脱脂粉乳のミルクとパンの給食/アメリカのダブついた食材を押し付けられた?という話
昭和生まれで、昭和時代に小中高校生だったみけ子は、学校に入った時から給食を食べて育った世代だ。(現在の子どもたちもそうだろうけど)
給食草創期に近い「元祖給食」をしっかり摂取して育った日本人と言っていい。
パンに牛乳、そしてやや洋風テイストの主菜。副菜はあえものとか酢の物、サラダっぽい料理だったかな。それに果物とかゼリーとかが付いていた。現在の給食がどのような感じかよく分からないけれど、パンと牛乳➕おかずと言うゴールデントリオが基本中の基本だった。みけ子は1961年生まれだけど、米飯給食は食べていない。
戦後の食糧が足りなかった時代から、子供たちの栄養状態を改善する目的で学校給食は始められたのだろう。終戦が昭和20年だったからみけ子が生まれたのは、わずかに終戦後16年経った頃だった。
今でもはっきり覚えているが、アルミ製の大きな給食用のバケツに入った、脱脂粉乳のミルクが毎日の給食には必ず出されたよ。ほんのり温かくて薄甘い。この脱脂粉乳ミルクは学校給食で初めて口にしたと思う。この脱脂粉乳の「牛乳」が給食で出されていたのは小学2〜3年頃までだったと思う。その後は本物の牛乳に変わった。
よく初期の学校給食について「脱脂粉乳のミルクがまずかった」とおっしゃられるみけ子より上の世代の方がいらっしゃる。だけどみけ子がこのミルクを最初に口にした時の感想は「美味しい!普通の牛乳より好き💖」だったんだよね。もしかしたら私たちより上の世代は、本当に美味しくない(廃棄するような)脱脂粉乳ミルクを飲まされていたのかも知れない。
今になって色々出回っているネット情報だと「アメリカは国内でだぶついていた、バターを作った後の脱脂粉乳を敗戦国の日本に押し付けるつもりだった。同時に過剰気味の小麦粉も日本で消費するよう仕向けた」らしい。信ぴょう性は分からないが、なるほどそういうことか、と妙に納得する理屈だ。
いわゆる一種の陰謀説のようなものだ。
だけどさ、戦後の食糧不足で栄養失調で死ぬ人が多数いた時代だよ。そんな陰謀論も完全には否定できないけど、そんなことを今さらあげつらったって仕方ないじゃない。パンに牛乳の食事が、当時の飢えていた日本の子ども達の命を救ったんだから。
当時よく出た給食のメニューに「くじら料理」があった。特に副菜の「くじらの竜田揚げ」は頻繁に給食で出されていた気がする。この料理、みけ子の自宅では一度もメニューとして食卓に登ったことはない。よその家庭でもそうだったのかなぁ?つまりは入手しやすくて安価で栄養価のある食材が給食として取り入れられていたのだろう。
みけ子がアルミの食器で給食を食べていた小学生時代など、もう50年以上前のことだ。確かに私たちの世代から、パンを食べて牛乳を飲んでという食習慣はごく普通に日本人に根付いている。米の消費量は年々減って来ているし、それ以上に日本の農業は担い手不足だ。現在唯一自給出来ているそのコメさえも、今後収量が減って値段も上がって行くことは必至だろう。
誰かが言った「給食陰謀説」が本当なのかどうかは、自分には分からないよ。だけどこれからは、地球規模の温暖化とか日本に関しては農業の担い手不足で食糧が世界的に不足していくことは明白だ。
戦後の日本に、食糧も資源も豊富だった国が援助をしてくれたのだってその国に余裕があったからこそ。これからの地球規模の気候変動と人口増加に、世界的に対応出来るのかどうか。日本の食糧の廃棄率がすごい、なんてことも今後根本的に見直して行かねばならないのだろう。
かつての給食の話から、今後の地球規模の食糧の生産のことなど、だいぶ話がとっ散らかってしまいました。お目汚し失礼いたしました。
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