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「お里が知れますよ」と言う、現在は死語な言葉&好きになれなかった言い回し

昭和の時代、年嵩の女性が若い女性に向かって言う言葉に「お里が知れます」と言う言い回しがあった。

つまりは、マナーや常識のない振る舞いはみっともない、というたしなめの言葉だ。男性に対して言われることはない。人生の先輩である中高年の女性から、若い女性に対して言う多分に嫌味が混ざった言葉だ。昭和時代もそれほど頻繁に使われる言葉ではなかったとは思う。みけ子は言われた事はないし、誰かが話すのを直接書いた覚えもない。聞いたのはドラマの中とか小説の中ぐらいの事。

女は全て成人したら嫁に行き、子どもを産んで母となり、家族をケアする主婦や母の役割を担わされていた頃の言葉だ。つまりは、キチンと教育や躾をされ他家に嫁いで老いて死ぬ、という生き方が推奨されていた時代の価値観である。

こんな事を言われてもなぁ、と思うわ。確かに生まれ育った環境で日常の言動は変わるし、それが個性の範囲におさまるかどうかは人それぞれだ。だけど生まれ育つ環境は本人には選べない。最低限、周囲の人を不快にさせない振る舞いは必要だけど、女性はしとやかで夫や義両親に対して従順であれ、みたいな押し付け感をムンムンと感じる。日本的な美德や美しい振る舞いを尊重するのは分かるけど、現在では完全に死語。

女性にだけ「お里が知れる」という表現で、行動をやんわりと制限する。若い女は従順であった方が、男性や年嵩の女性にとっては都合が良かった。

もう一つ、自分が言われて違和感と反発しか感じなかった言い回しがあった。10代から20代ごろに母から言われた言葉なんだけど、

親の言葉となすびの花は千に一つも無駄はない

と言うもの。この言葉は聞く度に心の底からムラムラと怒りを感じたわ。恐ろしいばかりの押し付けと圧が感じられる言葉だ。「目上の人の言葉は素直に聞け❗️」って年下や目下の人間に対して自分の意見を押し付けているのよね。言われた方はうんざりだわよ。

色々と考えればね、「確かに。全くごもっともでございますよ」とその言葉の前に平伏しなければならないような納得感もある(笑)親としての愛情が滲んでいる言葉なんだけどね。それは理解はしてるのよ。自由やその人それぞれの意思はあるけど、それだけでは取りこぼしてしまう微細な人の心情はある。だけどね、理解はするけど腹落ちはしてない。言われる相手の人の気持ちの尊重など全く感じられない。

世の中は劇的な変化を見せているから、年長者の経験が必ず役に立つという訳でもない。目下の人間は目上の人の言葉を黙って受け入れれば良いんだ、という都合の良い気持ち。「あなたのためを思って言っているのよ」って言外に言われている感がありありだわ〜💦結局自分が言い放ちたいだけなのに。

生意気盛りの若い人にそれを言っても逆効果でしょうが。

昭和の時代。こんな言葉で年長者は若者をジワジワ圧迫してきたのだ。だから今の日本は覇気がないのよ、とか思うわ。

自分も若い人に対してそんなセリフを放っていないか反省しよう。



↓ニュアンスのあるブルー系の色合いのガラス器。案外軽いので扱いもラクですよ。


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