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NPO活動の先駆者 加藤哲夫さんのこと

*表題写真は「book cafe 火星の庭」さんのHPからお借りしました。

NPOって言葉さえ世の中に定着していなかった頃。市民と行政がタッグを組んで何か物事に取り組んでいく事がかなり珍しかった1990年代後半。加藤哲夫さんと初めてお会いした。

加藤哲夫さんはせんだいみやぎNPOセンターの代表理事だった。市民の思いが世の中を変えること。市民と行政の協働、市民が行政の下請けで動くのではなく、市民もそれぞれの考えや意志を持って動くこと。それの礎を築いた人のひとりが加藤さんだ。

せんだいみやぎNPOセンターの設立前も、本の執筆や発行にも力を入れ、エコロジーや反戦の観点から「ぐりん・ぴいす」という情報発信の拠点となるお店を運営していた。そしてまた、その当時の厚生労働省の怠慢と不手際からの薬害エイズ問題を考えるグループを立ち上げて運営もされていた。

思えばもう加藤さんが亡くなって干支が一回りもしているのだ。今年が13回忌。あの夏の終わりの通夜の集まりに参列したのが、そんなに昔のことになってしまったか。


仙台市青葉区片平にある、東北大学片平キャンバス。取り壊しの危機に瀕していたその古い建物が、仙台市内に残る貴重な近代建築遺産である事に気付き、自分は保存活動を始めようとしていた。

市民活動もNPOの何たるかも知らず、だけど止むに止まれぬ気持ちから動き始めた。そうしてその頃、加藤哲夫さんという市民活動の先駆けの方が仙台で活躍されている事を知った。

市民の気持ちが世の中を動かす。世間を変える。そんな事が出来るのか、と言う気持ちもあった。だけと以前仙台は、春先のスパイクタイヤによる粉塵公害を止めるために動いた過去がある。市民の意識の高まりが、スパイクタイヤの使用中止になるまで盛り上がった。

みけ子は難しいことは分からないけれど、とにかく市民の思いが世の中を変える事には強く心を動かされた。間違っている事は声を上げて正す。おかしな事には異議を唱える。そんな実は当たり前のことをちゃんとやること。それが今を生き、未来の子どもたちにより良い地球を手渡して行くためにはどうしても必要な事なのだ。

市民の気持ちを大きなうねりとして、行政の決定事項を覆し世の中の流れを変える。そして片平キャンパスの貴重な近代建築群を壊さずに活用すること。それを加藤さんに相談に行ったことを昨日のことのように思い出す。

加藤さんの通夜。亡くなる直前に加藤さんは参列者へのビデオメッセージを残していた。かなり痩せている姿だった。そのビデオメッセージは下着姿の加藤さんが片手にお玉ともう片方の手に掃除用のはたき?を持って、大真面目に市民活動に取り組んでいる仲間に、ご自分の言葉で熱いメッセージを語っておられた。諧謔(かいぎゃく)性に満ちたその動画を録画したのはリハーサルのつもりだったらしい。だけどその直後に病状が急変し、本番を録画する前に加藤さんは帰らぬ人となってしまった。

加藤さんはNPOの先駆者として、全国のNPO関係者からの多大な尊敬を集めていた。多くの関係著書も著していた。だけどご本人はきっと、自分のそんな業績から神格化されることを拒んでいたのだと思う。わざと笑いをとるような出立ちでビデオメッセージを残した。通夜という悲しみの席で、その場に集まった多数の参列者に語り掛けられる言葉に、泣いていいのかそれとも笑う場面なのか。自分もその場に居てどんなリアクションを取るべきなのかと、何とも言えない戸惑いの感情に支配されたことを思い出す。

加藤さんが亡くなられた年齢は、現在のみけ子と同い年らしい。61歳の加藤さんはその時は既に大きな業績を残しておられた。13回忌に当たる今年、加藤さんを偲び大きなイベントが開催される。

2日間のセッションのどれかに時間が許せば参加したいのだが、泊まりで出かける予定にがっちり重なってしまっていて……。

加藤哲夫さんは今自分がここにこうして居ることに、多大な影響を与えてくれた人のひとりなのだ。

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