命綱

引き続き外出自粛生活を続けているが、週に一度は電車に乗って外出している。好きで出ているわけではない。通院である。

自宅からだと片道1時間ほどかかるクリニックに通い続けて、十年近くになる。

男性医師が一人で内科と精神科を診ているのだが、最近はもっぱらADHDの薬をもらうために行くのみで、毎週行くのは正直なところ負担が大きい。
交渉すれば頻度を減らせるのかもしれないが、これまでの経緯と自分の生活環境を思うと、なかなかそこに踏み切れずにいる。

日頃の様子や体調を慮ってくれる家族もいないし、仕事で日々人と会っていても、私の不調はどうやらはた目にはわからないらしい。

おそらく十代の頃から「普通」や「平気」を装い続けてきて、それがすっかり身についてしまったのだろうと思う。

寝ていなかろうが熱があろうが、あるいは落ち込んでいようが苛立っていようが、悟られたためしはとんとなかった。

大学を卒業した年に、出社前に自宅で倒れたものの、無理をして出勤したことがあったが(実に愚かしい若さである)、その時もやはり何も言われなかった。

感情も体調不良も、とことん顔に出ないようだ。

だから自己申告しない限り、心配してもらえることもないし、気にされることもない。

週に一度主治医に会って体調や気になることや変化を──ほとんどの場合半ば世間話だが──することは、大げさではなく命綱に近いものがあった。

実際、3年ほど前に原因不明の高熱に見舞われ、近所の病院では風邪と言われ、主治医にも強い抗生剤を処方されたのみだったが、それが効かずに主治医に電話をしたところ、すぐに最寄りの大病院に行くように言われた。

朦朧としながら総合病院でMRI検査を受けたところ、かなり進行した肺炎で、即日入院することになったのだが、その時の担当医師も検査結果を見てしきりに首をひねっていた。
これだけ進行した肺炎なら、普通は聴診器で異状がわかるのに、というわけである。

私としても息苦しさ胸苦しさなどはなく、ただ高熱に悩まされていただけだったので、人の体と病気というのは教科書通りではないということを実感させられた。

ともかく、あの時ばかりは主治医がいなければ薬が効かないからといって電話をしようとは思わなかっただろうし(実は電話が大嫌いな人間である)、しばらく様子を見ようと考えて手遅れになっていたかもしれない。

なお、このときも私は実家や父に連絡はしなかった。気を遣ったわけではない。健康なときでもそんな気力はないのに、病気のときにそんな真似ができるわけがなかった。

入院に際して、近くに家族も親戚もいないと言うと、看護師さんに「えっ……(着替えや送迎は)どうするの?」と真顔で言われてしまったが、どうしようもないので何度か自力で一時帰宅をした。
(関西圏に親族がいないのは事実である)

入院中は、幸いツイッターのフォロワーの一人が関西におり、二度ほど猫の餌やりやトイレの始末を引き受けてくれた。

今は幸いにして健康体に戻れたが、心身の異状は突然訪れるということを経験してしまっている上に、その対処を相談できるのは現状主治医くらいしかいない。

そう考えると、やはり粛々と通院を続けるのが身を守る上では最善という結論に落ち着かざるをえなかった。

余談だが、8日間ほどの入院生活の間、飢えないようにたっぷり餌を与えられていた猫は丸々と太ってしまっていた。
その後食事制限でダイエットさせたのは言うまでもないが、猫が太っただけで済んだのは幸運だったかもしれない。

サポートをいただけると生存率が上がるかもしれません。用途については記事でご報告いたします。