見出し画像

ゆく水や 何にとゞまる 海苔の味#05

さて。浅草海苔以前の「食としての藻・海草」の類を見つめてみると、中華のように神仙思想からくる利用を外して、純粋に「食糧」という位置づけで考えると・・なかなか探る資料がなくて難渋する。
考古学的な視野から入ると、東京都北区にある「中里貝塚(縄文中期)」愛知県知多半島にある「松崎遺跡(古墳時代後期)」で発掘された土器から葉上性微小員類や珪藻などの微化石が発見されているが、他には出土の例がない。島根県の猪目洞窟遺跡。高知県の竜河洞遺跡。青森県の亀ケ岡遺跡などからも発掘されたといわれているが何れも証拠資料は未解決のままである。残念ながら、縄文人/弥生人がしたと確証できる絶対年代の測定が可能な乾物や化石としての海藻や海草の証拠資料は、いまのところまだ出土していない。 

もう少し時代が下って文書として書かれたものの中ら海藻を探ってみると、万葉集/風土記/続紀/養老令/記紀などには散見する。ということは、少なくとも奈良時代から平安時代には「食糧」としての藻・海草類は、それなりの地位を得ていたということになろう。
特に海藻は納税品として産地から都に運ばれていたので、比較的詳細に、その動向は覗い知れる。
当時、行政機関の中央は平城京だった。同地からは、藤原京跡出土木簡/平城宮木簡/長屋王家木簡/二条大路木簡/長岡京跡出土木簡が出土している。
https://www.amazon.co.jp/%E6.../dp/4000253255/ref=sr_1_1...
こうした木簡は国郡里の司がモノと一緒に添えて送ったものなので、品名/数は信頼出来る。実は一定の様式で書かれているので、データとしては取り扱いしやすい。その形態は①短冊状の長方形で主に公的文書を記述してある「文書木簡」と➁税として納めた物品の名前/数を記述した「付札木簡」に大別される。
付札木簡は荷にくくりつけるため上下両端か上端にのみ切り込みを入れ,荷の俵や縛った縄に差し込むために下端は尖らせたもので、荷を送付・進上する際に付けた荷札の形態をとっている。
これに、調・中男作物・費などの貢進物を書き、納税した人物の国郡里(郷)名・人名・送付した産物の税目・税物・貢進量・年月日などが記載してある。
・・ここでいう「調」とは17歳から65歳の成年男子が負担するもので、布/綿/鍬/鉄/塩/海産物などが物納された。「中男作物」と前述・調の付加税で、17歳から20歳までの若い男子が海産物や果実などに、別途物納を指示していたものである。「費」は神へのささげるもので、これらは天皇家及び高貴な人々に対して物納するものだった。

これら、木簡から、誰が「税」として海藻を納めたがわかる。
①近畿地方では志摩国(三重県東部)/紀伊国(和歌山県と三重県南部)
➁中国地方(日本海側)からは、長門国(山口県西部)/石見国(島根県西部)/出雲国(島根県東部)/隠岐国(島根県隠岐島)/伯香国(鳥取県中部及び西部)/因幡国(鳥取県東部)/但馬国(兵庫県北部)/丹後国(京都府北部)/丹波国(京都府中部と兵庫県北東部)
➂北陸地方からは、若狭国(福井県南部)/佐渡国(新潟県佐渡島)
④四国地方(太平洋側)からは、伊予国(愛媛県)/阿波国(徳島県)
⑤中部地方からは、三河国(愛知県東部)
⑥関東地方からは、上総国(千葉県中部)/下総国(千葉県北部/埼玉県東辺/東京都東辺(隅田川右岸)/茨城県南西部)/常陸国(関東地方東北端部)
と広範囲から物納されてたことが解る。

では。なにが具体的に税として物納されていたか。
①調の品目を調べると、出雲国/石見国/隠岐国/志摩国からの木簡にはとある。紫莱のことだ。
「無良佐木乃里」とは、「倭名類従抄」を見ると「和名牟良佐岐乃和」「俗用紫苔」とある。また「紫苔」の項に「和名須無能里」記載され、「飲食に用いる」とある。本邦現存最古の本草書「本草和名J(918)」にも「紫苔」の記述に「和名須牟乃利(アマノリ)」とある。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555536
また「出雲国風土記(733)」にも、紫菜島神社(島根県平岡市十六島)の例祭には必ず「紫菜」が献上されるとあるから、おそらくこれが税として物納されたのであろう。

江戸時代後期編纂された「倭名類従抄」の注釈書「筆注倭名類従抄」の「神仙菜」の解説をみると「紫菜」と同義で「阿未乃利俗用甘苔」とあり「神仙菜は紫菜の雅号である」とある。このことから、ほぼ間違いなく紫菜とは、ウップルイノリを含むアマノリ属のことであろうと推察できる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2606770...

では、この「無良佐木乃里」なるものがどう利用されたか?実は、中国古代の料理書「斉民要術・第79章」にその利用法が載っている。食用というよりはっきりと薬用・薬膳である。おそらく飛鳥・奈良時代に様々な文物と共に、こうした用法が日本に伝わった可能性は高い。中国の文献でも紫菜属はPorphyra(アマノリ属)だ。

しかし僕は、海藻類は薬用・薬膳というばかりではなく、普通に食用にも使われていたンではないかとおもっている。なぜかと云うとその品種について、き分けて細かい分類が当時すでになされているからだ。
延喜式には「滑海藻、青苔、小凝菜、於胡菜、大凝、鹿角菜、ノリヒロメマナカシミルモツクトサカノリナノリソメ紫菜、昆布、海藻根、海松、毛都久、鳥坂苔、那乃利曾、海藻」14種の名前が記載されている。
https://www.amazon.co.jp/%E5.../dp/B01MU14I6K/ref=sr_1_3...
「和名抄」には、海菜類として「藻和名毛波/昆布和名比呂米一名衣比須女/海藻和名途木米俗用和布/滑海藻/阿良女俗用荒女/海松和名美流/捗蓋和名阿乎乃利俗用青苔/神仙菜阿末乃里俗用甘苔/紫菜和名無良佐木乃里俗用紫苔」/海羅和名不乃利俗用布苔/鶏冠土里佐加乃里式文鳥坂苔/於期菜/髪小凝菜和名以木須/大凝菜古留毛波俗用心太二字云古々呂布止/鳴菜奈々里曾漢語神馬藻奈々里曾/鹿角菜和名豆乃万太/鹿尾菜比須木毛/石諏古毛」/水雲毛豆久」18種の藻名が記載されており、藻類の一般名は"モまたは‘モハ"であり、特に食用とされる海藻類を"メ"と称したとある。

ここで注目すべきは、ニギメニギメムラサキノリのことで、「海藻または和海藻」とも書かれているのは若布ワカメのことである。つまり同時代にはすでにワカメは食用として使われていた・・ということである。

おおおお、ずいぶんダラダラと古文引用転載したから・・疲れた。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました