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RAD WIMPSの18祭

たまたま観ていたテレビで、
2018年9月に行われたRAD WIMPS 18祭というのを放映していた。(再放送っぽい)

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18祭(フェス)とは
アーティストが18歳世代から寄せられた想いをもとに新しく曲を作り、1000人の18歳の参加者と一緒に共演する一度きりのステージ。
2016年はONE OK ROCK、2017年はWANIMA、2018年はRAD WIMPSがライブを行った。
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まぁ、こういうのって絶対感動しちゃうじゃないすか。笑

案の定、最後まで観て涙なみだ。。

まず、応募者の18歳たちが、自作のムービーの中で18歳らしい胸の内を吐露していくんだけど、
それを観るRADメンバーの姿勢が、
なんか紳士的、という大袈裟なものでもなく、
すごく「普通」なところがよかった。

そういうのあったな、わかるなぁって。そのまままっすぐ受け止めてる感じ。

20代前後の悩みって、
漠然として、変に思いつめすぎていて、
考えても解決しないことをずっと考えてたり、
自意識過剰になっていたり、

当時の自分と重ね合わさってモゾモゾとむずがゆくなるから、
「厨二病」とか「闇歴史」とかそんな単語で簡単に処理したくなる。

そんなこと考えてもしょうがないじゃんって言いたくなる。
早く、フタをしてなかったことにしたい。

でも、その時間の中では、
外側にある制限、自分で無意識に作った内側にある制限のなかでがんじがらめになって、
たしかにそうだったし、

その時は、それしかできなかった。
その時は、そう思っていた。
その時は、そうしていた。

大人になってちょっと世間を知った気になった自分の目線から見下ろすのではなく、

その時のその人、
その時なりの世界観、環境の中にいる人のことを、
ただ、そうなんだねって透明な視線で見てあげられる。

それって優しいなぁって思った。

大人目線でジャッジするんじゃなくて、
ただ、こういう気持ちあるなってそのまま受け入れて

それを的確で綺麗な言葉と音楽の中に移し入れてあげることができるから、

私がまさにアラウンド20だったころに出てきたこのバンドは(いいんですか〜いんですか〜)、

今もなお、この年頃の人たちの心を代弁して
愛されているんだね。


選ばれし1000人の18歳の子達には、
本当にそれぞれの世界があった。

プロのサッカー選手になって、吃音のまま堂々と話して、
吃音症の人たちの光になりたい男の子。

人が苦手で、通信制高校に通っていた友達0人の女の子。

それぞれの背景を持つ子たちが、本人たちは気づかぬまま、その年代特有の光り方をしていた。

同じ2018年、2019年という時間の中にいても、
30代の自分がいる世界と
18歳のこの子たちがいる世界は全く違って、

私が18歳だった頃とも、
また違った事情や背景を持っている。

さらに、それぞれの18歳に、
それぞれの世界がある。

1人の人がただ生きていると、
固有の毎日や環境が勝手にくっついてくる。

一人ひとり固有の毎日を抱えながら、
たまたまソデがふれあったご縁で

新しいものが生まれて、
RADを中心にして、
その場限りの美しい場と音楽が生まれていく。

生きるエネルギーがそのまんま溢れ出てひとつの作品になっているような場面を見て
理由もなく心が震えると、
自分も生きてるなぁって感じがして幸せになる。


大きな転機になる子もいるかもしれない。
相変わらず代わり映えのしない毎日に、これからも悩むかもしれない。

この日この場に立ったことが、
この子たちの日々をこれからもたまにピカッと照らして、
思い出して笑えて、ちょっと幸せが増えたらいいねって

そんなことを思うと歳をとった気がするけど、

さて私も頑張ろう。

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