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今は読むことができない

今、noteでとても人気のある作家の岸田奈美さん。
私もnoteで彼女の文章を読んでファンになり、出版されている本はすべて購入し、noteの記事も定期購読していた。

一般的な概念だと、それらは有無を言わさず「不幸」という分類箱に入れられてしまうだろう日々の出来事を、巧みな文章により、泣き笑い状態で読んでいる数多くの人々の姿が目に浮かぶ。
その文章は本当に素晴らしい。


読者からすると、書き手の彼女には相当過酷なことが次々と起こって、きっとそれを乗り越えるのは非常に大変だっただろうと想像する。
でも、そんな状況を客観的視点で、けっしてひとりよがりではない文章に仕上げ、読み手側を辛い気持ちにさせないどころか、なんだかあったかい気持ちになっていて、気がつけば読者は思わず泣き笑い。
そういう文才の持ち主。
応援したくなる文章であり、彼女自身の一連のすばらしい行動力にも感服する。

子供のすることをけっして否定しなかったご両親の子育てが、今の彼女の文章につながっているのだろうと想像する。
素敵なご家族だということがよくわかる。



ところが…。

岸田さんの文章を楽しく読んでいた私に変化が起こった。
それは、引っ越しへの認識不足から起こった彼女自身の身に起こった災難についてのエッセイを読んだときのこと。
彼女自身は、それらの出来事(彼女にとっての災難)が発生してしまったのは、呼吸をするように無計画な生活を繰り返してきていた自分にあるとし、一度でいいから完ぺきなチキンラーメン(麺の上には美しい半熟卵、その半熟卵というのは白身がふっくらと固まっているもの)を食べてみたい、食べられる自分になってみたい(美しい半熟卵というものは冷蔵庫から2時間ほど前に卵を出して常温に戻す必要があるそうで、それはつまり、計画的に行動しないと作れない)と書いている。
2時間前から卵を準備できるほど計画的に生きられていたなら、苦労はないとも記載されている。

このエッセイ、三文判で実印登録をしなくてはいけなくなっただとか、引っ越し荷物に要らないもの(処分すべきもの)を追加しなければならなくなりそのために追加料金が発生しただとか、そのひとつひとつはかなり大変なことであっても、巧みな文章であることと、困ったことになったのは本人だけであり、彼女が他の誰かを困らせたわけでもないから、読み手側の多くは「あらあら大変、でも笑っちゃう」…くらいの受け止め方なのだろうと思った。

しかし…。
私はまったく笑えなかった。
読んでいるうちに不快感すら抱いてしまった。

それ以降、彼女の書いたものが読めなくなった。

ちょうどその頃に彼女のそれまでの書籍がドラマ化されたものが始まり、ドラマならば大丈夫だろうと思ったが、私にとってはエッセイにあったことと同種のことだと感じる場面で、不快感だけでなく、なぜか自分では説明のつかない怒りまでこみあげてしまい、ドラマも見られなくなってしまった。

最初、私には文章もドラマも受けつけられなくなってしまった理由がわからなかった。
なぜマイナスの感情が起こってしまったのだろう?
その状態に混乱してしまった。

今まで自分がマイナス感情に陥るようなものをなるべく避けるようにしてきた自覚はある。
気持ちさえ落ち着けば、今回の自分のマイナス感情についての自分なりの分析もできると思ったのだが、それがけっこう難しい。

今、少しだけわかってきたのは、不快感や怒りは、おそらく私の中の自覚していなかった、おそらくずっと抑えてきたものが原因なのかな、と。

完ぺきなチキンラーメンのために2時間も前から卵を準備するなんて、私の性格では到底できないことであり、計画性のない性格という点は、私は彼女と非常によく似ていると最初はそう思った。

違うのは、彼女が一度でいいから完ぺきなチキンラーメンを食べてみたいと思っているということ。
私はそんな面倒なことをしなくてはいけないのであれば、完ぺきなチキンラーメンなんて食べなくていい、そんなことをしてまで食べたくはない、と心の底からそう思っている。

一見似ていると思ったけれど、全然違った。


実は、今の私は計画を立てることがそれほど苦ではない。

旅好きの私は、計画をきっちりと立ててから旅に出る。
自分の意志とは関係なく行程が決まっているような旅にはまったく興味がないから、当然旅の計画を立てるのは自分。
とはいえ、計画通りに行動することはほぼない。
それでも必ず計画を立てる理由は、私の旅が自分の立てた計画からどのくらい外れた行動になるかということも、ちょっとした楽しみのひとつだから。
そういうことなので、おそらく実行しないとわかっていても、計画は必要。しかし、計画からけっして大きく外れることはしない自分であることも自覚している。帰りの日にちだけはきちんと守る。

引っ越しについては、その経験はそれほど多くないものの、今までの引っ越しはすべて計画的に行動している。
これからもそうできる自信がある。
引っ越しのたびに専用のノートを用意し、この日までに何をすべきか等を、その都度明確にしてきたので、大きく慌てるようなことは起こらなかった。
振り返れば、そういうことに関しては、子供の頃から、母の指示通りに実行していた。そうしないと許してもらえなかった。

でも、そんな自分にけっして満足していない自分もいることは以前から薄々と気がついてはいた。

本来の私はズボラで大雑把であり、計画的に行動できる人間ではない。
だから計画的な行動をする自分に何かしらの違和感があるのだと思う。

それで旅先では自分の計画を壊すような行動(大きく逸脱はできないのだけれど)に出るのかもしれない。

うまく説明できないが、計画的に行動しているのは、本当の自分ではないという思いがどこかにあって、計画通りにことが運んでしまうと、気持ちがいいと同時に、なんだか微妙に居心地の悪さも感じている。
また、ここまで下準備してきたのに、もし失敗なんてことになったら私はどうなるんだ?…なんていう恐怖心をどこかに抱えているのだと思う。


私の母はきちんとした人だった。
就寝前にはよけいな水一滴落ちていないというきれいに片付けられた台所だとか、お天気さえよければ必ず布団を干すだとか、陽が落ちてからも洗濯物が干しっぱなしになっているなんて一度もないだとか、どこに何が収納されているかがすぐにわかる家の中だとか、いわば、主婦の鏡のような人。

それゆえ、娘の私がとてもズボラな性格で風呂上りの濡れたタオルをきちんと絞っていないことなど、絶対に許さない。それについては毎日のように注意されていた。まったく絞っていないわけじゃないのに、母と同じやり方でないと許してもらえなかった。注意されたときは、明日からはちゃんと絞ろうと思うのだけれど、翌日の私はもうすっかり忘れている。

結婚して自分の家庭を持ち、母からそういう類のことを言われなくなり、ああ、私は自由だ、と思ったのは、けっして大げさではなく、ホントのこと。
母に口やかましく言われない日常に、こころからホッとした。
結婚で実家を出るまで、日常のありとあらゆることについて様々なことをずっと注意され続けた大雑把な性格の私。

もちろん、その母のしつけのおかげで、生きていく上で非常に助かっていることはたくさんある。

計画的に行動するというのも、常々母から言われていたこと。
何に対しても、時間に余裕を持たせ、じゅうぶんに準備を整えてから行動するよう口すっぱく言われた。

実家で暮らしていたときは、ふと思いついたから急に出かけるなんていうのも憚られた。
予定通りの外出であっても、あらかじめ母親に申告しておいた帰宅時間よりも20分(電車ひと便)遅れただけで叱られる。
成人しても、帰宅時間はあらかじめ告げておく必要があった。だいたい何時頃などという言い方は、母には通用しなかった。
言っておいた時間に間に合わない場合はもちろん連絡するのだが、、遅れるという連絡をしただけで母は不機嫌になる。
その不機嫌さを避けるため、私は子供の頃から何が何でも時間通りを心がけた。
その後、帰宅時間を自分が予定している時間よりも遅めにずらして伝えるという技(笑)を覚えたことで、やっと自由になったと感じた。
今から思えばそんなのは自由でもなんでもないのだけれど、その頃から母のご機嫌を損ねないよう、要領よく行動することが身についていった。

事前の予定にない、突発的に出かけたくなることや、急に誘われての外出はもちろんそれなりにはあったけれど、たとえば10回そういうことになったとして、実際に行動するのは、そのうちの1~2回までにとどめるようにしていた。
母は、家族を自分の手中に収めたい人だった。
それなのに、私以外の家族は、けっこう好き勝手に行動しており、けっして母の思うようにならなかった。
母は、年下でいちばん与し易かった私の行動だけは、なんとしてでも自分の監視下に置きたかったものと思われる。

そういう母親の元で暮らしていたとき、固くこころに決めていたのは、本当に自分の意志を貫きたいことのために、それ以外のことについては極力我慢する、とにかく自分を抑える、ということだった。自分はそんなことはしたくないと思っていた習い事でも、母の考えに従った。

私が何が何でも自分の意志を貫きたかったのは、自分が決めた人との結婚。

母親は私が結婚したいと思っていた現在の夫のことが、自分の描いてきた理想とは違っていたようで、ありとあらゆる手を使い、そういう方向にはならないよう画策していた。私に知られないように妨害していた。
それを察した私は、結婚するためには、さらに日常のほんの小さなことからこつこつと(笑)我慢するという作戦に出た。母におべっかを使ったりはしないけれど、こういう行動なら母は文句を言わないだろうとか、これをやったら母は不機嫌になるだろうからやめておくだとか、とにかく自分の気持ちなんてものは二の次、三の次。
本来とてもざっとした性格であるのに、大望のためには細心の注意を払うよう心がけた。我慢することは苦にならなかった。

今思えば、それは精神衛生上はけっしていいことではない。
結局、いろいろな偶然が味方となり、母の思いとは違って、結婚することができたことだけは幸い。

結婚後も母はいろいろなやり方で彼女の考えを押し付けるために、私のやり方等にさんざん口出ししてきたが、物理的に距離が離れたということがいちばん大きくもあり、またそれまでに身につけてきた母の干渉を上手にかわす方法も駆使して、その場しのぎをしているうちに長い月日が経ち、ついに母の寿命が尽きる日がやってきた。

晩年、初めて母とふたりだけでお互い本音で語りあう機会があり、そのときは母も私もこれが本当の最期になるとは思っていなかったのだけれど、そのときに渡された、いかにも母らしい日常のメモは今も手元に残している。


今では、母は母のやり方で、母が思う幸せの基準で娘の私のことを守ろうとしたのだと、そう理解しているのだけれど…。

母の思う幸せの基準と、私の基準はまったく違った。
親子であっても、性格もまったく違うのだし、考え方も違って当然。
確かに私の人生、ここまでやってこられたのは母の厳しく強引な「しつけ」否、「押しつけ」(苦笑)のおかげではあるけれど…。


おそらく、私はずっと我慢してきた時期の「自分への落とし前」がまだつけられないままでいるのだと思う。
自分の思うように行動することがとても大切だったはずの若い頃に、そうしてこなかったツケは、けっこう大きい、と今さらながら思う。
母への対処方法としてのこととはいえ、それは自分で選んだ方法。
だから、その後始末はもちろん自分の責任。

でも、それがなかなか難しい。



岸田さんの「一度でいいから食べてみたい@戸越銀座」のエッセイを読んでいて、本来の私のままだったら、引っ越しのときには、私もきっとこういうことをやってしまっただろうな、と思った。
しかし、今の私は、けっしてそういうことにはならないように計画的に事を運ぶだろう。
もちろん、その方がいいに決まっている。

それなのに、計画的に事を運ぶ自分の姿を想像しただけで、なぜか、私はとても不快な気分になった。腹立たしくなった。
その一方、母の「厳しい押しつけ(苦笑)」がなかったら、いったい自分はどうなっていたのだろう?とふと思った瞬間、そこでそれ以上の思考が止まってしまった。

それ以降、私は岸田さんの書いたものがまったく読めないでいる。
読むことが苦しい。
岸田さんは何も悪くないし、申し訳なく思うが、今はまだ読むことができない。しばらくは読まない方がいいと思う。
自分の器の小ささを情けないとは思うけれど…。

今後も、私は完ぺきなチキンラーメンを作って食べようとはけっして思わないだろうし、自分で選んできた今までの自分の生き方(やり方)で、きっとこの先も進んでいくのだろうとは思う。
抑え込んでいた、我慢していた、「自分」に今さらながらはっきりと気がついてしまったことについては、今後の人生の時間の中で、ゆっくりと、その後始末をしていけばいいのかな?
今は、そのやり方がわからないのだけれど…。
少なくとも今の私は、無理に我慢するだとか、無理に自分を抑えるということはしていないはずなのだけれど…。

混乱はおさまらず、悶々とする日々(苦笑)


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