「他殺派」の挙げている主張は主に次の五つであった。
・事件直前のライブで、来月休みを取り、家族で海外の父親を訪ねると話していた。
・コラボ番組に出演する予告がされていたが、SAYA自身がファンである芸能人が出演予定で、SAYAはそれを楽しみにしていた。
・「自殺」の発表はSAYAが搬送された翌日なのに、澪奈がSAYAの搬送数時間後の深夜に出演していたライブで、「SAYAは自殺」と断定したことが疑わしい。
・澪奈はSAYAと仲たがいをしていたらしい。
・一部のアンチファンがSAYAの自宅付近をうろついていたらしい。
 
どちらの主張も筋は通っていた。
黒須にはどちらの主張も条件が整えば有り得ると思えた。
だが、どの解説動画や記事も黒須にとっては既知の情報をそれぞれのストーリー展開させているだけとしか感じられなかった。
 
SAYAの一件は既に医師と検視官が自殺と結論を出している。
そうであればそれ以上の公的なアクションは起きないと黒須は知っている。
ネット上の炎上も展開されるストーリーも、どんなに真実めいた説明も、真実ではない。
もちろん黒須も真剣に情報に向き合い、真相究明しようと頑張っている人々がネット上であれネット外であれ存在する事は知っている。
そういった人々には黒須も敬意を持っている。
だが、無責任にその場の感情を垂れ流す人々、炎上や便乗で再生数を稼ごうとするチューバー達、匿名を良い事に他人の人格を攻撃する人々等に黒須はうんざりし、怒りすら覚える。
長時間の緊張を強いられる仕事をしている黒須にとって、そういったネットの海に関わる事は心も身体も休まらないばかりか、神経をすり減らしてしまう。
 
しかし昨夜の西原との会話でSAYAの一件には不可解な何かが潜んでいる気がしてならなかった。
普段ならば仕事上のモヤモヤは時間が経てば忘れるし、真相究明は救急隊の仕事ではない。
違和感を感じたとしても、断定するのは医師や検視官であり、捜査をするのは警察であり検死官達である。
救急隊は人名救助のために存在し、救急搬送は日々膨大な件数である。
事件捜査に関わる事は滅多にない。
後に犯行現場だと判明した時に除外のための指紋を取られたり、現着時の状況を聞かれるくらいである。
黒須の頭の中では、そんな当たり前の事が何故か今日はぐるぐると回り、やりきれない気持ちばかりが大きくなった。
 
ネットサーフィンに疲れ、黒須は大きく息を吐いた後、上半身で伸びをした。
「そろそろ終わりにするか」、黒須は自分自身につぶやき、開いた複数のタブを閉じようとした時、ふと手を止めた。
閲覧した動画についてのお勧め動画一覧に、気になるサムネイルがあったからである。
サムネイルには、「澪奈、SAYAの自殺直前に訪問か?」となっていた。
黒須はすぐにその動画を再生した。
それは切り抜き動画で、要点が良くまとめられていた。
内容は、澪奈がSAYAが搬送される数時間前にSAYA宅を訪れていた事を、澪奈自身が自分の動画内で言及しているものだった。
ただでさえ「真犯人」として攻撃を受けている澪奈が、何故自分から事件直前にSAYAを訪ねた事を言ったのか、黒須には理解できなかった。
そんな事を言えば、益々不利になり攻撃も激しくなるではないか。
黒須はそう思いながら動画の視聴を続けた。
 
澪奈は動画内でSAYAに弔意を示した後、事件の数時間前にSAYAを訪ねた事とその理由を話した。
澪奈とSAYAは高校からの友人同士で、プライベートでは関係が良好だった事、お互いに何かあれば相談しあう仲であり、当日もSAYAから悩みの相談を受けた事を、澪奈は自身で話していた。
SAYAの悩みとは、少し前からネット上でSAYAに対する人格攻撃がはじまり、最近ではエスカレートするばかりだった事だ。
SAYAはその事でずいぶんと悩んでいたと澪奈は説明し、具体例としていくつかの書き込みを紹介した。
「SAYAってそんなに可愛い?男受けがいいだけでしょ」「SAYAってホント、顔だけって感じ。絶対性格悪いよ」「SAYAって頭悪そう。漢字読めてないし無知。もう出ないで欲しい」等々の書き込みやコメントを澪奈は読み上げた。
そして、「まだこれは優しい方です。もっとひどい書き込みやコメントも沢山あります。気にしなければいいと言う方々もいますが、毎日これらの中傷を受け続ける方の気持ちも考えてみてください。最終的にこういった攻撃がSAYAを自殺に追いやったのです。それを知っていたから、私はSAYAの訃報が届いた時、すぐにSAYAは自殺だと言ったのです」と訴えていた。
 
澪奈の主張も筋が通っていた。
澪奈の説明のとおりであれば、SAYAは澪奈に相談はしたが、具体的な対応策を見つけられず、負の感情が最高潮に達して突発的に自殺に走った。
とすれば、それが一番合理的だと黒須も思った。
 
しかしこれは黒須や西原の知らない新情報だった。
澪奈の元の動画は数日前に公開されていたが、何故か視聴回数が伸びていなかった。
多分、澪奈がSAYAとのエピソードなども入れ、長めの動画だからであろうと黒須は推測した。
黒須が視た動画はうまく澪奈の話の重要部分だけを編集してあったため、澪奈の主張を整然と理解するのに役立った。
 
黒須は動画のコメント欄に目が止まった。
「やっぱりね。澪奈、SAYAの家から救急車が来る一時間前に帰ったって言ってるけど、救急車が来た時にSAYAの家の近くにいた!私は見た!」と書き込まれ、多数の「いいね」がついていた。
黒須は「確かに澪奈は、SAYA搬送の一時間前に帰ったと主張しているが、まっすぐ自宅に帰ったかどうかはわからないからな」と、新たな疑惑持ち上がって来たのを感じた。
 
黒須は西原に知らせるため、澪奈が事件の数時間前にSAYAの自宅を訪ねて悩み相談を受けていたこと、澪奈がSAYA宅を後にしたのは一時間前であること、コメント欄に気になる書き込みがあることを簡単にメールに書き、動画のURLを貼り付けて送信した。
送信終了後、黒須はPCを落とした。
 
黒須は単なる「お知らせ」程度に考えて西原にメールを送信したので。返信は期待していなかった。
だが西原からの返信は思いのほか早く来た。
 
夕食後、黒須が自室で寝る準備をしているとメールの着信を知らせるアラートが鳴った。
黒須がスマホを確認すると、西原からの返信であった。
「コウ兄、早!」とつぶやいて黒須はメールを開けた。
 
「ショウちゃん、メールありがとう。動画で澪奈がSAYA宅に行ったことが出てるならいいかと思って知らせる。だけどこれはオフレコにしてくれな」と念押しがあってから本文が書かれていた。
 
「家族が自殺じゃないって言い立ててると話したよな?その理由はいくつもあるんだが、言われているような内容だ。それと事件翌日の友人との予定をキャンセルしてない事なんかが一番整合性があるんだが、実は澪奈がSAYAの自宅に訪ねて来て帰る時、口論していたのを母親が聞いている。その後、母親は近くに買い物に出て三十分くらい不在だったそうだ。澪奈が本当は帰ってなかったとすると、これはこれで怪しい」と新情報が書かれていた。
とはいえ末文に、「後味は悪いし、母親もまだ来てるが、処理は済んでるから俺たちの出番はないな」と結ばれていた。
 
黒須もメールを読んで後味の悪い気持ちになっていた。
黒須の抱える思いはネットや週刊誌などの報道上の関心とは違い、搬送時のうっ血した小夜の顔、微弱な脈、必死に施した心配蘇生等々が蘇り、救えなかったという無力感、若くして落命した小夜への同情などがその都度湧き上がって来るのであった。
そして何故か、忘れられない痛みに似たものも同時に感じるのであった。
 
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