にわかADHDの雑感

ADHDが判明したのは昨春のことであった。

当時の心境やいきさつはTogetterにツイートをまとめてあるので、ご参照いただきたい。


【まとめ】
生きてるだけでしんどいと思ってたらADHDのせいだった件 


ともかく私の場合、特徴的だったのは自分を含め誰も私の発達障害に気付いていなかったという点である。

長年付き合いのあった主治医(内科・精神科医)ですら、「もしあるとすればASD(自閉スペクトラム症)じゃないかと思う」と言っていたが、蓋を開けてみればADHDで、実際ADHDの処方薬が覿面に効いた。

一般にADHDの特性と言われるような項目にはほとんど該当しなかったにもかかわらず、である。

ADHDといえば、主に不注意や多動性、衝動性によって社会生活が阻害されるもので、忘れ物が多かったり落ち着きがなかったり思いつきをそのまま行動に移してしまうといった行動がよく挙げられる。

しかし私の場合、それらの特性はほとんど表に出ることはなく、ほぼ脳内で完結していた。

もう一年以上薬で症状を抑えているので、自分でも自分がどういう状態であったのか忘れ気味な今日この頃なのだが、確かなのは「意識がある限り常に一定の苦しさ、つらさ、煩わしさがあった」ということである。

30年以上、私は「頭を空っぽにしてボーッとする」という体験をしたことがなかった。

私の頭の中には、意識的に思考する領域と、不随意に思考する領域があり、不随意に思考する領域は自分の意思では止めることができなかったのだ。

あまりに嫌な方向へ思考が流れそうなときには強く意識することで別の方向へ思考を向けることができたが、その集中が切れると思考はまた制御されないままどこにでも流れたし、特に不快だったのは音声記憶の再生だった。

頭の中に、勝手に録音、再生を繰り返すレコーダーがある状態を想像してほしいのだが、たぶんピンと来る人は少ないだろう。

どちらかといえば、常に同じことを繰り返し言う人──それは家族であったり友人であったり職場の上司であったり様々である──が24時間そばにいる状況を想像してもらった方が、ストレスの大きさという意味では近いと思う。

「おはよう」という何気ない挨拶でも、それが時も場所も選ばず何十回と繰り返されてはたまったものではない。

上司の「お疲れ様」という声が、帰宅して風呂に入っていても、寝ようとして布団に入ってからも、頭の中で勝手に再生されるのである。

おかげで私はほとんど常に疲弊していたのだが、その現象が異常であるということを知らないまま昨春に至ってしまった。

薬を飲んでいる今の私がどの程度健常者に近いのかわからないが、あの騒音がないというだけでも、健常者のアドバンテージは大変大きいと思うし、私が知らず知らず負わされていたハンディの重さには呆れてしまう。

ツイッターで「健常者はチート」と呟くと、発達障害を持つフォロワーからは「ほんそれ(本当にその通りだ)」と返ってくる。

社会は発達障害を含むマイノリティの理解と受け入れの方向性に動いているし、存在すら知られていなかった時代に比べれば今は良い時代になったと常々思う。

今後はよりいっそう認知度の向上と医療の進歩が期待できると確信しているが、その一方で、いざ自分が障害者の立場になってみると、なるほど、これは社会で淘汰されてもやむを得ない、と感じるようにもなってしまった。

己を健常者と思い込んでいた頃は、障害者が保護され理解される社会であるべきだと当然のように信じていたような気がするが、実際に健常者と障害者の落差を体感してみると、思っていた以上に障害というものは厄介で、これは社会からつまはじきにされたところで文句は言えぬという気分になるのだ。

障害者の権利を否定する気は微塵もないが、自分自身を振り返ると権利を主張する気が失せるのである。

障害者差別のない社会の実現を目指す人々の努力は間違いなく誰かを救ってきたのだと思うし、これからも大勢を救っていくのだと思う。
私も感謝せねばならぬと思う。

しかし掲げられる理想があまりに美しいと、「健常者ですら生きづらい世の中で、夢を見すぎてはいやしないか?」と冷笑的な気分にもなるのである。

健常者が余裕を持って生きられる世の中にならなければ、障害者を受け入れ、支えることなどできるわけがないと、そう思ってしまう。

言い訳がましいが、これはきっと私が障害者として後ろ指をさされたことも、あからさまな差別を受けたこともないから言えることだとも思う。

あくまでも現時点での、一感想文として読み流していただきたい。

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