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山登りと川下り(人の生き方について考えた)

人生は山登りに例えられる事がある。

山頂を目指して、どのルートでいつどんな方法で頂上を目指すか。装備は、単独かパーティを組むか、パーティならどのメンバーを集めるか?そう言う一つひとつの事を決め山頂を目指す。

うん、分かるよ。それは目的に向かって一歩ずつ進む、着実でしっかりした考えの人が取る方法だと思う。

しか〜し、ワタシはどうもそういうの苦手で出来なかったんだなぁ。

目的地を決めて、ルートを決めたら準備する物は自ずと決まってくる。

そう出来たら良かったのに、と思う。何だかその場の勢いとか何となくこっちが好きとか、面倒臭そうだからそれはイヤとか(笑)曖昧な基準で本来目指すべき目的地とは別方向に向かってしまってる感じ。

このnoteも続けるコツ、の様なことを書いている人もいる。その中に「まずどの様な事を書きたいのか書くのかをざっくりでも決めよう、とか書いてあるんだが、、。きっと自分はその方法では文章は書けないのよ。

なんとなく思いついた事を表題にし、それに関係したことを1、2行だけでも書く。繋がりとか文脈とかどうでもよろしい。先ずは書く。書けることを書く。あとは適当な写真を選んで貼り付ける。そして後はほっぽっておく。時々見直して続きが書けそうな時に書き足す。書いているうちに最初に書こうと思っていたこととはかなり違う内容になってしまうこともある(笑)それでもひとまとまりになっていて、読んでいて破綻がなければそれでOKだよ。表題も考えているうちに最初とはかなり変えることも。

分量がまずまずのボリュームに達したら、結論と言える程でもない締めくくりとかオチを最後に書いて、多少の推敲をする。真面目に考えて文を綴ってはいるけどプロでもないし、そんなに面白く立派な事を書くことも期待されてないだろうから(笑)まぁ適当な分量になって自分基準でこれでいいかな?って程度の文章になったらOKということにする。こんな感じで文章を生み出す。このやり方はきっと「川下り的思考、行動」なんだろうと思う。

例えば毎朝やること。
起きる→着替える→仕事の連絡確認→note投稿→身支度→朝食→仕事へ

これがきっと計画的に物事を進める「山登り的やり方」

まずは優先順位かな、どうもそれをキチンと順序立てて進める事が出来てない。
仕事に行くのに、最低でも何時に家を出れば間に合うのか。そうするとその前段階にやることの時間も決まってくる。大体の終わらせる目安の時間を決めておく。毎日同じようなことをしてるのに、これさえ自分は出来てなかったね┐(´д`)┌

計画までは要らないが、見通しは立てよう。他の余計な事に気を取られ易いことを自覚して、タイマーを使って現実に引き戻す仕掛けを作っておく。
人生だ何だって大きな事を言わずに、まずは今日の約束を無事にクリアすることを念頭に置こう(笑)

川を下るカヌーか何かに乗っている。急流があり、難所がありゆったりした流れで周囲の景色を楽しむ余裕がある時もあり。じゃあちょっとそこにカヌーを止めて上陸してみようか、とか。難所を越える時は転覆しないよう、カヌーから落ちたり岩に激突したりしないよう、咄嗟の判断でパドルを操り無事に難所を乗り切るように全神経を集中させる。急流を超えたら一安心だ。あとは流れに身を任せて下り、流れ着くのは海だ。あ、湖に流れ込むと言うこともあるかな(笑)

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私だって、目標を定めて行動したことはもちろんある。高校受験とかNPOを立ち上げて運営していた時など 「私はこの高校へ入学したい!」とか「自分はこの場所と建物が好きだ。だから絶対にここを老朽化とかの理由で取り壊させたりしない!」と行動を起こしたりした。目的目標を明確に定めて、それにはどういうやり方が良いのか、どんな手段がありどういうアプローチが有効なのかできる限り考える。そして自分がやれるだけのことを実行する。自分にも出来ない訳ではなかった。

→結果、高校受験は第一志望不合格💦

→市民活動NPO 、10年あまりの活動期間を経て取り壊し予定の歴史的建物は保存活用されることになる😀一応目的は達成したが、会社組織とも異なる市民活動の組織マネジメントの煩雑さに悲鳴を上げ、心療内科のお世話になった💦

数少ない「山登り的目標達成」経験はこんな感じだ。

ただ今になって振り返ると、「目標を決めての山登り的やり方」は多分に自分に対して無理を強いている感じはした。
「川下り」ならば何かに導かれてそこまで無理なくたどり着く感覚がある。

考えてみると、両親が二人とも要介護になり何の心構えもなく「介護生活の激流」に巻き込まれた。初めて直面する問題にアタフタした。これってまさに川下り人生じゃないか。好んであの介護生活に入った訳ではなかった。避けることも出来ず次々に出会う難所にただ必死に舵を切っていただけだった。これは努力とかと言うよりは、反射神経が試されていただけのような気がする。

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どうも自分には「明確な到達点を設定してそれに向かって歩んでゆく」ようなことは不向きなようだ。とにかく何だかあちこちに気が散ってしょうがない。歩いていても道の周囲にある建物や庭の植栽が気になり、一度で道順を覚えられた試しがない。


落ち着きがなくて、いつも頭の中では無意識に面白そうなことを探している。何となく興味が湧くとか、こっちの方がラクそう、とかのいい加減な理由で行動を始める。動き始めると最初は考えてもいなかった問題にぶつかったり、逆に面白い出会いがあってびっくりするほどトントン拍子にことが運んだりする。始める前にいた地点とは立ち位置が変わっているから、以前は見えなかった景色も目に入る。予想もしなかった展開に「これってすごいじゃ〜ん!きっと天が応援してるんだ!それに私って本当は才能あるのかも?!」という能天気な勘違いをしてますます行動にスピード感がます(笑)

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私のようなその場しのぎでやる事を決めたりする人間には、最初から考えた通りにことが進むことなど10%もないんじゃないか。人ひとりの頭脳で考えて導き出されたことなど本当は正解からは遠いんじゃない?動いて立ち位置が変わって、出会う人が変われば人生は大きく前進する。それが生きて行くことの醍醐味じゃないか。


……とか、いつも無計画で何となくここまで進んで来ただけなのに、それが人生だ!とばかりに偉そうにいっぱしの論者のような事をつぶやいてみるのだ(笑)







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