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現実からじぶんを切り離す方法を知っている女の子と、食べごろの柿を見分けられる女の子の話


ももの皮を上手にむく方法、みたいなものをわたしは知らない。
たぶんひとより知らない。
その代わり、でもなんでもないのだけれど、現実からじぶんを切り離す方法をひとつ知っている。

「え、どうやって現実からじぶんを切り離すの?」
彼女の声は真剣味を帯びていた。
秘密にする理由もないので、わたしは正直に、いつものじぶんのやり方を話す。
「いろんな方法があると思うけど、わたしがやるのは境界線を見ること」
「境界線?」
「うん、境界線」
彼女の目をみてうなずく。
「ごめん、よくわからない」
「そっか」
なにから説明しようかと目を伏せて考える。
頭と口が直線的に繋がっていない性質だからか、口にするにはいつも時間がかかる。
目線を彼女にもどす。
通勤電車のなかではひとの横顔や後頭部しか見えないし、会社ではパソコンに向かっているばかりで、こんな風に正面から誰かと向き合うことがすごくひさしぶりに感じられる。

「たとえば」「たとえば、わたしの前を歩いている男性がいるとします。背は私より高くて、服装はなんでもいいんだけど、わたしがまっすぐ前を見るとそのひとの広い背中を見つめることになる」
「うん」
「でもこのときに、背中を見つめるんじゃなくって、たとえば肩とその奥の背景との境界線を見る。目でなぞるの。わかる?」
「うん?」
「ひとじゃなくても一緒で、ものならその輪郭を見つめる。わざとピントを合わせないようにするの。境界線にじっと意識を集中させる。そしたらね、不思議な感覚になる。雑踏のなかだとしたらひとりだけ空気が違うところにいるような、足はたしかに地面を踏んでいておんなじ空間に存在しているのに、まるで違う次元に立っているような、そんな気分になる」
「・・・・・・」
「信じてないでしょ」
「うーん、だって難しくない?勝手にピントが合っちゃう」
「そっか、難しいか」
「あ~そんな顔しないでよ、だまされたと思って今日帰り道やってみるよ」



「やっぱりできなかった・・・」
ごろりとベッドに仰向けに寝転がる。
足元でかばんが倒れる音がした。
通勤片道1時間半はいつもながらつらい。こんなことなら家賃がすこし高くなっても会社の近くに住むべきだったな。
などと毎回毎回同じことを考えては、寝て起きたらけろっと忘れてしまっているのだから、本当に都合のいい脳みそだと思う。

無性におなかがすいてきた。実家から大量に送られてきた柿の存在を思い出す。
段ボールをのぞきこみ、食べごろそうな柿を1つ救出してやる。
手のひらの上に乗せて、なんとなくその輪郭に意識を集中させてみる。
「あ~・・・・・・わかんないや」
彼女の見ている世界とわたしが見ている世界はつくづく違うのだなと思う。
ざっくざっくと柿を8等分に切りながら、そう思う。
中心が深い橙色、食べごろのサインだ。
「ん、うまい」
ふと、おいしいものを食べると、一瞬浮遊するような感覚になるなと思う。
彼女が言っていたのってこの感覚のことかな、近いのかな。
もしかして、彼女もおいしいものを食べるとき浮遊するような、おんなじ気持ちになっているのかな。
いや、ならなさそうだな。
彼女のお弁当の中身、素焼きにした野菜と冷凍ごはんだもん(いいときで茹でた鶏肉が入っているくらいだと同じフロアの同期が言っていた)。

境界線はわからないけど、どの柿が食べごろかとかももの上手な皮のむきかたとか、そういうのならわかるのにな。
たぶん、ひとよりわかる。
でも彼女のことはわからない。
どうしてこんなに知りたいのかもわからない。 


#創作 #短編 #短編小説 #小説

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