見出し画像

音楽の好み

介護職の方のX(旧Twitter)で、高齢者施設で入居者の方々にくつろいでいただく時間に、高齢者のド定番と思われる昭和歌謡の音楽を流していたら、入居者のおひとりが「こんな古くさい音楽ばかり聴いていられない」と怒ったこと、そしてその後は声をあげたその方だけでなく、他にもその手の音楽には不快感を抱く入居者の方がそれなりの数はいることがわかり、そういう方々が好むジャンルの音楽会も定期的に開催するようになったというツイート(ポスト)を読んで、私が人生でいちばん苦痛だった期間のことを思い出した。





数年前に亡くなった夫の母は、長年ひとり暮らし。
夫の兄である長男夫婦との折り合いは今ひとつだった母。
当時、長男たちと仲が悪いとまでは思わなかったが、母にとっては気に入らないことがずっと続いていた様子で、長男家族に対する不満や愚痴を私たち次男夫婦はけっこう聞かされていた。
でも、何かあると母はあなたたちは次男、あちらが長男で、長男がいちばんだと言い、それは母の決まり文句。
昭和2年生まれの母は、新聞もきちんと読むし、携帯電話は自分に必要だと思ったらしく自ら購入すると言い、世の中の流れに疎いということはなかったけれど、昔からの習慣などについての固定観念は非常に強く、最終的に親の面倒を見るのは長男であるという考え方を変えることはなかった。
結局、母の意思に反して母の最期は次男夫婦の我々が看取ることになってしまったのだけれど、母は自分が次男夫婦の世話になっていることを最後まで親戚に知られたくはない様子だった。

長男夫婦及び次男夫婦である私たちの住んでいるところから、母の住むところまでは高速道路ができた現在でも片道4時間以上かかる距離。
母が息子たちの居住地である場所で大きい手術をした後、元のひとり暮らしに戻りたいと言い張ったのは、昔人間の母としては、残りの人生を一緒に過ごすのは長男家族であり、しかし自分はその家へ行くのは気が進まない、であるならば、現状では今までのように遠く離れた地でひとりで暮らしたい、と主張するしかないと思ったのだ、と私はそう思う。

術後の経過は順調だったけれど、さすがに退院してすぐのひとり暮らしはさせられないと判断し、約1ヶ月ほどの間、私が母と暮らすことになった。
長年母がお世話になった地元の病院では、先代の院長が引退して代替わりしたばかりだったからか、若い医師は母の認知機能に問題がないという理由だけで、介護認定のための手続きには同意どころか、詳しい話さえ聞こうとはせず、完全に門前払い。
その病院の紹介状を持って地元の大きい病院へ行ったものの、結果的にはさらにそこから息子たちの住む県外の病院で手術することになったのが気に入らなかった様子。入院中に処方された薬は一応出せますけどね、それ本当に要るんですか?という、木を鼻でくくったような態度だった。

その後、介護サービスに関してはひとり暮らしの高齢者が年々増えている自治体独自の高齢者向けのサービスが使えることがわかってひと安心。

母は、私に家事補助等のヘルパーさんが家へ入ることになるので、家の中を片付けて欲しいとのこと。
自らはっきり公言するくらいの掃除嫌いの母だった(笑)
役場関連の諸手続きが終わった後の私は、日中はひたすら家の中、特に台所の掃除に追われる日々。

私も掃除はそれほど得意でも好きでもないが、きれいになるのは気持ちいいことなので、そういうことは苦にならなかった。
毎日午後2時半くらいまでには掃除や片付けを終えるような生活が始まった。
元気な頃の母が、午前中は目いっぱい畑仕事や庭の草取りなどをし、午後からはテレビで2時間ドラマや時代劇を見て過ごすのが日課ということは知っていた。かなり以前に亡くなった父が聴覚障害者で、父が健在の頃はテレビで歌番組を見ることはなかった母が、ひとり暮らしになって歌番組を見るとあれは楽しい、あの曲が好きと言うことが増えてきたので、当時母の家にはなかったラジカセを購入し、それが壊れてからはMDプレーヤー、最後はCDプレーヤーになり、私はその都度、母の好きだと言う楽曲をカセット・MD・CDに録音して送っていた。
その頃に母が好きだと言っていたもので今も覚えている歌は「熱き心に」「北帰行」「昴」「千曲川」…かな。
特に「千曲川」は相当好きだったらしく、1枚のCDの最初にも途中にも最後にも録音してほしいとのことで、そのように編集した記憶がある。歌っている歌手が好きということではなく、そういう楽曲が好きだとのこと。聴きながら眠りにつくとよく眠れるというので、それ以外には眠りにふさわしいような楽曲を選んでは録音していた。

レンタルショップにも懐メロや昭和歌謡のCDはあったので、録音するのはそういう中から選んでいたのだけれど、母がテレビで見る歌番組は…なんと演歌一択!
テレビ受信困難地区でケーブルテレビの契約だったから母の家では驚くほど多くの番組が見られ、音楽番組でも演歌だけでなく、懐メロも昭和歌謡もムード歌謡もオールディーズも、ありとあらゆるジャンルの音楽番組があるというのに、母が見る音楽番組は、私がほぼ知らない若い演歌歌手が出ている演歌のものばかり。
私が顔も名前も知らない歌手の生い立ちやデビューのいきさつまで母は知っていて、この人がデビューしたとき、自分は絶対に売れると思ったら、やっぱり売れた…なんて母に言われても、私はそれほどまでには興味がなかった。顔や名前は何となく知っているけれど…程度(苦笑)

我々は年に2~3回は必ず帰省していたものの、家に滞在するのではなく、近場の温泉だとか観光地へ母を連れ出すことが多く、彼女の日常生活の実態までは知らなかった。

そんなに若い演歌歌手の歌に興味があるなら、そういう楽曲も録音してあげたのにと思ったが、どうやら母は今どきの演歌をじっくり聴くというよりは、テレビで知った若い人が、そういう番組に出る回数が次第に増えていくのが楽しみだっただけみたいで、それほど歌そのものに聴きいっている様子はなかった。テレビ画面を見ながら、この人の今回のこの歌はいいだとか、この衣装はよくないだとか、歌そのものを聴くより、ずっと自分の知っていることや自分の意見等を熱く強く語っていた。母は少し耳が遠いのでテレビ音量はかなりのものだったから、そのしゃべり声にかき消されることなく歌声は流れてきたけど(苦笑)

そのときの1ヶ月間は、テレビで見るのはNHKのニュース以外、午後は2時間ドラマや時代劇、夕食後は演歌番組だけの日々。
時代劇は筋立てが決まっているし、2時間ドラマは再放送なので母は何度も見てストーリーを知っているらしく、見ている最中に次はこうなって、その次に犯人がこうやって捕まるよと言ってしまうので、興味がそれほどないながらも一緒に見ている私にはたまったものじゃない(笑)のだけれど、苦痛までではなかった。あとで笑い話にできる程度の小さな「苦」…(笑)

しかし…。
私は、演歌だけの番組はもう一生見たくないというか、見たらきっと蕁麻疹が出る。歌番組の中で1~2曲だけそういう歌が交じるくらいなら大丈夫なのだけれど、演歌だけが延々と流れる歌番組は無理。
その当時、母がお風呂に入っている間くらいは、演歌以外が聴きたいとチャンネルを懐メロの番組に変えていたら、母と入れ替わりにお風呂に入っている間にしっかり元の演歌番組に変わっていた(笑)
母にとっては、懐メロや昭和歌謡ではダメで(というのはそれが流行った頃に、きっと彼女はその類の楽曲を聴いていないというか、父に遠慮して聴くことができなかったのだろう)父が亡くなり自由に音楽を聴くことができるようになってから知った楽曲が好みだったということ!


一方の私…。
子供の頃から歌は何でも好きで、演歌も懐メロもあるいは民謡でも何ら抵抗なく聴いてきたけれど、あのひと月ほどの間に否が応でも大音量で耳に入っていた、特に今どき風の演歌には拒絶反応が起こる。
ちなみに私がカラオケでよく歌ってきた「津軽海峡・冬景色」や「天城越え」に拒絶反応は出ない(笑)のが不思議だけれど、私の中ではそういう楽曲と、母が好んで聴いていたものはまったく別物なんだと思う。

その1ヶ月間は、たまたまウォークマンと充電器を持ってきていたおかげで、夜寝る前には少しの時間だけ自分好みの音楽を聴くことができた。
そのほんの少しの時間がなかったら、私はずっと平静な感情を保つことができたかどうかわからない。

あれほど「音楽」が苦痛だったことは今まで経験がないし、もう2度と経験したくはない。


それから約1年後、術後とは思えないほど元気に暮らしていた母の看取りのときが来てしまった。
結局、母は望みだった長男家族との生活はできず、私たち夫婦が最期を看取った。
医師も想定外の急な最期だった。
亡くなる10日ほど前にレンタルショップで探しまわって借りた「千曲川」を私はウォークマンにダイレクト録音(昔、録音したCDを母は田舎に残してきたままだった)。ウォークマンをスピーカーにセットし、病床の耳元で聴かせたら母の反応があった。
ダイレクト録音用だけに使っているウォークマンなので、まだ「千曲川」はその機器に残っているはず。「千曲川」は、私も好きな楽曲。

でも…。
母の最期を思うと、あれから一度も聴けないまま。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?