理不尽な兄妹差別!どう対処する?(精神科医みきぽんの人生相談#6)


みなさん  こんにちは  精神科医みきぽんです。 本日は兄との差別に悩む40歳の女性からのご相談です。 どのような内容かみていきましょう。


私には6歳年上の兄がいます。兄は独身で、実家で70代の両親と3人で暮らしています。
母は兄を過保護に育て、身の回りのこと一切やってあげていました。
一方の私は小さいころから家事を手伝うように言われて、小学校高学年のころには家事の多くをを担うようになりました。
私は実家から車で15分ほどの家で、夫と子供2人(小学5年生、中学2年生)と暮らしています。
兄は食品メーカーに勤務しており残業も多いため、家の中のことはほとんどしていない様子で、家事全般は母が担っています。
母から頼まれて、現在私は週2回のペースで実家へ出向き、掃除その他の手伝いをしています
最初の頃は母からの『ありがとう』という言葉もあり、わたしも「できることはしてあげよう」と考えておりました。
ですが今では、子どもの受験の準備などもあり、実家通いが負担になってきました。
最近は母からの感謝の言葉もありません
先日、母に私の状況を伝えて、「回数を減らしたい」と申し出たところ、「それは困る、今までと同じようにやってほしい」と言われて困惑してしまいました。
お兄さんにやってもらうように話しましたところ、『お兄ちゃんは仕事が大変だから頼めない』と言われました。
わたしはパートではありますが働いておりますし、子供のことや家のことで忙しい毎日をおっくています。
夫は優しい理解のある人で、「必要があるなら実家に行っていいよ」といってくれています。理解ある夫には本当に感謝しています。
しかしこの一件以来、小さいころから兄ばかり優遇されて、私はまるで使用人のように扱われてきた過去のことが思い出されてしまい、悲しさと悔しさで両親の顔をみるのも嫌になってしまいました。
今後どのようにしていくのがいいでしょうか?
ご助言お願いします。



親のために懸命にがんばってこられたのに、理解してもらえずおつらいですね。このような不条理な兄妹差別に苦しむ方は大勢おられます。
どのように考えていけばいいでしょうか?大切なポイントをまとめてみました。


家族内の『無償の労働』とは何か を考えてみる。


『優先順位』と『境界線』を大切にする!!


3 親、兄弟と他者になる!!



兄妹差別にはいろいろなケースがあると思いますが、臨床の場面で多くみられるのは今回のような『兄と妹』や 『姉と弟』 という形です。
兄、弟は大事にされ、妹と姉は使用人のように扱われるという形となることが多いです。
なぜこのような状況になるのでしょうか?
自分を苦しめる敵を知るにはその成り立ちを知っていたほうがよいと思います。考えていきましょう。



【役割と本質というもの】


私たちは社会の中で様々な役割を担って生きています。
〖会社員〗 〖父親〗 〖息子〗とか 〖娘〗 〖母親〗 〖妻〗 とかです。
役割は自ら望んで獲得したものもあるでしょう。しかし役割は外から与えられた称号のようなものであり、その人の本質を表現するものではありません。外から張り付けたラベルとかワッペンのようなものです。
特に長男、長女、、、という称号は生まれながらに張られたラベルであり、本人には選択の余地がない状況です。
ラベルにはその人がどんな人か書いてありません。何が好きで、何が得意か、優しいとか、勇気がある、友達思い とかの記載がありません。
無味乾燥に〖長男〗 〖長女〗 などと書いてあるだけです。
つまりラベルをみてもその人の本質はわからないのです

親が子供を見る際に、ラベルだけみて子供の本質をみようとしない時、悲劇が起きると思います。
本質に目を向けず、ラベルだけみている親の多くはラベルに格付けをしています。 例えば長男が一番、男が一番、、、、というように、、
あるいは本人の適性を顧みず、女だから家事や介護を担うとか 外から強制的に責務を分担したりします。
そのように外側だけ見てランク付けしたり、強引に責務を押し付けたりすることが、多くの人に苦しみをあたえているのではないかと思います。
子どもが自分に張られたラベルについて、客観的で合理的判断ができないことも悲劇を深刻にしています。



【無償の労働力という名の搾取】


親世代の方の中には娘が家事を担うのが当然という考えを持つ人がいます。
家事をしても当たり前のことなので、娘が献身的に貢献しても感謝の言葉はもらえないことが多いと思います。
〖無償の労働力〗という名の搾取です。
当然のことながら報酬は一銭もでないですし、事情でできない場合にはとがめられることもありえます。

まるで長時間労働に従事しても賃金未払いが続く”超絶ブラック企業"に勤めているようなもの、、、、、であります。(´;ω;`) (´;ω;`)ウッ…
仕事であれば 【こんなのありえない‼】 と怒り、辞表をたたきつけて去るという選択をとれると思いますが、家族のことになりますと判断能力が落ちてしまい〈私がやらないと家族が困るから、、、〉というように絡めとられやすく、家族という名のブラック企業で無償の労働を提供し続けることになります。 (´;ω;`)ウッ…
報われることのない労働提供は  脳内血中物質  (ドーパミン、セロトニン)に影響を与え、長く続けていきますと心身のバランスをくずすことになりかねません。



【有限を意識して境界線を引く】


私たちはどのように自分の心を守っていけばよいのでしょうか?
私たちのもつ労力、時間、エネルギーは全て限りがあります
その大切な時間や力を求められるままに使っていると、自分が大事だと思っていることに使えなくなってしまうかもしれません。
この〖有限であること〗を心にとめておくことがとても大切だと思います。
緩和ケア病棟に勤務する医師が〖人は自分の人生が有限であることをもっと意識したほうがいい〗とおっしゃっていました。
自分の命があと半年、あと一年、あと三年、と仮定してなにをするか考えるのが自分の大切なことを知る機会となるそうです。
日々、人の生死をまのあたりにしている方の言葉は説得力がありますね。
限りある自分の人生です!
ご自分のなかで〖優先順位〗をつけましょう
人生の有限の時間をぜひご自身が大切だと思うものに使うようにされてください。
まずは自分の生活を第一に考えることが大事であると思います。その上で、できること、できないことを境界線を引いて冷静に考えてみましょう。



【親兄弟を他者としてみるということ】


そもそも私たちは親兄弟の世話、面倒をどこまでみればいいのでしょうか?
民法を紐解きますと、、、

親兄弟に対する扶養義務は 〖生活扶助義務〗というものであり、子供自身の生活は通常どおり送れることを前提として、その余力の範囲内で扶養する義務  とあります。
これに対し配偶者と未成年の子供にたいしては〖生活保持義務〗とよび、自分と同程度の生活を保持するというより厳しい規定になっているようです。
親兄弟の援助に関しては、法律上においても、まずは自分の生活を送り余裕のある範囲にて助けるという規定のようです。
成人したら親兄弟は他人と思うくらいがちょうどいいかもしれません。



今現在においては、お兄さんが身辺の生活能力が乏しく(これはかなり問題と思います!)母親がお兄さんの生活を支えています。相談者さんが母親を支えているため、間接的に相談者さんがお兄さんを支えている構造になっています。
母親が今の状況に危機感を持っていないことも気がかりですね。
母親への支援を減らすことが兄の自立を促すことになると思います。
母親へは〖私には私の生活があります、余力の範囲内のことしかできません〗と勇気をもって伝えましょう‼



相談者さんは幼い時から現在にいたるまで本当によく頑張ってこられましたね!
これまで十二分に親兄弟のサポートをしてこられたと思います。
今後は要求にすべて応じるのではなく、自分の時間やエネルギーを大事にする選択をなさってください。

夫や子供との時間は、かけがえのない貴重なものであると思います。相談者さんの子供さんはデリケートな年齢となり、母親の必要性が今後さらに高まってくるかもしれません。
主体的に考えて大切な時間とエネルギーをを後悔のないようにお使いになられますように、と切に願います。


相談者さんがご家族とともにお心穏やかな毎日をおくれるようになることを心よりお祈り申し上げます。

お読みいただきまして誠にありがとうございました。





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