見出し画像

ぼくはずっと。


「なんかさ、亡くなっちゃったんだって。
はやいよね、はやい」


いつもより饒舌な先輩の顔はほんのり赤い。
テーブルの上には、もう少しで底をつきそうな赤ワインの瓶とグラス、空になった缶ビールが数缶転がっている。
コンビニで買い込んだスナック菓子は、粗方彼女が食べてしまった。残っているのはミックスナッツが少量とさけるチーズが数本。


「ひとつ年上だから、27だよ。やっぱはやいわ」


ぼくは彼女の前でさけるチーズをさきつづける。
さけるチーズはさかなくても旨い。そのまま齧ってもぶりんと口の中で破裂する。咀嚼するほどに柔らかくほぐれていく。ちょっと乳臭いけども。
でもやっぱりさいた方が旨いと思うから、多少面倒でもさくことにしている。


「なんか、怖いな。来年死ぬとか言われたら」


彼女はこちらへ右手を伸ばし、ぼくがさいたチーズをひとつまみし、口にいれる。
一発で口に入らなくて、口の端からはらはらとこぼれる。


「怖いって本当に思ってるんですか?」


チーズを咀嚼しながら、きょとんとした表情をする彼女へ続ける。


「え、だって先輩、そういうの怖がるひとじゃないじゃないですか」


いつもなら、よくわかってんじゃんって意地悪そうに笑う、ここで。
でもなにも返ってこない。


「前言ってたじゃないですか。穏やかな方が逆にしんどい的な」


彼女は考えるように目線をおろした。
そして困ったような表情で言った。


「わたしだって変わるよ」


なんだか落ち着かなくて、ぼくは冷蔵庫のなかのビールを取りに立ち上がる。
キッチンにはリビングの灯りは届かない。暖房も届かない。むきだしの足の裏がさむい。
一人暮らし用の冷蔵庫にはほとんどものは入っていなくて、青白い光の中、さっき先輩が買ってきてくれたケーキの箱がやけに目立つ。


「わたし結婚するの」


横から飛んできた言葉に、一瞬からだが固まった。
ぼくは何事もなかった風を装い、冷蔵庫の中の奥まった部分に手を伸ばすふりをする。


彼女はそのまま続けた。


「そのひとといっしょにいるとね、過去の強烈な思い出がどんどん上書きされていく気がするの。なんだろう、毒素が抜かれていくかんじ。
あたし穏やかになっちゃったよ」


乾いた声に、思わず顔を向ける。
彼女の顔を見て、ぼくはいまじぶんのなかから生まれてきた衝動に従って、言葉を投げかける。


「それは、寂しいことですか」


「ううん、どうしたらいいかわかんないだけ」


缶ビールを2つ持って居間へ戻る。
ひとつを差し出すと、彼女はありがとうと言う。
再び席に座って、親指と人差し指でプルタブを持ち上げる。
プシュッと軽快な音が鳴った。
彼女は受け取ったビールをあけなかった。
一口飲み干して、ぼくは口を開く。


「葬儀、いくんですか」
「ううん。行かない」
「......」
「行きたいけど、やっぱり、行けない」
「そうですか」
「うん」
「いま、」
「うん?」


いま、なにが必要ですか。と聞きかけて、黙った。
それはぼくの役目ではない。
たばこ買ってきます。と言い残して、サンダルをつっかけて家を出る。


帰ってくると、彼女はベランダでタバコを吸っていた。
電話でだれかと話しているみたいだ。
窓を隔てているから、音は聞こえない。
でも、穏やかそうに笑う彼女がそこにはいた。
買ってきたたばこを床に投げつけたくなる衝動を抑え、ぼくはテレビをつける。
画面のなかの出来事はなにも入ってこない。


ざまあみろと思った。


あの日彼女を連れ去ったお前はもう過去の遺物だよ。ざまあみろ。
そしてぼくはずっと、この先もずっと標本みたいに、彼女へ触れることはかなわない。


#小説 #短編小説 #創作 #短編

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?